とっくり 2025.1.25

休日出勤。
終わらないタスクと言い知れぬ焦燥感を抱えながら、一人歩いていたその帰り、居酒屋に寄る。

土曜日の神田は混んでいた。土曜日なのに混んでいた。
相席に通され、見知らぬおじさんと酒を飲み交わすこととなった。

そのおじさんは、重たそうなコートを脱ぎもせず、ただ熱燗とつまみをちびちびとしていた。身体はずんぐりと大きく肉厚。しかしただ肥満なのではなく筋肉質。足下から作業着が見え隠れする。髭は伸び放題で、口も顎もモミアゲももじゃもじゃとまるで森のようだ。その所為で、一体いくつなのか見当もつかない。

「相席失礼します」
「んああ。構わないよ」

しばらく言葉を交わさなかった。

今日は私も独り呑みを決め込むつもりだったのだ。

最近、疲れている。体力は有り余っている。薄っすらと継続している筋トレのお陰だ。精神が死んでいた。いつも無意識にしていた気遣いや共感ができなくなっているのを感じる。自分と他者の境界線がその存在感を増していた。攻撃的になり、信頼を失い、負のループへと踏み込んでいるのが分かる。分かっているのにやるから、2面性が際立ち、多重人格のようになっている。

そんな事を考えながら、私も熱燗を決め込んでいた。今日は麦酒ではなく、熱燗だった。ぬくもりを欲していた。

「兄ちゃんは仕事かい?」

おじさんが口を開いた。

「はい、仕事で」
「そうか。いつも土曜はでてるのか?」
「いえ、休日出勤です。まあ、いつも出てるんですけど」
「そうか。そりゃあ大変だな」

そう言うと彼はまたお猪口を口に運んだ。

寡黙な人だった。

「お仕事ですか」
「そうだな。いまの現場は土曜日もある」
「お互い大変ですね」

うつぶく。話を続ける気力がない。

「そういや、『とっくり』ってなんで『とっくり』って言うんだろうな」

空になった徳利を指で持ち上げながら彼は呟いた。

「兄ちゃんも同じの飲むかい」
「ええ」
「じゃあ頼もう」

「『おちょこ』も、なんでそういうのでしょうね」

私がそう言うと、彼は少しこちらを一瞥した。

「そりゃあ、ちょこっとしか酒が入らないからじゃないのか」
「そんな感じなんですかね」
「そんな感じだろう」
「じゃあ、とっくりも『とくとく注ぐ』からですか」
「そうかも知れん。違うかも知れん」
「枝豆は?」
「ん?」
「枝豆って、ちょっと変ですよね。枝と豆なわけで。他の部位の話入って来ちゃってる」
「確かにな。それに、この状態の時だけだしな、枝豆なのは」
「ほんとだ。大豆ですものね」
「大豆というのもおかしい。小豆はあるが、じゃあ普通のサイズは何豆なんだ。寧ろ大豆が普通だろう」
「豆のデファクトスタンダードだ」
「でふぁ?何だ」
「デファクトスタンダードです。事実上の標準ということですね。大豆は名前としては『大』が付くけど、実際は『中豆』」
「なるほど。でも読み方『ちゅうず』なのか?それを言ったら『小豆』は何故『あずき』なのか」
……。

そんな話を延々と。そんな話なら延々と出来る。

そうだ。今までもそうやって楽しんで来たではないか。

少し、忘れていた。

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