会議は重要か、それとも、無駄か
[要旨]
「会議は重要」と考える人もいる一方で、「会議は無駄」と考える人もいますが、そのような場合、両者の間で、「会議」という言葉を異なる意味で使っていると考えられます。したがって、相手に正しく自分の意図を伝えるには、言葉の意味を明確にしたり、何度も伝えたりするという工夫が必要です。
[本文]
キヤノンの常務取締役や、キヤノン電子の社長を務めた、酒巻久さんの著書、「キヤノンの仕事術」を読みました。同書の中で、酒巻さんは、「会議は経営者や上司が、自分では思いつかないような、新しい考え方や試みを、部下から引き出すためにある。どんなに優れた経営者や上司であっても、いつまでも時代にキャッチアップできるわけではない。知識や経験は力になることがあるが、逆にそれが、発想の固定化、硬直化を生むこともあり、いつか気づいたときには、会社が時代から取り残されてしまう」と述べておられました。
私は、このような酒巻さんの考え方は、とてもすばらしいと思っています。そして、このように考える経営者の方が増えて欲しいと思っています。その一方で、しばしば、「会議は無駄」という批判も耳にします。そのような意見について、理由を聞くと、それはそれで理解できます。ただ、そのようなときは、「会議」が指すものが、酒巻さんのいう「会議」と違っていたりします。
例えば、すでに結論が出ているのに、形式的に開く会議だったり、社長が一方的に話すだけの場だったり、参加者が文書を読み上げるだけだったりするような「会議」です。そのような意味での「会議」は、間違いなく無駄です。でも、酒巻さんのいう「会議」も、会社が安定的に成長するためには重要です。
このように、同じ「会議」でも、人によって180度意味が違ってしまうので、言葉の定義はとても大切だと、私は感じています。特に会社のような組織では、伝える側と、受け止める側で、認識に差が出ないよう、言葉の定義を明確にしたり、間違って伝わらないように、何度も伝えたりするという努力は欠かせないと、私は考えています。