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書評『imago 1995年8月臨時増刊号~オウム真理教の深層』中沢新一責任編集 青土社 定価880円 絶版

『imago 1995年8月臨時増刊号~オウム真理教の深層』中沢新一責任編集 青土社 定価880円 絶版        

 評者 (白崎一裕)

2018年7月6日の朝は不愉快な朝となった。オウム真理教事件死刑囚たちの死刑が執行されたからだ。死刑論議の前にどうみてもこの事件について臭いものに蓋の社会の姿勢が反映されたものと言える。思えば、このオウム真理教問題については、私も少しばかりモノを書き、多くの論者が論評を加えていた。当時、全共闘運動とオウム真理教とを重ねて論ずる論調もあった。この議論の延長に「成長経済の限界論」を重ねてみると私的にはある結論が導かれる。高度経済成長に乗り遅れまいとする階級闘争的な運動が全共闘運動で、オウム真理教事件は、1975年ごろに終焉を迎えた高度経済成長の果てに到達した「え、がんばって経済成長した果てはこんなもんなの?」という「生の不全感、生きづらさ」であった。言い換えれば、高度成長期に生まれ育った私と同世代の「新人類」たちが陥った時代の罠であった(このあたりは、8日の朝日新聞に掲載された宮台真司の論に同意する)。

この罠は、少しばかり年長の、障害者のなかでの「王」の気分を味わった、稀代の詐欺師(麻原氏)によって仕組まれたものだった。いま、ここに気が付く問題点を箇条書きしておこう。

1、魔術的科学観の貧困~理系偏差値エリートたちの科学とは冷徹な自然の謎を解き明かす姿勢ではなくて、自然を克服し魔術的な効果を生み出すトリックとしての科学だった。だから、オカルトに騙される。

2、仏教を西欧的知的真理と錯誤して、オウムの教義を「真理」と思い込む日本の知識層の貧困~津田左右吉がいっているように仏教を「日本的生活形式」としてきたことは、本当は積極的に評価すべきだった。仏教は「仏道」であり、くらしの規範だった、それを「真理」の牢獄とすることの誤りを犯した。

3、成長経済はとっくに終焉して、少子高齢化が進行して、私の子どもたち世代は、「サトリ世代」とよばれる。彼女ら・彼らは、このポストオウム事件の時代をどう受け止めるのか?その答えが、「誰でもよいので、人を殺してみたかった」ということだとすると私たちはどう答えればよいのか?
などである。このimago に収録されている関曠野論文「世俗国家と戦争の神学」は秀逸な論考と言える。ぜひ、再読をお勧めする。

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