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【池田遥邨】日本画 / 彩色 査定 鑑定 買取 致します

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池田 遥邨
絹本・彩色


◎池田 遥邨の芸術

池田遙邨(いけだ ようそん、1895年11月1日生まれ)は、昭和期を代表する日本画家であり、本名は池田昇一です。岡山県浅口郡乙島村(現・倉敷市玉島乙島)に生まれ、幼少期から画才を示しました。父親の転勤に伴い大阪市に移り住み、1910年、15歳で松原三五郎が主宰する天彩画塾に入門し、洋画を学び始めました。1914年、18歳の時に第8回文展に水彩画「みなとの曇り日」が入選し、天才少年画家として注目を集めました。

その後、1919年に京都に移り、竹内栖鳳の画塾・竹杖会に入門し、日本画に転向しました。同年、第1回帝展に「南郷の八月」が入選し、日本画家としての道を歩み始めました。1923年の関東大震災後には、その惨状を描いた「災禍の跡」を帝展に出品しましたが、落選しました。一時帰郷し、寺に籠って画作の研究を行うなど、自己研鑽に努めました。

1928年、第9回帝展で「雪の大阪」が、1930年の第11回帝展で「烏城」がそれぞれ特選を受賞し、画壇での地位を確立しました。また、1936年から1949年まで京都市立絵画専門学校(現・京都市立芸術大学)で助教授を務め、後進の指導にも力を注ぎました。1953年には画塾・青塔社を主宰し、多くの若手画家を育成しました。

池田遙邨の作品は、自然と旅を愛する彼の人生観が色濃く反映されています。特に、歌川広重の「東海道五十三次」に影響を受け、1928年から1938年にかけて三度にわたり東海道を徒歩で旅し、そのスケッチを基に「昭和東海道五十三次」を制作しました。この作品は、広重への敬意と自身の独自の視点が融合したものであり、彼の代表作の一つとなっています。

美の旅人 池田遙邨遺作展 京都国立近代美術館 1989年 毎日新聞社 図録

晩年には、俳人・種田山頭火の自由奔放な生き方と詩情に共感し、山頭火の俳句をモチーフにした作品を多く手掛けました。自らも山頭火の姿で旅をし、その体験を作品に昇華させました。これらの作品は、簡潔な構図と淡い色彩で詩情豊かな世界を表現し、多くの人々の心を打ちました。

その功績が認められ、1960年に「波」で日本芸術院賞を受賞し、1976年には日本芸術院会員に選任されました。さらに、1984年に文化功労者として表彰され、1987年には文化勲章を受章しました。1988年9月26日、急性心不全のため京都市で逝去し、享年92歳でした。


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