ろくと「かっとビング」の話
勇気を出して、一歩踏み出すこと。
この点でだけ言えば、「かっとビング」できていたことはたくさんあったのだと振り返って気づいた。
書き出してるうちに笑っちゃうくらい、人生初挑戦をたくさんやってみた数年間だった。
職場と実家との往復で消費する日々からだいぶ変わった。
一人暮らしを始めた。
デパートのコスメカウンターに行ってコスメを買って、コスメが大好きになった。
ライブに行って、好きな歌声を生で聴いた。
ひとりで日程を組んで旅をした。一人旅が好きになって、気分転換に他県へ飛び出せるようになった。
他県の気になるイベントに参加してみた。
舞台を観に行った。
セクマイのオフ会にも複数参加してみた。
女性が相手してくれる風俗も利用してみた。
年間20人以上の人と会ってご飯を食べたり、おしゃべりしてみた。話をするのが楽しくて、いろんな人の価値観を知るのは面白かった。
初めて小説を最後まで書いて、それを投稿した。SSもたくさん書いた。自分の脳内で繰り広げられていたやりとりを文字に変換したときの、伝わらなさと格闘するのが面白かった。
SNSでつながった人や実際会った人たちとリモート通話で飲み会したりする縁がつながっているのも嬉しい。
リモートですごろく会も初めてやった。とても楽しくて数時間ぶっ続けで熱中した。
遊戯王のアニメ全作品を4ヶ月連続でほぼ毎日観続けることも人生で初めて挑戦したことだ。無事に走りきった。新しい縁も増えた。とても楽しい時間だった。
ただ、自分にとっての「かっとビング」はこうした挑戦の類ではなかった。たしかに膝が震えるほど怖かったし気力も振り絞ったけれど、上記のものは失敗しても現実の生活基盤が崩れる可能性のあるところまでダメージを食らわないからだ。
一見して無謀とも思えること、失敗したら結構なダメージを負うようなリスクがあり、強い困難を感じる。そういう挑戦のことを私は「かっとビング」と定義づけていた。(精一杯のネタバレ防止)
ところで、私は「クローゼット」だ。
押入れの意ではなく、多数派である異性愛者のフリをぎこちなくやりながら生きている性的少数者だ。
心に浮かんだことを好きなタイミングで書き込めるSNSで異性愛者のフリをするのは難しくて、プロフィール欄に端的な単語を載せるくらいの説明に留めて、あとは心の向くままに呟きリツイートを重ねている。
その一方で、家族や職場の人などの身近にいて一緒の時間を長く過ごしている人たちに対しては、自分の性的指向もこれからどう生きていきたいかも、今まで話題に出したことはない。
結構な閉塞感を感じつつ、これから先も隠し通せるのかで、現在進行形でじりじり悩んでいるところ。
そんな私が思い浮かんだ「かっとビング」は、家族や職場の同僚を始めとした周囲の人への「カミングアウト」。
自分の気持ちを伝え、相手と考えを擦り合わせる。九十九遊馬がこれまで闘ってきた強敵とやってきたことと同じ。
しかし、私と彼らとの間にはデュエルがない。対話の手段は言葉だ、言葉で伝えなければいけない。
私の家族も、人の話を受け入れるよりかは自分の話を聞いて!という傾向が顕著にある(これについて話すと本当に長くなるので割愛する)し、マイノリティへの偏見もあるような言動がある。
だから、考えている。
もし、「かっとビング」するとしたら。
どうしたら、分かりやすく伝えられるだろうか。受け入れてもらえるだろうか。相手の拒絶と闘うのだろうか。
わたしの性的指向を人に説明するときに「クエスチョニングです」だけで話が終わるとは思えないし、もっと言語化できるようにならないと、話題に出された側もよく分からないだろうと思う。
人に分かってもらえそうな言葉を探す。レズビアン?違う。バイセクシャル?違う。パンセクシャル?うーん。女の人を好きになったことがある、ということしか分からない。分からない。
そもそも自分の性的指向が定まらないため、「クエスチョニング」と名乗っている。
これ、説明をして打ち明けたところでどんな理解が進むのだろう?何が分かち合える?
もし正しく伝われば、私が異性愛者ではなくて、でもそのセクシャリティは分からないことが分かってもらえる。じゃあ結婚はどうするの?分からない。そうか、分からないんだ。じゃあ分かったら教えて。うん。
なんだか不完全燃焼な感じがある。もっと言葉を練らなければ。自分の意志ってなんだっけ。
7年じっくりコトコト考えても分からないことを一朝一夕では練り上げられないし、私にとって「かっとビング」はそういう本人にとっての無理難題をどうにかやってみる!というものだと思った。
まずはやってみる。そして相手に拒絶されても、あきらめない。分かってもらえるまで、何度でも挑戦する。困難なことにも全力で。
私の思考はそれで定まったとしよう。
相手にも、相手の都合が存在する。
周りに秘密にしなければいけないという負担がくる。あと、彼らの中にもある偏見とか拒絶感とも闘わなければならなくなる。
異性愛者として特に違和感なく日常生活を過ごしてきた彼らの平穏を乱すことにつながる。それがいい結果になるか悪い結果になるかは分からないが、とにかく戸惑いと動揺は起こる。それって相手にとって迷惑な話じゃない?迷惑かどうかは相手が決める?そりゃそうだ。
他人に対して自分の考えを伝えて、対話することで運良く伝わったとして、そこからまた私にとっても相手にとっても関わり続ける日々が始まる。よく顔を合わせる間柄はこういうときとても厄介である。
それでも伝えないよりかは、「かっとビング」しないよりかはマシか?本当にそうかな?
やってみなければ分からない、九十九遊馬の言う通りだ。やってみて上手くいった人もたくさんいる。上手くいかなかった人もたくさんいる。やってみなければ、分からない。
その挑戦は、私にとってはとても恐怖を感じることであり、無謀な試みにも見える。情けないことだけれど、挑戦した結果を、自分で丸ごと受け止めなければいけないのも心細い。
それともうひとつ、どっちの結果に転んだとしても「カミングアウト」をした疲労でいつもの仕事&生活を回すのが上手くいかなくなる可能性が高い。へろへろになる。へろへろになってぶっ倒れたとき一緒に働いている人たちにカバーしてもらうことになり、迷惑がかかる。
九十九遊馬は何度も「かっとビング」して、ストーリーを動かして人間関係を構築してきた。大切な相棒との絆を深めながら。本当にすごいキャラクターだと思う。尊敬してもいる。
あまりにも眩しい光で、今の私はそんな風に輝けないとも思ってしまう。私は彼の光を美しくて素晴らしいと感じる視聴者であり、九十九遊馬ではない。彼のように明快な言葉をまっすぐな目で相手に捧げられるようになるまで、一体何年必要なのだろう。
そう思いながら、私は明日も明後日も、恐怖を抱えながら口を閉ざして考え続ける。
とだけ書くとなんだか結論もこれを書いた意義もないような気がしてきたので、最後にひとつだけ。
この九十九遊馬が彼なりの「かっとビング」をしてピンチに立ち向かうお話、遊戯王ゼアルはただ今各社動画配信サイトにて配信中!!!
九十九遊馬の「かっとビング」が気になった人でまだゼアル観てないよ〜って方はぜひぜひ、ご覧くださいね!!