フォルケホイスコーレについて
先日、フォルケホイスコーレを日本で広めたいという団体の方とお話ししました。
そもそもフォルケホイスコーレって何?って方が多いと思います。
それも含めて書きたいとおもいます。
最近モンテッソーリ教育など流行っていますがその流れってそもそもどんな文脈で生まれてきたんだっけ、と言った話もされていてめちゃくちゃ面白かったです。
もう一回いいます。
めちゃくちゃ面白かったです笑 おそらく淡路にきて一番くらいに楽しい時間でした。
少しでも伝えられるようにがんばります。
音声版はこちら↓
https://stand.fm/episodes/610bfe819a2fe90006f37591
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フォルケって何?
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社会の問題点や環境問題について考える時、大体最終的に教育にたどり着きます。
モンテッソーリであれば、20世紀初頭に考えられました。
シュタイナーであれば、1920年ころです。
そして日本でも、大正自由教育運動というものが起きていました。
どんな内容かというと、画一的で型にはめた教育ではなく子どもの関心や興味を中心に創造的な教育を行う事です。
いや、これって、
まさに今日本が、世界がやろうとしてる事じゃないですか。
まさに求めてるものじゃないですか。
その考えってもう戦前に生まれていたし、必要だと言われていた。
しかし、戦争があり、敗戦があり、そういった教育観念は流れてしまいました。
特に日本では富国強兵の号令の元、軍隊式の教育に軌道修正されて現代に至ります。
フォルケホイスコーレはそれらと少し早い1884年に詩人であり聖職者であるグルントヴィさんによって構想されました。
内容としては、元々農民を対象にしていたので農をお休みしている間に1ー3ヶ月くらい学校に寄宿して歴史教育を通じてデンマーク人としての教養を身につける、だったそう。
現在ではテストの廃止や対話を重視した内容で数ヶ月から1年のコースが多いみたいです。
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歴史に学ぶ
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学び直しや対話の重要性などが指摘されていますが、実は100年以上も前から言われていました。
なんなら対話で導くという方法は古代ギリシャ時代から何度も言われ続けている。
ではなぜまだ浸透していないか。
おそらく、浸透するのにふさわしいくらい平和になってきたんだろう、と考えています。
山口周さんという方が「ビジネスの未来」の中で、我々はかつてない高原地帯に着陸しようとしている、と書いています。
どういう事かというと、かつてないほど食べ物が作られて、かつてないほどものが溢れて、かつてないほどお金が溢れている時代に突入したという事です。
ではなぜ全員が満足できていないか、には二つ理由があります。
一つは現状に幸せを感じれない事。
もう一つが格差が拡がっている事。
二つ目に関しては正面から向き合わないといけないと感じています。
お金があるところにお金が集まって、無いところからは逃げていく。
なぜか。
なぜならお金を持っている人はお金の使い方が上手いから。
ビルゲイツが1億使うのと僕が1億使う場合では、何百倍もの効果の差が出てくるでしょう。
それは彼の人脈であったり知識であったり信用であったり。
同じ1億でもより多くの人を救う事ができる。
だったらビルゲイツに渡した方が社会が良くなるよね、というのは至極当然です。
では今貧困にいる人(日本の中で)は諦めるしかないのか、というとそうではないと考えています。
そこで大事になってくるのが"教育"です。
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仕組みが文化を変える
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さて、二極化する社会で大事な事は教育だよーって話をしていました。
"比較文化学"と"文化心理学"という二つの分野があるそう。
場所によって文化ってどう違うの?っていうのと、文化ってそもそもどうできたの?という違いがあります。
前者の方が先に発展しました。
だって、こんな違いがあるんだぁ、っていう方が分かりやすいもんね。
でもこんな疑問が出てきます。
「この人は遺伝子的にこの性格なのか、環境によってこの性格になったのか?」
環境によって変わってきたのではないか、という部分を研究するのが文化心理学になります。
もちろんこれは白黒の話ではなくてグラデーションがあります。
アメリカにいた時とても印象的だった事があります。
みなさん、アメリカの方ってどんなイメージがありますか?
みんな外向的で、人前で話すときに堂々としていて、自信があって。
そんな感じじゃないですか?
でも僕の周りでいえばシャイなやつめちゃくちゃ多かったんです。
そんな奴らが無理矢理人前でプレゼンやらされて、話し方を直されて堂々としていくんです。
つまり彼らに限れば環境が態度を変えたんです。
仕組みが変われば文化も変わる。
その仕組みこそが"教育"なのではないでしょうか?
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というわけで
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ここらへんが今僕がやっている事のやりたい事なんだろうな、と感じています。
お話の中で、教育をやりたい人は教えたい人が多い、という話題が出ました。
本来、向いてる人が教えればいいだけで、ぶっちゃけて言うと教えるのが上手い人が動画で授業をすればいい。
そしてそこで取りこぼしてしまう部分をサポートするのがこれからの先生の役割になりそうです。
でもそう物事が進まないのは、教えたい、という欲から来るのかもしれません。
この気持ちはすごくわかります。だって僕のピアノでも同じ事が言えるから。
僕より上手い人、上手い録音は星の数ほどある。
なので本来僕は弾く必要はないんです。
けれど続けている。
それは僕のwhyの部分が違うから。
なぜピアノを弾くのか。音楽を通して何を伝えたいか。
つまりその"why"の部分が達成されるなら音楽でもピアノでもある必要はないんです。
その一つ答えが、投げ銭コンサートであったり、個展付き演奏会です。
教育も一緒で、教育をしたいから教育機関に行く必要はない。
仕組み、文化を変えるためであれば、全く違う分野からアプローチする事が可能である。
教育を拡めたいたちがそのような考えを持っているのがとても印象的なでした。
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というわけで2
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まとめがまとまらなくなっちゃいました。
これからの方向性について少しずつですがまとまってきたのかなと感じています。
最近絶賛サボタージュ気味ですが、エンジンあげて頑張って行きたいと思います。
こんなに長い文章読んで下さっていつもありがとうございます!
以上、現状報告でした!