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市民文庫『田中正造の近代』 小松裕著

〇以下は、『月刊ボランティア情報2012年9月号』(とちぎボランティアネットワーク編集・発行)収録

『田中正造の近代』 小松裕著 現代企画室 定価12000円+税

評者 白崎一裕(那須里山舎)

栃木県が生んだ偉大なる先輩としての田中正造研究の決定版ともいえる大作である。正造研究の蓄積には本書以外にも膨大なものがあり多角的な分析が試みられているが、本書はそれらの先行研究を重層的に吟味しながら、正造の思想的全体像を「日本の近代とは何か」という問題意識を通して浮かび上がらせている。「日本の近代とは何か」を問うということは、近・現代日本に反省を迫る3・11以後を通過した今の日本を問うということに他ならない。

評者は、その視座のひとつに正造の「憲法観と自治」ということがあると思う。正造がその生涯を通した闘いの精神的支柱のひとつに明治憲法をおいていたことは間違いない。ただ、その憲法に対する思考は、政治的実践を通して変化していく。最初は憲法条文そのものに依拠した政治的闘争であり明治政府への異議申し立てであった。しかし、本書にもふれられているように1909年8月1日の日記「~~破道破憲とは何んぞ愚なる、今や天地を破壊せり。日本の天地を破壊せり。~~」と記述する頃から、憲法の精神、すなわち「法の精神」ということを重視するようになる。一体、法とは何なのか、憲法はなぜ最高法規なのか、という問いかけである。1912年3月24日の日記には「人権亦法律より重シ
。人権に合するハ法律にあらずして天則二あり。国の憲法ハ天則より出づ。只惜しむ、日本の憲法ハ日本的天則に出しなり、宇宙の天則より出たる二ハあらざるなり。」という記述があり、憲法とは宇宙的天則にその根拠があるべきだ、と正造は断言している。

この認識は、西欧の輸入思想であった憲法思想を神道・儒教・仏教などを通じた日本思想史の中で咀嚼し直し、西欧法思想の本質部分を把握した画期的な認識といえる。もともと、西欧法思想史では、国家の法(国家が制定する実定法)に先立って人間社会を強制や権威なしに自ずと成り立たせている基本的な法と正義の規範があると考えてきた。これを「自然法」という。正造が天則と言っているのはこの自然法にほかならない。正造は、憲法とは自然法に依拠しなければならないと言い、人権は自然法にもとづくもの(自然権)でなければならないとも言っている。憲法は国家権力を制限し人民の人権を擁護するものという日本近代において抜け落ちてきた視点がすでに正造には明確に見えていたのだ。

このことを応用するかたちで、地方自治に関しても「国造りをなせし古来の居住、今の町村は天来の己得権なり。----  近年人造、今のよの人が造れる法律の己得権と同じからず。神の造りし天来にして、無上最大の己得権なり。即ち今の国なり。之を破るは国を破るなり。」(1912年1月に日記)と書き、町村の自治が国の侵害を許さない「天来の権利」(自然権)として位置づけられている。正造は、現代日本の政治状況がいかに混沌としようとも地方の暮らしの自治を基本とした「小さい政治」がしっかりしていれば問題はない、と我々に叱咤激励しているようにも思える。わが栃木県から日本や世界のことを考え・行動するという勇気を与えてくれる正造さんの思想なのだ。

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