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思い立って資格を取るまでのお話(28)

すっかり忘れてたあいつ

ここにきての!!

 試験まで期日も迫った、ある日。いつもどおりお迎えに行き、これもいつもどおり少しの寄り道をしながらの帰宅後に気がついた。
 保育園休園のお知らせ。
 どうもこのお知らせが流れ始めたのが、保育園で子どもを引き取っているころだったようで、これまで途中打ち切りでお迎えに行っているときは、皆「途中の時間」だったから、先生と話す時間があった。今回は、なし。
 頭の中でカレンダーを整理する。万が一この数日中に発症した場合には、試験・・・、重なる。
 まだ苦手なポーズだってあるし、苦手なシーンだってあるし、苦手な場面だってあるから、いろいろ想定して描けるだけ描いておきたいのに。それには、1日2枚でも足りる?ぐらい描きたいなって思ってたのに(ここ、「描かなきゃ」ではない。そのぐらい、「絵を描いていて楽しいな」と思えるようになっていた)。
 練習用の紙だって足りないから、買いたいのに(似た材質の紙、同じ材質だけどサイズが少し小さい紙ならある)。
 時計。もしかしたら時計がない部屋の可能性だってある。電池交換したいのに。携帯じゃなくてちゃんと腕時計を見て描くクセもつけたいのに。
 
 あれもこれもと「やりたいのに」が出てくる。
 ああ、この感覚。すでに忘れているけど、筆記試験直前と同じだな。
 
 筆記試験のときは点数に反映されて返ってくるのでやればやるだけ実感があったけど、今回は実技。実感としてどうだろうというのをつかむのはなかなか難しい。だから筆記のときよりも後悔のないぐらいにはやっておきたいのだけど。
 この本音の部分は隠して、旦那に言ってみる。もう、何度もヘルプを出して、それでも何も改善されないのでわかってはいる。それでもと、言ってみる。
「仕事の動かせる予定は動かすけども、今回ばかりはどうやっても予定が詰まっているの」
 その日旦那が帰宅したのは、日付が変わるころだった。

言ってしまった

 結論としてはわかっている。どうせ言ったって休んでくれるわけじゃない。それでも言う。なぜか。
 ほんの、ごくわずかでも「何か改善されるんじゃないか」と期待が残っているから。
 
 でも、今回も期待損確定。休み初日。
「今日も○時になる」(日付が変わるほどではないが、割と遅い時間)
 2日目。帰宅予定時間さえ言わず。
 3日目の今日、6月下旬。ひとまず夕飯をつくっていくだけはマシだけど、大鍋に肉じゃが。作るだけ作って出かける。記録的少雨でこの時期なのに連日危険なレベルの猛暑。食中毒の原因のひとつ、ウエルシュ菌が増殖するにはもってこいの環境だ。
 おかずひとつだけつくってあったって、結局仕上げたり、残りのおかずをつくる作業は私。煮物なんてひとつお鍋をコトコト稼動させている間に他のおかずも作れる「放置もの」だから、あくまで私にとってはあまり助からない。のに、おかずひとつ作って放置しておいて「作った気になっている」のが、私はイライラする。さらにウエルシュ菌を防ぐ方法「しつこくかきまぜたあと、粗熱が取れたらすぐに冷蔵庫へ」という手間が、追加される。
 食事を作るというのは、ただやればいいというもんじゃない。食中毒を防ぐことも視野に入れなければいけない。だから私は、そのつど言ってきた。
「カレーとか残ったら、タッパに移して冷蔵庫に入れておかなきゃ」
と提案しても
「まだ熱いから、かえって冷蔵庫の中のものが傷まない?」
と止められる。じゃあやってくれるのかと思えば、結局放置したまま。
「ご飯を最後に食べた人が、タッパに移しておいてね」
 平日はだいたいこの「最後に食べた人」が旦那なのだが、何度言ったってムダだ、いつもすぐに忘れられる。 

 そんな感じで結局は私の手間が減らされるどころか、よくて同等だいたい増えるだけなので、大して変わらない。のに、繰り返しになるが「自分はやってやってるんだ」という気になっているのが、本当に腹立たしい。
 「造形」の練習もしたいのに。ここでも、なんで1回45分「も」かかるものを選んでしまったんだろうと後悔する。
 腕時計の電池も換えなきゃなのに。近くのホームセンターは? と言われそうだったので、以前電池が交換できなかったことを言うと、
「じゃあ、近くの時計屋は? ちっちゃいところだから、やってるかわかんないけど」
 その前に、日中外に出られないんですが? 何のための休園?
 まだ筆記試験直前でなかった分マシだとは思うが、ここにきて練習時間を削られるのは本当に痛いし、いつも「子どもが休む=私も仕事を休む」になっているので、私だって仕事があるのに、なんで旦那は休まなくて私が休む前提になっているんだろう? とも思う。
 
 以前こんなことを言っていた。旦那は一応仕事先での肩書き上は幹部ということにはなるのだが(仲間同士の仕事なので、大したエラさはない)、
「役職もちは勤務時間関係ないから、仕事し放題だもんね」
と、仕事詰め込みすぎじゃない? と尋ねたときに返された。
 仕事し放題なのなら、増やすに限らず減らすことだってできるわけだよね?
 旦那の発言は、つまり自分は家ではなく仕事のほうを見てますよ、と宣言しているのと同じと受け止めている。

 こんな状況もどうにか打破したくて、ついに私は言ってしまった。
「私も、試験直前なんだけど」

まだごまかせているらしい

 試験直前であると打ち明けたのは、子どもたちが休み始めた初日のことだ。すると旦那が返してきたのは、
「資格試験か何か?」
 そこでなぜ、旦那は「(フリースクールの)子どもの試験?」と言わなかったのだろう。私の仕事といえばフリースクール。子どもと関わっているのだから、「子どもの」とだって考えられるのに。旦那だって仕事の中で子どもと関わっているので、中高生の定期テスト期間については、なんとなく把握はしているはずだ。 
 だから私は、あえて「誰の試験前か」は言わなかった。のに、「資格試験か何か?」と返ってきたので、一瞬ドキッとした。が、それ以上問われることはなく、結局いつものように「言っても変わらない」に落ち着いた。
 ここの展開次第では、筆記試験にすべて合格したことも伝えるつもりだったし、当然、私が何の資格を取ろうとしているかもばれることになる。それはそれで悔しいけれども、ここまでの自分の信念を覆してでも、私は旦那に「変わってほしいと思っている」ことを、知ってほしいのに。
 今のところ、試験を受けることはわかっても何の資格かまではわかっていないようで、たまたま見えた旦那のパソコン画面には、某民間資格の検索ページが出ていた。確かに以前その資格は気になるとは言ったことがある。旦那が覚えているとは思えないので、関連書籍が置いてある共通の本棚を見たか、昔その話をしたことがある共通の知人にでも尋ねたかもしれない。
 いや、私が狙っているのは、民間資格どころか国家資格なんですけどね。

時間を変えよう!

 子どもが日中家にいることでうまく練習ができないのであれば、逆に「子どもがいる」時間を利用する機会が増えたということだ。
 「造形」の練習に思うように時間を取れないのなら、「言語」の練習に充てよう。こちらのほうが何となくあらすじができているとはいえ、油断はできない。子どもたちという最高の「審査員」がいるこのタイミングを使わないわけにはいかない。
 そう思って日中に「言語」の練習をできたのは思うほどはなかったが、それまでちょっとオーバーすぎたのを、少し淡々としたものに切り替えた「最終版」を、見てもらうことはできた。もうこのころには何の話をするかは決めてあったので、
「おかーさん、また? ○○(その話)、好きやな~」
なんて言われたりもしたが、ニコニコ、ちょっとだけ「何やってんの?」という視線も交えながら、聞いてくれた。

呆れたような顔をしながらも、よく付き合ってくれました!

 「オーバーに演じたら」楽しいだろうなと思っていたが、むしろ演じすぎず、淡々と、でも必要なところはちょっと演じるぐらいがちょうどいいようだ。3歳児相手に「語りかける」「受け取った側が想像を膨らませる」のが目的、「演じる」と「語りかける」のとでは、訳がちがう。大げさにやってしまっては、相手が「どうなんだろう?」と想像するのを遮ってしまうことにもなる。
 危ない危ない。実技用のテキストを見ていなかったら、大げさなままだった。
 淡々と話すようになった分、少し時間に余裕ができた。その分、これまで時間内に収めるために省略していたところを少し復活させた。
 
 「造形」の練習は、上の子がゲームをしているあいだに。だいたいひとつ描きあげたらゲームを終わってもらうぐらい、と自分の中で設定しておいた。上の子がゲームをすると言うと下の子もついていって、上の子のゲームを横目に一人で遊んでいられるし、これが午後ならちょうどお昼寝タイム、寝てしまうこともある。
 「造形」も、まだまだ不安はたくさんある。けれど、一通りのポーズはたぶんやったし、あとは場面の読み間違えさえしなければ、たぶんいけるだろう。

 泣いても笑っても、本番は7月3日。ここまできたら、お盆に最高の笑顔でいたい。
 (後付になるが、結局子どもたちを含め全員陰性だった)

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