なぜロートは「たった半年」でスキンケアのトップブランドを開発できたのか
スキンケア化粧品のカテゴリで14年連続で販売数日本一※の「肌ラボ」。製薬会社が本気で取り組んだ化粧水として誕生し、ロートのスキンケア事業を牽引しています。
※インテージSRI・SRI+基礎化粧品5カテゴリ(化粧水・乳液・美容液・栄養クリーム・フェイスマスク) セルフ+薬系市場:主要シリーズ別 2007年4月~2017年3月(SRI)2017年4月~2021年3月(SRI+)販売個数
私たちは、リニューアルのnoteで、挑戦のプロセスを伝えたいと書きましたが、実は、はじめに取り上げるエピソードは「肌ラボ」の開発ストーリーにしようと決めていました。
なぜなら、この製品の開発の背景には、ロート製薬のベンチャースピリットを象徴するような、若手社員の躍動があったからです。
このnoteでは、ロートを代表する商品に育った「肌ラボ」開発前夜に、20代のメンバーが挑戦した軌跡を紹介します。さらには、100年を超える老舗企業が、どのようにして新たな分野を開拓していったのか。徹底してクオリティにこだわる経験豊富なメンバーは、若手メンバーの挑戦にどのような姿勢で向き合ったのか。
そんな内容を、肌ラボをご存知ない方や、ロート製薬のことをふだんから意識していない方にも向けて書きました。いつも自分らしく、生き生きと過ごせるための健康を、noteを通じて、サポートできるきっかけにもなればうれしいです。
お客さま視点での気づきから始まった
ーー2003年の秋、商品企画担当の村本は、新たな企画のヒントを求めて、ドラッグストアを歩いていました。きらびやかな大手化粧品メーカーの商品が棚にずらっと並ぶ一方で、その年の春に転職してきたばかりで入社1年目の彼女はあることに気づきます。
村本「成分にフィーチャーしたコスメが出はじめていて、おもしろいな、と感じたのを覚えています。その頃、チョコレートのポリフェノールに抗酸化作用があるなどと、テレビの健康情報番組で話題になっていたりして、成分や効果などの機能の部分に関心が集まっているのを感じていました。」
村本 由理 / 2003年3月入社。人財・WellBeing経営推進本部。ロートネームはむらもっちゃん。肌ラボが生まれた当時の所属は、マーケティング本部 商品企画部 企画3グループ。
ーー18年前の当時、売り場には、ヒアルロン酸や尿素を配合した製品が並び始めていましたが、広いスペースが与えられているわけではなく、まだまだバラエティ化粧品的な扱いが顕著でした。
村本が、それらの売上データを調べてみると、大手の既存ラインナップと比べたらまだまだ小さいものの、徐々に伸びていることが分かります。
ロートならではの、成分にこだわったものをつくりたい
村本「まだ、転職して1年目で、マーケティングの知識はぜんぜんなかった。ほんとうに素人です(笑)。でも、ロート製薬ならではの、成分にこだわった商品をつくりたいと思いました。
あと、自分の支払う化粧品代が、良い成分や効果のあるものに使われていてほしいと思ったんです。紙箱やクリアケースといったパッケージや、女優さんの起用にお金が使われているだろうというのは、想像できたんですが・・・」
ーーそうして、村本は、自ら歩いて感じたことを元にした「成分コスメ」を提案します。当時のロート社内では、外皮薬(塗り薬)のメンソレータム、高価格帯のオバジに続く商品が期待されていて、手に取りやすく、付加価値を備えた「中価格帯プロジェクト」と呼ばれました。
2003年当時の製品マトリクス。中価格帯の文字がある
村本「その後、データを集めて、周囲にも相談し、想いを伝えた結果、企画が通り、チームが結成されることになりました。
そして、これは今思えば、かなり大きな転機だと思うのですが、チームが結成されてまもなく、原料を扱っている会社が、スーパーヒアルロン酸を売り込みに来てくれたんです。
商談に同席したチームの上司とも話して、通常のヒアルロン酸の2倍の保水力をもつスーパーヒアルロン酸を、ロート製薬なら、成分の裏付けを検証して、届けることができるのではと考えました。」
ワンチームで成し遂げるブレイクスルー
ーー肌ラボの開発でとくに重要なポイントのひとつは、村本がドラッグストアを歩いていたあの日から、わずか半年で製品化にたどり着いたことです。新商品の開発には数年かけて取り組むことは珍しくありません。では、どうしてこれほどまでに急ぐ必要があったのか、聞きました。
村本「成分コスメが流行りはじめていたので、急いでつくりたいと思っていました。企画にとりかかったのが2003年の秋なんですが、次の秋冬シーズンには間に合わせたかったんです。・・・今では、それが無茶なスケジュールだと分かりますが、当時は怖いもの知らずだったから、押し通せてしまった部分があるかもしれません。」
ーー通常、メーカーが秋冬シーズンの展開に間に合わせるためには、さかのぼって初夏を過ぎるころには商談が始まっていないといけません。なので、遅くとも春には商品としての完成が必須となるので、チームに残された時間は半年足らず。この時点で、大きなブレイクスルーなしには完結できないミッションでした。
限られた研究開発スケジュール
ーーですが、商品企画チームの頑張りもあり、経営層からはゴーサインが出ます。いち若手社員の着想から始まったプロジェクトですが、社としてリソースをかけるに値するという判断がありました。ここから、研究開発チームとタッグを組んでの闘いが始まっていきます。
村本「スケジュールでいちばん厳しかったのが、製剤です。製薬会社として品質にこだわるのはもちろんですが、化粧品としての使い心地も両立させたくて、研究開発のチームにはたくさんのリクエストを出していました。何より、ヒアルロン酸の”とろみ”をどうしても活かした手触りにしたかったんです」
ーーのちに「肌ラボ」と名前がつけられるこの化粧水は、ほかの商品と同じように、使っていただく方の手に渡る前に、徹底した安定性や安全性の試験が待ち受けています。製薬会社としてはもちろん、中途半端なものを出すわけにはいきません。おのずと、製剤の開発期間は限られます。そんなきびしいスケジュールの中、研究開発チームに与えられた猶予はあまりありませんでした。
村本「時間がない中でしたが、研究開発のメンバーには企画に込めた想いをしっかりと汲んでもらえて、あり得ないような短いスパンでたくさんのサンプルを出してくれました。そうした協力のおかげで、実現したかった、ヒアルロン酸の効果をしっかり感じてもらえる処方を早い段階で固めることができました。保湿感はもちろん、使用感も諦めることなく、満足のいく仕上がりになりました。」
ーーこうして、中身が決まりました。ですが、この新しい商品を、どんなふうにして世の中に伝えていくかも大切です。パッケージや広告をふくめ、大手メーカーの既製品との差別化をどう図っていくか。コンセプト決めのディスカッションが白熱します。
余計なものを削ぎ落とした「パーフェクトシンプル」
村本「商品価値として、効果のある成分に着目して余計なものを削ぎ落とすという点にこだわり、『パーフェクトシンプル』というコンセプトに行き着きました。
発売時、パーフェクトシンプルを前面に打ち出した
ネーミングについても、数え切れないくらい候補を出す中で、長年、肌の研究を重ねてきたロート製薬の研究室発であることを表現する『肌研究室』という言葉が光っていました。
それだと硬すぎるかな、とか、ラボラトリーのイメージはよさそう、などと議論を重ね、身近に考えられるようなイメージに落とし込んで『肌研(ラボ)』という名前がつきました。」
ーー発売当時の肌ラボのボトルには、リニューアルを重ねた今では使われていない「肌研」の文字が刻まれています。また、現行製品とは異なり、しっかりとしたガラス瓶であることもポイントです。
発売当時のボトル(左)と、現行のボトル(右)
パッケージの質感を大切にして、生産現場や品質管理のメンバーも一丸となって、大手化粧品メーカーのブランドと真っ向から挑んだ名残と言ってもいいかもしれません。この、肌ラボの容器の開発についても、試行錯誤のエピソードに事欠かないのですが、このnoteでは割愛します。
ロート製薬のイメージに風穴を開けられるかもしれない
ーーところで、このボトルは、実は社内にもほとんど残っていなくて、当時、肌ラボの広告設計に携わっていた岡野が大切に保管していたものを、このnoteのために借りています。
入社3年目という若い年次にも関わらず、村本たちが考え抜いたコンセプトを引き受けて、世の中に伝えるためのコミュニケーション周りを担当した岡野は、プロジェクトに関わっていた当時のことをこのように振り返ります。
岡野 亜矢子 / 2000年4月入社。マーケティング&コミュニケーション部クリエイティブ担当マネージャー。ロートネームはおかのちゃん。肌ラボが生まれた当時の所属は、広告部 クリエイティブグループ。
岡野「新卒入社後、メンソレータムや目薬など、すでにあるブランドに関わる仕事をしていたので、新しいブランドの立ち上げに関われることが、何よりうれしかったですね。
村本さんたち商品企画チームの想いに共感して、ロート製薬のイメージに風穴を開けられるような商品になるかもしれないとワクワクしたのを覚えています。やってやるぞ、と思いましたね」
長く残り続けるメッセージでありたい
ーー『肌にいいこと、肌ラボ』というフレーズを耳にしたことがあるでしょうか。テレビで、売り場で、肌ラボの誕生からずっと商品に寄り添うタグラインです。商品企画と広告、チームの垣根を超えて、たくさんのディスカッションを重ねました。
岡野「『パーフェクトシンプル』というコンセプトをベースに、使う人にとって普遍的で、すっと入ってくるようなメッセージにしたいと思っていました。
発売前でしたが、肌ラボの価値を信じていたし、その時だけのコミュニケーションにはしたくなかったですし、企画チームとしてものちの資産になっていくものを望んでいました。そこで、ジングル(数秒程度の短い楽曲)をつくることになりました。」
「肌にいいコト」は、現在に至るまで使用している
岡野「たくさんのアイデアの中から『肌に、それだけ』『いいこと、まっすぐ』など、何十案もメッセージの形に落とし込んだことを覚えています。
その中で、一番しっくりきたのが今でも使われている『肌にいいこと、肌ラボ』という案でした。機能や効果の押し付けになっていないかを徹底してチェックしましたし、使う人に『これは私のものだな』と共感してもらえるものとして選びました。
収録の際にも、サウンドの親しみやすさや、言葉の響きについても、何度も何度も検証を重ねて、仕上げました。長年、親しんでもらえていることをうれしく思います。」
スキンケアからウェルビーイングが高まる体験を
ーーこうして生まれた「肌ラボ」は、その後、関わったメンバーの想像を超えた大ヒットにつながっていくことになります。品質を追い求め、使う人の心と体のウェルビーイングを考え抜いた、ロート製薬のスタンスを宿した商品として、長きに渡って、多くの方に愛用いただけています。
さて、「肌ラボ」発売までのシーンを切り取った、このnoteの締めくくりとして、ロート製薬のカルチャーがどういうものなのか、触れておきたいと思います。
入社年次の浅いメンバーがフロントに立つことでの、仕事を進める上での悩みはなかったのだろうか。今では、人財・WellBeing経営推進本部でロート全体に関わってくれている、村本は当時を振り返ってこう話します。
村本「ロート製薬では、若手のやりたいという気持ちを応援してくれる空気がずっとあるんです。肌ラボの企画でも、ただ任せてくれた、というわけではなくて、上は上どうしで連携してくれているんだな、と感じてもいました。
でも、想いを伝えないで済んだ、ということではないんです。いっぱいぶつかったし、いくら意見をぶつけたとしても、受け止めてもらえる信頼感が当時からありました。」
挑戦を応援してくれる環境が”ロートらしさ”
ーーたくさんの方にご愛用いただいている「肌ラボ」開発の背景には、若手の挑戦を容認し、後押しするロート製薬らしさがありました。最後に、現在ではクリエイティブのマネージャーとなった岡野に、ロート製薬らしさをどう考えているかについて聞きました。
岡野「社歴を重ねるごとに、若手メンバーのフレッシュな考え方を応援したくなるんです。当時、入社して間もない頃だったのに『いいからやってみ』『一人で飛び込んでこい』みたいに声をかけてもらえたのは、自分が部下をもった今、すごいことだと思えます。
仲間に話してみると、一緒にやってみようか、という輪が自然に生まれたりと、挑戦を応援してくれる環境がロートらしさだと思っていますし、それが自分が突き進んでこれた要因にもなっています。」
肌ラボが生まれるまでの話だけで、5,000文字を超える長文になってしまいました。ここまで読んでいただき、ありがとうございました。ぜひ、SNSなどで、感想をお寄せいただけたらうれしいです。すべて、読ませていただきます。
このnoteの更新情報をキャッチしていただくためのTwitterアカウントもありますので、フォローしていただけると幸いです。
これからも、ロート製薬の公式noteでは、ひとりひとりの健康を願い、考え抜き、言葉を掲げ、果たそうともがいてきた、私達の想いとプロセスを伝えていきます。よろしくお願いします。