the dadadadysのLiveを見て思ったこと
あなたにとって、心から寂しくなる瞬間はいつだろうか。
私は最近、心から寂しくなる経験をした。大好きでたまらなかったバンドが刺さらなくなった瞬間である。
私が「teto」というバンドに出会ったのは大学生の時である。私はイケメンじゃないし、イケメンじゃない部分を補う個性(オシャレ、めっちゃおもろい等)もなかった。そのため、キラキラした1軍の人間の大学生活を送れず、冴えない大学生活を送っていた。1軍になれない人間に残されたキャラクターは「優しい人」でいることのみである。不満を抱えながらも、心に壁を作り、周囲には優しく振る舞い、周りから「冴えない優しいやつ」として認識されていた。そんな私の趣味は音楽を聴くことであった。当時流行していた地下室タイムズで珍しく石左が絶賛しているバンドがあった。そのバンドが「teto」である。私はtetoの代表曲である「Pain Pain Pain」を聞いた時、日常生活で築きあげていた心の壁が崩れ去り、周りからの目や劣等感など関係なく、心が躍りだした。「初期衝動」という単語を頭ではなく、心で理解できた瞬間である。その時からtetoにハマり、tetoの曲を聞いたり、Liveに行っている時だけは心の壁を壊すことができていた。そして、激しく心の壁が壊された時は、その衝撃からか、号泣してしまうこともあったほどであった。
ほどなくして、tetoは解散し、小池貞利がフロントマンを務める「the dadadadys」が結成された。社会人になった私は、the dadadadysのLiveを仕事終わりのスーツ姿で見に行った。Liveの途中で私は異変に気付いた。Liveが私の心に全く刺さらないのである。熱狂するフロアの中で、私は一人平熱をキープしていた。そして、その平熱はLive後も維持された。こんなことは初めてであり、平熱に気づいた瞬間、私はたまらなく寂しくなった。
なぜ、これほど好きなアーティストで心が動かされなくなってしまったのか。Liveの帰り道に、私は禅問答を行った。
パット思いついた理由は3つある
①dadadysになり、Liveパフォーマンスのレベルが落ちた
私が思いついた理由であるが、すぐに否定をした。小池貞利の歌が
上手くなっているし、演奏の素晴らしく上手い。パフォーマンスのレベルは寧ろ上がっているだろう。
②そもそも、私がLiveで感動しない人間になってしまった
この理由もすぐに否定をした。dadadadysのLiveの前に行った、大森靖子のLiveで恐ろしく感動してしまったからである。Liveで感動しない人間にはなっていない。
③心にフィットしなくなってしまったから
これが理由だと思う。社会人になり、大学のように周りと比較する機会が減った。そのため、ルサンチマン的な感情がなくなり、小池貞利のLiveに共鳴しづらくなってしまった。また、小池貞利が見せたいLiveと私が見たいLiveに齟齬が発生してしまった。私は小池が衝動のまま暴れるようなLiveが見たいが、最近小池が見せたいLiveは、やばい人が既定路線でやばいことをするようなLiveだと思う。実質、teto時代よりも、下ネタなどの危険なワード、確実に増えており、やばい人というキャラクターになろうとしていると思う。
好きなものが刺さらなくなる瞬間は本当に寂しい。しかし、それは心にフィットしなくなっただけであり、少し太って服のサイズが合わなくなった程度のことなのかもしれない。色々書いてしまったが、これまで小池貞利ほど好きになったアーティストはいないので、これからも小池貞利は追っていきたい所存である。