「性加害者」を「性依存者」と呼ぶこと
以前、性依存の自助会を色々と探したことがある。性依存の自助会のHPには、性加害者の加害体験が山のように書かれていて大変ゾッとした。痴漢、覗き、盗撮、性暴力。。。
過度のマスターベーションがやめられない、出会い系がやめられない、などの悩みを持つ「依存者」が近寄りがたい雰囲気がある。
私は、性依存の自助会には以下の問題があると思う。
●性加害者と性依存者をミックスしてひとまとめにして「性依存者」というレッテルを貼りつけている
●性加害者を性依存者と呼ぶことで、「患者」や「病気」という倫理的にクリーンなカテゴリーに入れ、社会が加害者を受容するようにしむけている
●性犯罪者に対して、「病人」であり「支援が必要な人」で「回復への道を歩む前向きな人である」という印象操作をしている
性依存の自助会には、以下の二種類の群が存在する。
A 他者に性暴行などで攻撃を加える人たち
B 出会い系やめられない、ポルノ見るのをやめられない、過度なマスターベーションやめられない人たちなど
Bの人たちは、「性依存者」であるが、
Aの人たちは、性依存者である前に「他人を自己の勝手な欲望を満たすために消費する、道義に反する邪悪なひとたち」である。だからその人たちは、自分たちの「邪悪さ」という倫理的な問題にまず取り組む必要があると思う。
性依存の自助会だけではなく、アルコール依存の自助会でも、分かち合いで加害行動を話す人たちがいて、私はその人たちと一括りににアルコール依存症者のカテゴリーに入れられるのが、とても嫌だった。
「妻に暴力をふるった」
「子供に八つ当たりした」
この人たちは、アルコール依存である前にやはり、「自分より弱い者を感情のはけ口として利用する、自分勝手で攻撃的なひとたち」なのである。
性依存自助会の性加害者も、アルコール依存自助会の攻撃的な人たちも、行動や物質に依存している以前に、「邪悪」「非道」といったイデオロギーにどっぷりと依存しているのではないか?
加害行動の嗜癖がある性依存者とアルコール依存者たちは、本当は、「加害行動やめられません、悪いことやってもやっても満たされず、つい繰り返いしてしまいます、自分さえよければいいと思ってます、他人は自分の道具」という自身の人格上の欠点に向き合い、「邪悪」依存の自助会をつくり、そこに収容されるべきだとおもう。
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