10,000日という時間がくれたもの。
私は、4人兄弟の末っ子として1993年4月16日に生を受け、本日生後10,000日を迎えました。
人生120年の時代なので今は違うかもしれませんが、人生たった30,000日という言葉を中学生の頃に聞いて、ずいぶん少ないなぁと感じたのが昨日のよう、気が付けばもう1/3が過ぎてしまいました。
地方公務員の父と専業主婦の母の元比較的節約をしながらも中流家庭の生活をして育ちました。
小学校、中学校、高校まで公立で、成績は常に下の下くらいを維持し、受験の年だけ死ぬ気で頑張りました。
小さい頃から社会とか歴史がすごく好きで、なんとなく事象の抽象化を自分でして理解したりするのが好きでした。
自分の生誕10,000日目を契機に、改めて自分の今までの人生をつらつらと振り返って、個人的に1万日の学びをまとめてみようかと思います。
⑴人は縁の中で生き、活かされる。
今までの人生で、自分の一個の大きな財産は何か?そう問われたらきっと人とのご縁と答えると思う。
大学、友人、会社、本当にめちゃくちゃいい人に囲まれていて、なんでこんなに良い人ばっかりなんだよ?って常日頃思ってます。
特に社会人になってから思うのは、みんな忙しいし、みんなそれぞれの生きる世界が広がるけど徐々に交わる面積って少なくなってくる。
例えば、高校や中学、小学校の時の友達の大部分と大学に入ると連絡を取らなくなったり、大学卒業するとそれまで会ってた人ともかかわりが薄くなるみたいな感じです。
昔も今も変わらないのかもしれませんが、自分の中で最近ようやく掴んだ不思議な感覚
”人との縁は凄く個性的で、それぞれ違う意味がある”
凄く価値観のあってた人と一時期疎遠になることとか、
この人と昔から友達と思ってたけどまだ数回しか会ってないとか、
この人とあんま馬が合わないと思っていたけど、なんか知らない間にめちゃくちゃ仲良くなるとか、
全然親友と連絡を取らなくなったけど、いつ話しても普通に会話で盛り上がれるとか、
知らぬ間に兄貴と慕うような存在になってたりとか、
気づいたらお互いに人生の岐路を応援しあえる間柄になったりとか、
周りの人が評価する人の考え方がどうしても好きになれないとか、
苦手だった上司との経験が今の自分の考え方を作ってくれたりとか、
仲の良かった後輩が友達になり、切磋琢磨するライバルになったりとか、
人との縁って本当に個性的なんですよね。
なんか縁って言葉に、コネクションとか、人脈とか、人とうまく繋がる処世術的なニュアンスが勝手にあってあんまり好きじゃなかったんです。
ただ、最近感じるのがそんなスキルでどうこうするものではなくて、
その一つ一つの大切にし方とか、向き合い方がそれぞれあって、誰かにとって最高の縁でも、自分にとっては最悪の縁にもなる。
その一つ一つの縁によって今の自分の考え方や、人生の進むべき道が切り開かれていくんだと思います。
実は最近自分の中で自分の大切にしたい縁の基準もできました。
だからこそ、縁とのかかわり方ってなんとなくではなく今まで以上に大切にしなきゃいけないなと。
私たちはきっとこれからも、社会で生きる以上、縁の中で生き、縁に活かされていくんだろうなと。
⑵挑戦は全部素晴らしいって話
ロサンゼルスにある、ストリートパフォーマンス、スポーツ、アートで有名なベニスビーチに行った時の話。
旅行だしと、端から端まで観て回って、海沿いの道をひたすら練り歩くと、凄い活気と共に色んな人が人間離れした色んな事をしてました。
日本の公道では見る事のない光景だし、それなりに色々なパフォーマンスを楽しんで、帰路に向かう途中で立ち寄ったスケートボードリンクでの事。
凄いスピードでスケートボードに乗る若者達、みんな技を決めたりしながら猛スピードでリンクの中を駆け回って、
そのリンクの周りには、他のストリートパフォーマンス同様それを見る人で囲まれていました。
きっとやりながら上手い人たちは凄い気持ちがいいんだろうなぁなんてぼーっと眺めてると、左側から若いアメリカ人男女の笑い声が聞こえてきました。
そちらへ目をやると、そこには40~50歳程のおじさんが、他の若者と違いヘルメットと膝のサポーターを付けて参加しており、
よく見てみるとスケートボードの上手さで言えば多分他の若者達とはレベル違いで、凄い技を決めて滑るボーダー達とは対照的でした。
そこで気づいた、聞こえてきた笑い声はこの人を笑ったものだったんだと。
そのおじさんは多分気づいていたけど、ミスした後も急いでリンクから出て、また定位置から何度も挑戦をしていて、
ずっと見てると技は何もしないが1個目の坂、2個目の坂をクリアして、すーっと滑っていったりするようになった。
その時には笑ってた若者はもう立ち去った後であったけど、何故か自分の心の中には凄く悔しい気持ちと嬉しい気持ちが残っていました。
きっとそれは、社会で度々自分が感じてた事であるし、改めて自分がこれから戦うフィールドで絶対に経験していく事だから。
"頑張ってる人を批評だけする人"
"本気でやってる人の足を引っ張る人"
沢山見てきたけど改めて、綺麗なほどのそれを見てしまった。
日本でもアメリカでも変わらない。
素人の自分にはおじさん程も滑れる気もしないし、それを練習して出来るようになったあのおじさんは凄い。
笑ってた人達もきっと絶対に自分はあのレベルも出来ないと思います。
それでも安全で恥をかくことも、怪我をすることもないリンクの外から挑戦している人を観て笑う。
自分は絶対にそうならない、なりたくないと心の底から思わされました。
頑張ってる人の可能性を否定する権利なんて誰にもありはしないし、その人達を笑って足を引っ張る理由なんて何もない。
あるとしたら足を引っ張ることで努力しない自分を正当化するくらいしかない。そんなつまんない大人に絶対にならない。
それでもおじさんを観てて、徐々に気持ちよさそうに滑るのを観てこっちも嬉しくなったし、勇気をもらった。
自分は同じ年齢になった時に、同じくらい恥を覚悟で挑戦出来るだろうか考えると、やっぱり本当に尊敬に値するし、すごいなと思う。
彼には改めて何歳になっても、新しい挑戦をすることに遅いなんてないし、ひとの笑いだとか、否定とか、ネガティブなものに引っ張られない事の偉大さとかっこよさを教わりました。
自分もあんなカッコいい大人になりたいし、そうなる為には外の声ではなく自分の内なる声をちゃんと聴いてかっちょいい挑戦をし続けないといけないなと。
⑶愛に出来る事はめちゃくちゃある
はい、一昨年くらいにSingaporeでライブみたRADWIMPSさんの曲への返答です。
めちゃくちゃ青臭い事言います。恥ずかしいですが、挑戦は全部素晴らしいので。。。
振り返ると、人生で一番私を傷つけたのは愛であり、一番私を救ってくれたのも愛でした。
詰まるところ、人生で最も大事なものだと思います。
若造の回顧録なので、心優しく読んでくれればと思うのですが、
結局、人間的な成長というか今の人生観とか、考え方の基を作った経験はたくさんあるんですが、愛ってめちゃくちゃ偉大で恐ろしい。
もはやこれには畏怖の念ですね。
手放しで感じられる安心感も、
悲しくて、立ち上がれない経験も、
なんでこうなってしまうんだろうという憤りも、
なんでもない事が楽しく感じられる日々も、
明日も頑張る理由、
挑戦する理由、
折れない理由
生きる理由
なんでもくれる。
自分の場合は恋愛とか、世界、社会に対するものだったけど、家族愛とか、会社愛とかなんでもいいと思うんです。
アルバートアインシュタインの娘への手紙という文章にかなり近いのですが、人の言葉を借りるなら下のLinkのこんな感じです。
好奇心とか、ワクワクの力も強いけど、個人的な10,000日の学びは、愛こそが最強の原動力になりうるという事です。
初めに話したところからの総括になりますが、次の10,000日も、
自分の中の愛を大切にし、愛のある縁を紡ぎ、素晴らしい挑戦を続けたいと思います。
引き続きよろしくお願いします。