詩堂炉久人のProfile (現在・公開できる情報)
仕事してもゲームは売れず、困窮が続いているのでYouTuberになりたいと思うも、チャンネル登録者数はまだ2ケタで4ケタは夢のまた夢だ。
ヤクバハイルゲームチャンネル2への登録をお願いします!!
https://www.youtube.com/channel/UCIT-aJF2CGfT3rk0v_4XJEQ
初心者向けの動画講座では概要欄にプロフィールを書くのが必要とのことだけど、1000文字しか書けないじゃんか。
統計情報
2014/07/01 に登録
18,794 回視聴
普通この視聴回数であれば、登録者数が4ケタ越えてもおかしくないのだがまだ2ケタである。
概要欄に書きたかった自分のプロフィールは以下の通り。
1980年代 From dusk till dawn 管理人から「エロゲ業界のフタバスズキリュウ」と揶揄される通り、浪人時代に有限会社キララのフェアリーテイル(F&C)にバイトしてVideogameのシナリオを書きはじめる。
1988年 混乱のあったキララ(F&C)を辞めエルフに転職し、さらに同人誌活動再開。当時の名前は「貞吉」だった。
1989年 エルフの各タイトルに関わりながら同人活動も続け、1992年までペンネーム「炉久人(rohisato)」と改名。
1993年3月 日本大学法学部卒業。 漏れの元にはいまだに日大人と母校を結ぶコミュニケーション誌が届いている。
1993年4月 馬場社長からのスカウトで株式会社ビジュアルアーティストオフィスに就職。バイトから正社員に昇格し「ヤクバハイル」としてエロゲライターを続ける。
1996年8月 勤めていた会社が大阪市北区東天満に移転し、更に株式会社ビジュアルアーツに社名変更し、馬場社長にヘルプを求めていた東京のHIGHWAY STARへ出向する。
1996〜1998年 出向先のHIGHWAY STARを経由してh.m.pのエロゲー作りにあけくれる。ボツになった企画「超ヒトネコ伝説オマエ・モナー」がネット上で一人歩きする。
『バーバラに逢いたくて… (I want to meet Barbara)』、『バーバラ DON'T STOP (Barbara DON'T STOP)』、『未来世紀バーバラ (Barbara of the future century)』
『罪-Guiltia- (Sin of Guiltia)』などは3D Adult作品として海外にも輸出されたという。
1999年12月 ビジュアルアーツ東京支社に合流したものの、馬場社長はkeyブランドに注力し、本社の社内体制も変わっていた。
2000年1月 当時ハドソンの子会社であった未来計画社の小林社長から「アニメスタジオ作ってアニメの脚本家にならないか」と誘われたが、当時担当していたタイトルの開発が一段落したら転属すると約束した。
2001年4月 未来計画社は三菱商事の子会社となり社名がディーライツ(d-rights Inc.)となる。
2001年6月 ディーライツに転職。取締役に降格した小林氏から「悪いが先立つものが無いんだ、エ○ゲライターを続けてくれ」とのことで、泣く泣くエ○ゲライターを続ける事になる。その後、小林氏はディーライツを辞める。親会社(三菱商事)から降りてきた社長が代わって(山本→板橋→鈴木→虚淵玄の親族)も約束が履行されなかった。
2001年12月 ニトロプラスの鬼哭街の開発中に座談会が開かれる事になり、千代連(ちよれん)の開発会社ディーライツ代表として座談会での肉ぶっこみ役として登場→https://www.youtube.com/watch?v=bquqPar2ktA
2001年〜2010年3月まで アイワン社のブランドILLUSIONからのPC Video gameの各タイトルの企画立案とシナリオに関わる。
2003年4月 ドラクエのパロディゲームを作ることになり親会社の計らいで合併したばかりのスクエニ関係者を呼んでのパーティーが銀座CYGNUSで開催、奇しくもアニプレックス関係者とスクエニ関係者がビジネスの話をはじめ、ここからディライトワークス創業時のメンバーとなる。
動画は削除されました
2009年2月 自分がシナリオを書いたタイトル『レイプレイ』が国際的にマイナス方向での評価を受け、2010年までCBCとBBCの記者たちに追われる事になる。なぜか海外で大問題になっている事を日本のマスコミは“報道しない自由”を貫いてスルーし続けた。
2009年10月 ドラクエのパロディゲーム『勇者からは逃げられない』が発売されたが諸事情のためシリーズ化せず。
2010年3月と4月 アイワン社とディーライツ社との契約切れにより、私はディーライツ社の映画事業部に異動し、元KSSの乱交太郎(浅賀氏)の下でえちえちアニメに関わる。
2014年4月 ディライトワークスに転職し、本名でスマホゲーム『Fate/Grand Order』の開発にプランナーとして参加する。
2014年12月 ディーライツ社はADK(アサツー ディ・ケイ)社の子会社となる。
2015年4月 ADKはディーライツ社内のベイブレード以外の権利の売却とリストラ開始。浅賀氏はジェンコに転職(2018年6月16日死去)。
2016年7月 CRAVA社の当時社長だった香月蔵人氏 ( #暇空茜 氏との親交あり)の誘いを受け、フォーラムエイト子会社のCRAVA社へ転職。
2018年7月 CRAVA社は実質解散となり、H社へ転職。
現在:守秘義務契約のため上記以降は非公開。