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いわゆる”歌い手”やってました #わたしとニコニコ


高校時代の話。10年ほど前になるが、私は当時のいわゆる”歌い手”活動をしていた。


私は3歳くらいから楽器や音楽に触れており、小さいころから音楽とともに過ごしてきた。楽器の演奏や音楽を聴くことなど、音楽に関わることは何でも好きだったが、中学のころ、歌に目覚めた。それも結構突然。

もちろん歌も昔から好きではあったのだが、俄然、人前で歌うのが恥ずかしかった。カラオケのおもちゃを持っていて、家でテレビにつないで遊んでいたが、決して家族の前では歌わず、友人を招いても1、2人。

子どものころは相当な自信家だったので、今思うと自分が歌うまく歌えちゃうから逆に家族とか友達の前で歌うのが恥ずかしいみたいな心境だったのかもしれない。かなり調子に乗ったガキである。


中学に上がったころ、アニメやマンガに目覚め、世に言うオタクになった。いろんなアニメを見まくり、マンガを読み漁った。そして音楽が好きな私、アニソンを聴きまくった。聴きまくったら、楽器で曲をコピーしたりするのではなく、なんだか歌いたくなった。

アニソン歌手やアニメの主題歌を担当するアーティストは往々にして技術の高い方が多く、自信家である私の負けず嫌い(?)の部分が出てしまった。

「もっと歌うまくなりたい!てかそもそも私歌うまいから有名になりたいし出るとこ出れば絶対売れる!!」

みたいな、後半に感じては謎に自信にあふれた気持ちを抱いていた。自分のことながら本当に感心する。

それからは毎週末一人でカラオケへ行き、CD-Rに録音、それを家で聴き返して反省して次に生かす、みたいなことをしていた。とってもストイックなので見習いたい。


10年前くらいは、Youtubeをはじめとする動画サイトを音楽の音源を探して聴いたり、MVを見るためのものとして使っており、ニコニコ動画もそのひとつとして使っていた。

ある日、あれは銀魂のエンディング曲の音源をニコニコ動画で探していた時だったと思う。検索結果の動画一覧のタイトルを見る。すると

【歌ってみた】

…なんだこれは。
なにこれなにこれなにこれ。これ一般の人が自分の歌投稿してるの?え、世界に発信しちゃってんの?まじで?一般の人でもそんなことできんの?人の曲をカバーしたやつを?公開??えっ私もやれば歌を全世界の人に聴いてもらえるってこと?まじ??

まあ大層衝撃を受けた。
そして、すでに再生回数が多く、有名になっていた人の歌ってみた動画を少し聴いてみたりもした。

「え、こんなん私なら絶対すぐ有名になって人気になるじゃん」

素晴らしいポジティブ思考である。
こんなことを思ってしまったがために、もうやるしかなかった。リスナーにまわるなんて選択肢はさっぱりなかった。

ただ真面目な私は高校受験が終わった3月から始めようと思い、1年くらいは我慢した。えらい。


そして、高校に入学する。
中学のころからためていた小遣いをすべて使い、レコーディングのための機材一式を買いそろえた。すこぶるワクワク、ハッピーで明るい未来が待ってるって感じだった。

学校から帰ってきたら毎日ニコニコ動画でボーカロイド曲の新曲をチェックして聴き漁り、好きな曲や自分の声に合いそうな曲をピックアップ、それらを聴きこんで寝る直前までレコーディング。ほんとにまじめでえらい。

レコーディングまでは自分でできたが、ミキシングというカラオケ音源と歌をなじませたり、歌にエフェクトをかけたりする音源の編集ができなかった。

歌ってみた界隈の人が登録しているシングリンクというサイトで、いわゆるMIX師さんとつながり、Skypeで連絡をとりながら編集をお願いした。(今ぐぐってみたらシングリンクはすでに閉鎖されていた。時の流れを身に染みて感じている)

初めてMIX師さんに編集してもらった音源を聴いたとき、めっちゃくちゃに興奮した記憶がある。こんなんほんとに歌手みたいじゃん!プロじゃなくてもこんなにきれいな編集ができる方がいらっしゃるんだ!!ととても感動していた。

音源と動画が完成し、いよいよ初投稿。随分緊張したが、絶対これ再生数超伸びて有名になっちゃうよ~!と、頭の中でお花たちが満開になっていた。多分ネモフィラ畑とかに負けない見事なお花畑だったと思う。

【初投稿】とタイトルにつけると、相対的に再生数は伸びるものである。私の初投稿動画もその例に倣い、確か1週間くらいで1,000再生前後まで達した。

うんうん、このままもっと伸びるよね~絶対ほっといたら10万再生くらいは余裕で行くよ!とルンルンだった。

それから1週間、2週間、1か月たっても、伸びない。

なんで伸びないのよ。絶対おかしい、タグいっぱいつけてるし宣伝もしてるのになんでみんな聴いてくれないの、と怒りを覚えると同時に(誰に?)、
すごい頑張って一番いい歌録ったのに、私ってこんなもんなのか…………ととっても落ち込んだ。現実は甘くない、ということをここで学んだのである。


ただ、そう落ち込むことばかりではなかった。
動画を見つけ歌を聴いてくれた人が、コメントやSNSで「よかったよ!」とか「とても素敵でした!」と、リアクションをくれた。リアルな反応をもらえたことでもっと頑張るモチベーションにつながった。そしてそこからやりとりを続けることで、ニコニコ界隈の友人ができた。

動画だけでなく生放送も毎日(!)やっていたのだが、流れてくるコメントでリアルに反応してくれたり、歌だけではなく雑談でも盛り上がったりして、毎日が本当に楽しかった。

学校や近所のリアルな友達との関係と、全国のいろんなところいる顔も本名も知らない友達との関係という、当時においては貴重な、自分の居場所を2つ持っているという恵まれた環境にあったと思っている。リアルの友人もニコニコの友人も、どちらも本当に大切な仲間だった。

高校在学時に3.11が発生したのだが、そのときも被災地や被害を受けた地域に住んでいる友人を思い、励ましたい気持ちで生放送で歌った記憶がある。今になって考えれば災害時にそんなことしてんじゃねーよと思うが、当時の自分にとってはそれが支えとなれる唯一の方法だったのかもしれない。

また、MIX師さんとのやりとりや、歌い手の友人とコラボをした経験から、コミュニケーション能力もついたように思える。なんか人間としての基礎力まで磨かれていてちょっと面白い。

当時のことを振り返ると、複数人で音源を作っていくに当たり失礼なことをたくさんしてきたし、迷惑をかけたことも多々あった。今思えばあり得ないことをしていたという意識はあるので、当時失礼なことをしてしまった方々には、若気の至りとしてどうか許してほしい。ここで謝っても仕方ないが。


そんな感じで、高校3年間はニコニコ動画にズブズブにはまって過ごしていた。動画も個人だけでも数十本作ったし、オフ会に参加したりもして自由な時間をほぼニコニコ動画での活動やつながりに割いていた。正直なところかなり勉強をおろそかにしたが、当時やっていたことに後悔は全くないし、本当に充実していたと思う。

3年間の学校生活以外の部分をすべて歌に費やしてきたので、歌うということが自分の軸になった。高校を卒業してからは実家を出たので気軽に歌のレコーディングはできない環境になってしまったが、バンドサークルでドラムメインで担当していたがボーカル担当を増やしたりして歌に力を入れた。

ニコニコ界隈の友人等とのつながりも、自分が上京してきたことによりさらに濃いものになった。直接会って遊ぶことも増え、もはやネットのおともだちではなくリアルな友達に近い関係になれた。

ニコニコ動画で【歌ってみた】カテゴリに出会ったことで、私の人生はひどく鮮やかになった。ただカラオケで歌って、リアルの友人にお世辞(かどうかはわからないが)で歌うまーいと言ってもらうだけの生活では知り得ない世界に触れられたし、多くの出会いをもらった。今思い出しても、当時は本当に輝いていたと心から思える。

現在も歌は歌っているし、時々ツイキャスとかで配信したりしているが、ニコニコ動画にはほとんどアクセスしていないし、当時の友人の大半とは疎遠になっている。万が一当時の私のことを知ってるかもと思った方は、なんか超恥ずかしいので黙っていてほしい。

今のニコニコ動画はどんな人たちが楽しんでいるんだろう。ボーカロイドカテゴリなんかは、最近ボカロP出身のアーティストさんも増えているし、TikTokでボカロ曲が流行ったりもしてるからまだまだアツいんだろうか。

自分がすべてを捧げていた当時のことを思い出したことを良いきっかけに、改めて覗いてみようか。

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