自己紹介 はじめてのnote 〜双子であるということ②〜
こんにちは、ろこです。
最初の自己紹介で、人は「私はこういう人」というのが3つ重なった時に、その人オリジナルの特徴が出来る、というお話をしており、私の場合はこの3つ。
「双子であること」
「一児の母」
「癒しグッズが好き」
これらをテーマにして、自己紹介を深めております。
前回は、双子で良かった!楽しい!という経験をお話しておりました。
今回は、それとは逆に双子であることで辛かった…しんどかった…という経験を、皆さんに共有できればと思います。
比べられる。自分でも比べる。
双子のネガティブな面、と聞いて皆さんも何となく思い浮かべるのが、この「比べられる」ではないでしょうか。
そう、まさにこの「比べられる」こと。しんどかったんですよね。
双子ということはお伝えしておりましたが、双子の中でも一卵性双生児。
つまり顔は見分けるのが難しいほどそっくり。背丈、声や表情に至るまで似ていたのです。今でも同じ場に行くと、姉と間違えて声を掛けられます。
常に同じ顔が隣にいる。2人同時に人と出会うと、まず、どんな違いがあるのかを比べられる。例えば「ほくろがある方と無い方。背が少し高い方と低い方」など。
全然悪気があるわけではなく、興味を持ってくれていたからこそ、比べていたのだと、当時も分かっていました。
でも、特に思春期からは「比べること」のネガティブな面を見て、自分でも姉と自分を比べるようになっていました。
「私は姉に比べて可愛くない、髪の毛もくせ毛。
スポーツは姉よりも出来るけれど、私はガサツなんだ…。」と。
こう書いてみると、そこまで比べて落ち込まなくても…と今では笑えるのですが、当時の私は全て本気で悩んで辛いなと思っていたのでした。
片割れ。同じ顔だから、どっちでも良い。
冗談交じりにこういう言葉を投げかけられる事もありました。
片割れ。どっちでも良い。この言葉を言われると、「私は1人では、一人前の人間ではないのかもしれない」と、ぐさっと心にナイフが刺さったような感覚になったのを、今でも覚えています。
置いていかないで!!
子どもの頃は家でも学校でも友だちと遊ぶのもいつも一緒だった私と姉ですが、思春期、特に高校生になると、状況が変化しました。
双子でなくとも、皆が「自分とはこういう人間だ」と自我を確立していく時期。この時期、姉が将来の夢を見つけて、どんどん1人でも行動していくようになりました。
そこから、何をするにも一緒だった状態は一変。私は「待ってー!置いていかないでー!」という気持ちをいつも抱えて、思春期を過ごしていました。
この記事を書いてみて
今回、双子であることの辛かった、しんどかった経験を書くことは、なかなかエネルギーの必要なことだと気付かされました。
でも、改めて言葉にして皆さんに共有してみることで、
この辛かったと私が思っている経験を、自分の中や近しい人とだけで共有することで、自分を守り続けていたのかもしれない…という事にも気付かされました。
でも、人と比べて優越感や劣等感を抱くことや、「自分なんて…」と自分を責めてしまう気持ち、というのは多かれ少なかれ皆さん経験されているかと思います。
私と姉の場合は、双子という生い立ちがあったからこそ、この事に常に向き合ってきて、お互いがそれぞれの悩みを持ちながらも乗り越えてきました。だからこそ、今ようやく「最高で最強の同志」という今の関係性を確立させることが出来たのです。
こういった経験や感情を、どのように乗り越えてきたか、については自己紹介を終えてから、改めて皆さんと共有していけたらと思います。私が双子として経験してきた事が、同じように人と比べて落ち込んでしまう経験を持つ方の心に、少しでも響けば嬉しいです。
次回は、「私はこういう人」の2つ目。
「一児の母」について自己紹介できればと思います。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
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