もの語る法華経第4回 十如是再考
◆ 十如是は羅什の創作か
いま、法華経を読む若い人が引っかかっている最大の問題は、十如是が梵文法華経にないということのようである。その箇所(通常五種法と呼ばれる)は、次のようになっている。
だから著名な学者さんでも、「十如是は羅什の改竄だ」「十如是は羅什の創作だ」と言うことを公言して憚らないのだから、それもやむを得ないだろう。
この問題を最初に提起したのは、本田義英博士であり、その発議は大正5年{*2}というから、すでに100年以上を経過している。博士の疑義の提示は詳細で、論拠もしっかりしていたから、この百年、誰も有効な反論をなし得なかった。結果として学者の間では、これが定説として通用するようになり、知らないのは一般の信仰者のみということになってしまった。
本田博士の提議は、単に梵文に十如是がないということではなく、その十如是は羅什が『般若経』の注釈書である『大智度論』から借用してきたものだということにあった。今日、この議論が広く認知されている証拠として、次のように、すでに辞書にも載せられていることが挙げられる。
ただし、ここに「推定」とあるように、これは、あくまでも推定であり、学問的に論証され確定されたものでは決してない。僕はこの通説となってしまった議論に対して改めて異議を提起したいと思う。と言うのも、十如是が否定されたと早合点して、天台や日蓮の一念三千論を放棄してしまう人が少なくないからである。
詳細なことは別に論文としてまとめたいと思うが、まずは僕の語りとして皆さまに聞いていただきたいと思う。
◆ 法理は創作できない
もう一度、話を最初に戻そう。「十如是は羅什の改竄だ」「十如是は羅什の創作だ」{*3}という話。しかし、十如是は、ひとつの法則であり、法則は創作されるものではない。まして改竄できるものではない。法則は深い洞察力に依ってのみ見えてくるものである。洞察力はたゆみない研究と研鑽によって培われる。
もし羅什に見えて僕らに見えないものがあるとするならば、羅什を疑う前に僕ら自身の洞察力をまず疑うのが先だろう。それはともかくとして、僕らが問うべきは、なぜ羅什がそのような訳し方をしたのかということである。
また十如是が普遍の法則であることは、この法が、悪人だ、女人だという排除の論理を打ち破った円満の法であり、枯れ枝のような二乗を蘇生させた法であり、諸々の閉塞した状況を切り開いて来たことから、もはや否定はできないであろう。この円満、蘇生、開くという日蓮が示した「妙の三義」も十如是からきている。
同じ羅什が訳した『大智度論』に興味深い挿話がある。
類話は同じ大智度論巻32(T25-0298a11)にも見え、それが天台の法華文句や摩訶止観にも引用されている。
ここでは十二因縁にこと寄せているが、要するに、法則というものは、誰かが創作したものではないということである。羅什が十如是を創作しようがしまいが相性体...本末究竟等という法則ははたらいている。
十如是がなければ、十界互具が成り立たないし、二乗作仏も、開三顕一も理論的根拠を失うこととなる。梵文のいわゆる五種法、五何法{*5}から二乗作仏の理論が生まれるものだろうか。
もっとも、「梵文の五種法と十如是は開合の違いで同じものなのだ。」という形の反論は従来からなされてきた。これは決して間違いとは言わないが、しかし、五何法をどう開けば、十如是となり、十如是をどう合すれば五何法となるのかという肝心なことは十分に説明できているとは言いがたい。だから説得力を持たない。
今の法華経者に見られる大きな問題は、批判者からの批判を一蹴することに汲々として、自分たちの子どもへの説明が不十分なことである。「そんなことは、とうの昔に解決したことだ」「いまさら、そんな古い問題を蒸し返してどうするつもりだ」思えば、僕も若い時から、このような言葉を、どれだけ先輩たちから何度投げつけられて来たことか。
しかし、ものを考える人に取って、その時、疑問に思ったことは常に「新しい」最新の命題である。真理というものは、世代を超えて、問い返され、問い返され、問い直されて、新しい視野が開ける。ときに金城鉄壁の定説が覆され、常識が改められることもある。
◆ 大智度論の九種法
次に、「十如是は羅什が大智度論の九種法から持ち込んだ」という説について語ろう。
先にご紹介したように、すでに辞書に搭載されるほどに、この説は一般化されている。たしかに、両者は似てはいる。訳者も同じ羅什である。しかし、「一字違えば大違い」という俚諺もある。
『大智度論』は般若経と同様にあくまで「二乗不作仏」の立場に立っている。とすれば、「二乗不作仏の九種法」が「二乗作仏の論拠である十如是」と同じと断定するのは早計と言わねばならない。竜樹(大智度論の作者)が、般若経は二乗作仏を説いていないと明確に述べていることも無視できない。同じ言葉でも、それを語るグループが変われば、言葉の意味は微妙に違ってくるものだ。
この視点から九種法と十如是を比較相対すれば、両者の本来質的な違いが、すぐに了解されるであろう。
(ただ、混乱してはならないことは、天台智顗の法華文句(T34-042c18)には、九種法(体・法・力・因・縁・果・性・限礙・開通方便)のうち「法」を如是作、「限礙」を如是相、「果」を如是果、如是報、「開通方便」を如是本末究竟等と配当して解釈しているが、これは十如是からの会通(法華経的解釈)であって、その逆ではない。)
日蓮はこういう文の相似を挙げた議論に対しては、
と厳しく弾劾している。「似ている」ではなく、「違いが分かる」のが、本物、真理を知る人であろう。
◆ 法華経の影響を受けた大智度論
では、両者の表現がなぜ似ているのであろうか。ひとつには、大智度論の編集に当たって、法華経が活用されていることが挙げられる。大智度論は初めから法華経の影響を受けているのである。大智度論は摩訶般若波羅蜜経(大品)の解説書としての立場を取っているので般若経をベースにしているのは当然であるが、大乗経典の中では法華経の引用が随分多い。
大智度論の法華経引用は、三友量順博士のカウントによると22か所{*7}にのぼる。
これだけ多くの引用があるということは、著者竜樹が法華経を自家薬篭中の物としていたことを物語っている。そうすると引用ということでなく、発想そのものに法華経の影響が及んでいるということもありうることであろう。使われる言葉の嘴に法華経の影響を見出すことはできないであろうか。
僕が新たに気づいたところを挙げると、大智度論第百巻の次の文。
ここの「従坐而去」(坐より去りにき)という言葉は明らかに法華経の五千退座を意識したものである。この言葉は先の三友量順博士も拾っていない。まさに法華経の文が大智度論の中に溶け込むほどに浸透していることがわかる。
さらに、先の九種法を出したすぐ次下にさらに九種法を説明した次の文がある。
ここの「法位常住世間」(法位は常に世間に住す)という言葉は法華経方便品の影響を受けていると思われる。
もちろん「如経中説」(経中に説くが如く)とあるのは大品般若経を引いたものであるが、正確な引用ではない。大品般若経の文は
ここには「世間」の語はない。世間の相のなかに法の常住をみてゆくのは法華経の特徴でもある。あるいは般若経にもこのような発想はあるのだろうか。
しかし少なくとも、ここで般若経になくて法華経にある「世間」の語を付加しているわけであるから、九種法に法華経の影響が及んでいることを否定できないのではなかろうか。
九種法を挙げた大智度論の文は未整理で難解である。法華経の助けを借りずに理解することははなはだ困難である。般若経の解説ということに限定すれば、先にも述べたように、未だ二乗作仏を明かさない般若経から十如是のような整足した発想は出てきようがない。
◆ 十如是の発想は法華経寿量品から、言葉は薬草喩品から
それでは、他所からでないとすれば、羅什は梵文法華経のどこから十如是を引き出し、どうして五種法と差し替えたのであろうか。僕はこういう場合、もう一度日蓮に立ち返って考える。
要するに、十如是と言っても、それ単独では十分な力を発揮できない。本門寿量品の三妙合論(本因妙・本果妙・本国土妙が合わせて明かされること)の義から解釈し直されてはじめて十全な意味が与えられる。それが「迹門は本門の依義判文なり」の言わんとする所である。
では、十如是の具体的な言葉は、どこから生まれてきたのか。それは薬草喩品にある。
もともと法華経前半の構成は、まず釈尊の説法があり(正説)、弟子の理解が語られ(領解)、さらに釈尊のフォローがあり(述成)、卒業証書授与(授記)という流れになっている。つまり、方便品で語られた諸法実相という法に対して譬喩品でさらに譬喩でもって再説し、信解品で弟子の領解が語られ、薬草喩品で弟子の理解に対して言葉を補い理解をさらに進めているのである。
だから、梵文方便品で語られた言葉と非常に似た言葉が繰り返されている。このようにして言葉が繰り返されながら、熟成され練り上げられている。じつはここで新しい言葉が生まれているのである。注意して読む必要がある。
◆ 薬草喩品(梵文)における十如是
植木雅俊博士の訳文を借りよう。博士の訳文の後に、ゴチックで十如是を配当したのは僕の付加である。
以上のように、おのおのの言葉から、十如是を読み取ることができる。じつは植木雅俊博士の詳細な翻訳のおかげで、僕も確信を持って断言できるようになった。植木博士ご自身は、あるいは、気づいていないのか、気づきながらも、思索が煮詰まるまで発表を控えておられるのか、それは分からないが、僕の提示には、ご理解いただけると僕は思っている。
◆ 五種法を十如是と差し替えた理由
さて、梵文方便品の始めの方で示されたあの五種法と仮に呼ばれている言葉であるが、僕はあれは苦集滅道の四聖諦(三転十二行法輪)、順逆十二因縁などと同じ回転する法輪が遺していった言葉の断片だと思っている。十如是もこれと同種の法輪あるいは、それらを法華経本門から読み変えられたものであろう。釈尊の苦集滅道の四聖諦の説法を「初転法輪」と呼ぶが、それと相対させて、譬喩品のところに、「転無上最大法輪」「この上ない第二の真理の車輪を転じられ」という言葉がみえる。この無上最大の法輪が十如是の説法をを指すことは否定できないであろう。
羅什訳ではつぎのようにある。
植木博士の訳では次のようにある。
「この上ない第二の真理の車輪」も例の五種法を指すはずなのだが、しかしそう言い切るには一般への説明は難しいと思われる。
「何であるか」「どのように」「どのような」…とすべて疑問文として明言を避けたままでは、はたして法を説いたことにはなるのだろうか。もし、教師が生徒たちに対して、「君たちには分かるまいが、私は知っているのだ」と言えば、それは授業として成立するのだろうか。やはり、五種法は十如是として、さらに練り上げられる必要があったのだと僕は思う。
ここに法華経の成立史の上から言えば、梵文法華経は完成させなくてはならない未完成な部分を残していたと言えないのだろうか。それに対して法華経伝承の最後のアンカーとして羅什は、整足した十如是を添えることによって、自らに課せられたその責務を果たしたといえるのではないだろうか。このように考えるならば、羅什の処置は、決して改竄とか、創作とか呼ばれることではないと僕は考える。
◆ 十如是が最初に置かれる理由
また、それを薬草喩品ではなく方便品の最初に置く必要性は、法華経を読む人を迷わせない配慮だと思われる。僕らの社会においても、聴衆、読者を迷わせないために結論を先に述べるという論法は普通に使われる。じっさい、天台の法華文句をさらに解釈した文句記において妙楽は
と、十如是が最初に置かれる理由を述べている。
◆ まとめ
僕らは、十如是を朝の寝起きの時に、ホトトギスの初音を聞いたようにぼんやり聞いているわけだが、舎利弗尊者や日蓮に導かれて、耳や意識が覚醒されて、法華経を読み進めていくことができているわけである。
やはり、法輪を回転させ、寿量品まで行き着き、そこから逆次{*11}に戻ってくるという依義判文という日蓮の読み方は決して特異なものではなく、それが法華経の本来の読み方であり、仏教本来の読み方であったのだ。
だからこそ、冒頭の序品のから終わりまで、四聖諦、十二因縁、六度という法輪を法華経に併走させている。
法輪とは車輪である。車輪が一回転した時、車輪の着地している所は、一周前とはすでに違う。所縁はすでに変わっているのだ。言葉の意味も少しづつ変わっていき、新しい言葉が生まれてくる。そのように法華経の法輪は新しい言葉を生み出しつつ、それがまた法華経を形成してきたのだ。法輪という言葉も、それが譬喩としての車輪であるだけではなく、法のあり方そのものと言えるのではないだろうか。
いつまでも変わらない法華経など、法華経ではないと、僕は思うのだ。
2022/04/09 00:51:16 山中講一郎
◆ お詫び
今回、第4回の公開は、随分遅くなってしまった。当初予定していた2月末に出来ず、3月末にも出来ず、4月も、もう上旬を過ぎようとしている。あらかじめUpしていた大阪城の梅林の写真も、桜の写真も季節が過ぎてしまった。
この間、フォローして下さった皆さま、お便り下さった皆さま。ありがとうございました。そして、ご返答出来なかったことをお詫びします。
さて、こもごものことを、集中力が持続しない「歳の所為」にしていたら、娘から「お父さんは、語ると言いながら、実際に人に語らないからだ」と、図星を指されて、少々泡をくってしまった。そうだなあ、ここのところ、コロナのせいもあって人と話をするのがすっかりなくなってしまった。いや、コロナのせいにするのも良くないのかもしれない。
ものをしゃべらぬ不機嫌な老人に創造的な仕事が出来るわけがないのだ。それじゃあと言うことで、娘相手にぶち上げたのが、第4回の僕の「語り」となったものである。
そして、添える写真は、難行苦行の末、日本にチベット語訳法華経をもたらした河口慧海の銅像である。彼の故郷である堺市の七道駅前に立っている。高校生のころ、彼の『チベット旅行記を』むさぼるように読んだ。すごい人だ。若い友人たちにお勧めしたい一書である。
◆ 注記
{*1} (KN.p.30,ll.4-6) WT-029.04{*1} 記号の説明 それぞれ梵文法華経テキストのケルン・南条本(KN)と荻原・土屋本(WT)のページ数・行数。
{*2} 大正5年 出版物としては1934年の『仏典の内相と外相』弘文堂書房であるが、その387ページに、初めて疑義を提出したのが大正5(1916)年であると自ら明記している。
{*3} 創作 ここの言葉の発言者は中村元博士と承知しているが、具体的な、その所在はまだ把握できていない。肯定、否定両用にとれる言葉であり、博士の発言の真意、文脈を知りたいと思うが、否定的な語感で僕の所に届いていたこともあり、また否定的に引用する人も少なくないので、今はこのまま話を続ける。
{*4} T25-0075a09 記号の説明。大正蔵経25巻75ページ上段9行目にこの話がある。
{*5} 五何法 世親『法華経論』の表現
{*6} (s4631,h437,g881) 記号の説明 日蓮の御書、遺文集のページ数、それぞれ昭和定本(s)4631ページ、平成新編(h)437ページ、御書全集(g)881ページの意。
{*7} 22か所 三友量順『大智度論』に引用された法華経 『印度学仏教学研究』 34(2) 1986.03所収 p891~883
{*8} 是法住法位 世間相常住 ここの訓読は従来、「是の法は法位に住 して世間の相は常住なり」と読んでいるが、内容的にみて、これは誤読であろう。
{*9} (k1.461)(t09b10) 記号の説明 それぞれ、法華経の春日本(k)の第1巻の461行目、大正本(t)09巻の中段(b)10行目を指す。
{*10} Ga-802 UA-347 記号の説明 Ga-802は『梵文法華経翻訳語彙典』の上巻802ページ、UA-347は『梵漢和対照現代語訳法華経』上巻の347ページにあるということ。
{*11} 逆次 逆次という言葉は日蓮では、法華取要抄 に「安楽行より勧持・提婆・宝塔・法師と逆次に之れを読めば滅後の衆生を以て本と為す。在世の衆生は傍なり」(s813,h734,g333)とみえている。
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