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「画像生成AI」について

生成AIでもロゴを作成できるようです。有名なのはMidjourney(ミッドジャーニー)ですね。

AIの到来で、イラスト業界は既に終わっているという著名人や文化人達がいますけど、僕はそれをまったくもって否定します。

そもそもAIで生成したイラストって分かりませんか?メチャクチャ違和感あるように感じるのは、僕だけですかね。とにかく体のパーツがオカシイ。

イラストの世界は、人間の手足もあえて長く描いているものもあるし、動物をモチーフにしたキャラクターに至っては、指が3本や4本もある。ところがそれらはオカシく見えない。クリエイターの世界観で補われているのかもしれませんが、不思議ですね。

つまり「オカシイのがオカシイ」のではない。

ところが、生成AIとなれば、それがオカシく見える。原因はそれ以外が完璧なまでに精密なディテールだからです。であるのに、一部分にだけ極度な異変がある。特に手足や指などは、本数や左右のチグハグ、長さや角度など、ゲノム変異のようで気持ちが悪い。植物なども同じで、図鑑にも載っていない草花ならまだしも、存在しているもの同士の掛け合わせなどを生成しているから、これがまた気持ち悪い。

完全な全体像の中に紛れた局所的に不完全の描写。そして、そこから感じとれる作品の意図もない。作者からの感情が読み取れないから、受け取る側の感情が困惑する。なんとも無機質な偶然の特異産物です。

だけど、それが販売されてるということは、気づかない人もいるのか、もしくはそれでも満足されているということなのでしょうか。

また、これは絵に限ったことなのかと言えば、決してそうではありません。

特に「グラフィティ」に至っては文字化けのようになって、全く再現できていません。当分ダメだと思います。

これまで「絵」と「文字」というのであれば、絵の方が人間の感覚的センスが必要とされて、模倣可能性が低いと思っていましたが、どうやら勘違いで、規則的でないグラフィティやタイポグラフィなど、人間が感覚的に心地良いと感じてデザインした文字というのは、アルゴリズム化が難しいことが露呈されたように思えます。

僕たちは、アート作品に対し「何かが気持ち悪い」「何かが心地よい」というのを根拠なき自信で答えますが、その違いは必ず存在してます。

AIによって尺度の幅は狭まり、今は判断基準が曖昧でも、人間の感覚のレベルが次第に追いついて、ある地点から人々はAI生成とフリーハンドの違いを明確な違和感として感じるようになると思っています。時間はかかるかも知れませんが、僕はそう予想しています。

そうにでもなれば、アルゴリズム化できない美的感覚が、人間のヒューリスティックにのみ存在すると分かります。となると、これは皮肉にもAIのお陰ですね。

こんな理屈を長々と語っていると誤解されそうですが、僕はなにも、苦労せずに作っている行為が、悔しくてこんなことを言っているのではないですよ。

むしろ、効率よくイメージを具現化できるなら、画力ではなくて、発想力で勝負するだけになるので、それならそれで大歓迎です。

ところがそうはならない。いくらプロンプトを工夫しても、思い描いたイメージを超えることができない。仮に構成は悪くないと思って、手直しで補正することにしても、あれもこれもオカシイとかで、ドンドンと修正して、こんなに手間をかけるなら、生成させた意味あるのかなという程にまで手間をかけなければ、例の「気持ち悪さ」が取れない。

もはやweb上から色々なものを、参考にして自分でイメージを組み立てる方がよっぽど簡単に感じます。

...とまぁ。

色々と書いて満足したので、そろそろ寝ますね。笑

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