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一緒に幸せになりたい人

大事な人ができた。


誰にでも愛することは出来る。
幸せになるには、見返りを求めず愛を与える。
愛するのは難しい。
愛するには勇気がいる。

アドラーがそう言っていた。
別れてわかったことは、誰にでも愛することは出来るが、容易く愛せるかどうかは別だということ。

前の恋愛では、今の彼が元彼の背中を押して付き合った。
「2人が幸せならそれでいい。嬉しすぎて泣きそうになったよ。」
本当に良い友達を持ったな、ぐらいにしか考えてなかった。
後から聞くと、この頃から私のことを好いてくれていたらしい。
でもそれ以上に私の幸せを願ってくれていた。
いつでも大事な人の幸せを願っていた。

元彼と上手くいかない時も唯一頼っていた。
自粛でお互いの家が遠いこともあって通話越しだったけれど、物心ついて以来初めて友達の前で泣いた。
端末の向こうでは、困った様子でもあり苦しそうで、私の痛みを感じとっている姿が少し嬉しくもあった。

元彼とは別れて、別れの相談の電話がきっかけだったけれど、それから2人で遊んぶことが増えた。
手作り料理をあんまり食べたことない彼に弁当を作ったり、海辺ではしゃいだり、ただただ純粋に楽しかった。
前から意気投合することが多いと感じていたが本当に何回もハモったり、同じような感想を言って、その度に笑い合えるのが幸せだ。


「死ぬほど好きです。」や
「ずっと一緒に居たい。」など
臭い言葉が好きじゃない。
嘘臭い。
そんな言葉に喜ぶ人を馬鹿馬鹿しいとさえ思っていた。

「一番腹を割って話せるのは君だから、一生かけて愛すよ。こうやって正直に伝えようって考えになったのも君と出会ってできたんだ。そうしてくれた君が幸せなら僕は幸せなんだ。」

君の言葉はとても正直で取り繕ってる感じもない。
君は随分と素直な人だから同じような言葉をやんわりと前から伝えてくれていた。
友達としてなのか、それとも異性としてなのか分からなかったけど、そんなの関係なく言っていたんだね。

本当はずっと、ずっと、誰かからのその言葉を待っていた。
高望みは良くないし、どうせ裏切られるのだから信じなかった。
友達に褒められることさえ受け入れ難いのに、その時は私の心にすっと入ってきた。

告白というのか分からないけれど、こうやってお互いの気持ちを伝え合って大体2ヶ月ほどになる。
だから付き合った記念日とかはないし、いつから付き合ったのかもよくわかっていない。

告白という枠に囚われず、お互いのらしさが出ていてどこまでも居心地がいい。

「きっと愛そうと思えば誰のことでも愛せるんだよ…。誰にでも愛せる中で唯一、一緒に幸せになりたい人だ。」

アドラーの言う通りだ。

「俺も愛する人は色々いるけど、自分が幸せにしたい相手、相手の幸せが自分の幸せな相手なんだ。」


やっと通じた。

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