託児のバウチャー制度には大いに賛成している、在宅ワーカーの私。

「保育園」問題には渦中の人であるはずの私もほとほと嫌気が差している。

「保育園に預けずに自分が見ればいいんだ!」とも思わない。
保育園に預けられないがために、仕事に復帰できないことを残念だとも思うし、もちろん改善していかなければならないことだと思う。


だけど「保育園つくれー!」も「自分でみろ!」もどっちも乱暴すぎる。
白か黒かという意見だけが大きく取り上げられる世の中だから、目に付くだけだろうけど。声を出しながら、様々な試みをやっている人かもしれないけど。
だけど取り上げられるのはその「声」だけで、なんだか違和感にむずむずしてしまう。

たまたま日陰に種を落とされてしまった植物は、必死で太陽の光を浴びようと葉や枝を伸ばし、だけど結果的に日が当たらなければ死んでしまう。
「私は自然の中で役割を果たし、また子孫を残そうと一生懸命頑張っているのに、こんなに日陰なのはおかしいではないか!」と自分の運命をのろっても、しかたがない。
でも動こうにも動けない。運命にはあらがえない。

幸い、人間には手も、足も、頭もある。
まさかついているのは口だけだ、というわけではあるまいし、
何かしらあがいてみないと仕方が無い。

*****


私は2人目の出産を機に、在宅でフリーランスのデザイナーとなった。
未経験からの挑戦であり、30代にしてはそれなりに勇気のいる選択だったけれど、結果的には満足している。

「在宅で子供達をみながら、仕事することは可能か?」と聞かれることが多々あるけれど実際には「yes」「No」で簡単には答えられない。

なんでかって、子供は日々成長するもの、だし、仕事も日々変化するから。

子供が小さくてコロコロ寝てたころは、無理せずともかなりの仕事が出来ていた。
仕事の量は少なく、それほど困難は感じなかった。

ハイハイするようになって、目が離せなくなってくると、おのずと仕事をする時間は減った。まぁ、それでも仕事の時間は確保できた。
仕事は徐々に増えてきて工夫しないと時間が足りなくなってきた。

もっと育って、自分で色々考えられる年齢になってきた今は、兄妹2人で遊んでくれたりして助かる一方、簡単なことではつまらなくなっているのが目に見えるし、色んなことに挑戦させたい気持ちも出てきて、子供達とふれあう時間が必要になってきた。
仕事は並にあり、自分の力だけではどうしようもなくなってきた。

とこう書いたら大雑把だが、本当はもっと細かく細かく日々変化する。1年ごとにやり方を見直す、なんていうことは出来ない。柔軟に対応していくしかない。

私には保育園はなくてもなんとかなったけれど、社会の中で大きな役割を担っている女性もいる。そういう人には保育園は絶対的に不可欠なはずだ。
だけど私のように、最初は託児が必要でなかったけれど、徐々に人を頼る必要が出てくる、だけど保育園でなくても良い、というような人もいる。
もちろん、じっくりと育児したい、という人もいる。


私はたまたま母が近くに住んでいるのでお願いしているが(もちろん薄謝だけどお金を払って)、これがベビーシッターさんでもいいと思う。
ベビーシッターさんにお願いする最大の問題は「金額」。
(もちろん、信頼できるベビーシッターさんと会うきっかけとか色々あるけれど)

せめて経費で落とせたら、、、と思うけど、育児に使えるバウチャー制度が出来ればもっと嬉しい。

バウチャー制度の良いところは柔軟であるところ。
保育園でなければいけない人は保育園。
ベビーシッターの方が都合がいい人はベビーシッター。
私はあまり詳しくないけれど、他にもいろんなサービスがあるのだろう。

だから在宅で仕事をしている私はバウチャー制度には大いに賛成。
そして必要なのはバウチャー制度だけでなく、働き方の柔軟性。
また、変化することを制度や企業や自治体に求めるだけでなく、ママ自身も先に変化してみせなければいけない、と思う。
でなければママを信頼して、仕事を任せようと誰が思うだろう。




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