見出し画像

うちのPTA大改革⑤ 最低限の活動をしました

気づいたら最後の投稿から1年経ってました。
ついに末っ子が今年3月に卒業することとなりました。
そうです、PTA卒業です!
気づいたら10年。この10年がとにかく濃すぎて「辞めたらロスになるんじゃない?」と言われ続けています。いえいえ、THE 解放感です。

最後の1年間も改革をしていました。すでに任意団体となっているうちの学校ですが、以前に比べて活動に参加する方もかなり減ってきました。そこで、この1年間行った改革をつらつらと書き留めておきたいと思います。

①「PTA」ではなく「ニックネーム」を作りました
②PTA共済には加入しませんでした
③「バザー」ではなく、小学校を活動拠点とする地域移行したクラブに声をかけクラブチームからの出店とキッチンカーを呼ぶ「マルシェ」に変更しました
④基金を解体しました


①「PTA」ではなく「ニックネーム」を作りました
とにかく「PTA」という響きに過剰反応を起こす人が多いこと多いこと。
それならば!と、全児童、全職員、全保護者対象でニックネームを募集しました。「最優秀賞には図書カードをプレゼント!」としたところ100を超える応募があり、とても楽しかったです。ほぼ子どもたちですが、これが目的でした。子どもたちが決めた名前にすると子供から親へ話が行き、そこから少しでも参加しやすい空気を感じ取ってもらいたいと考えました。
安易だな、と思った方も多いかと思いますが、これだけでハードルが2つくらい低くなって参加者が増えたことが不思議です。

②PTA共済には加入しませんでした
PTA共済に加入しなかったことで困ったことは一つもありませんでした。以前お話しした通り、AEDの関係で会長のみを加入です。共済事務局からご指摘を受けることもなく、何事もなく過ごしております。

③「バザー」ではなく小学校を活動拠点とする地域移行したクラブからの出店とキッチンカーを呼ぶ「マルシェ」に変更しました
この活動に関しては少し記録しておきたいです。理由は大成功だったからです(相変わらずの自画自賛)。ですので、次のお話でじっくり書きたいと思います。

④基金を解体しました
震災をきっかけに頂いた寄付金や活動がなくなったことで使えなくなった予算を移行して基金を作っていました。そこから突発的な活動や災害で被害にあった小学校への寄付などをしていました。が、被災経験がある子どもたちもほぼ卒業することになり、子どもたちに還元し解体することにしました。内容は、校内を使って謎解きウォークラリーを開催。子どもたちの思い出になるステキな一日となり、ほぼ全員が満足してくれたと思います。

そういえば、以前お話しした次のPTA会長ですが、見つかりました!
まじめすぎるところが少し心配なパパさんではありますが、何かあった時はきちんとPTAとして意見を言える方です。そしてこのパパさんから「仕事や子どもが参加しているスポーツクラブの関係もあり、長く続けられない」と話してもらいました。私ともう一人の会長さんの意見は「最終的には数人でAEDのためのPTA共済とそのための会費納入、自治体との繋がりのみを残してPTAを休止するといい」と伝えました。長くPTAをやってきたからこその私たちの結論です。「解散」も考えましたが、解散することは学校との意見交換の場がなくなること、自治体との繋がりや防災の観点から現実的ではないという答えに行きつきました。最終的にゼロにすることはできません。子どもたちの安全を守ることを考え、最低限の活動を行うことが来年、再来年の課題になると思います。

PTAの解散についてはそれぞれの学校がしっかりと考えるべきであり、安易に「解散だー!」と声高に言えることではないと私も学びました。
その地域と学校がどのような繋がりなのか、被災経験があるからこそ何が必要だったのか、子どもたちにどんな安心が必要なのか、しっかりと調べた上で時間をかけて決めるべきことだな、と今は考えています。

いいなと思ったら応援しよう!