作曲家パデレフスキー
もう一つ送る予定だったメッセージを送信するのを忘れたため、「一緒に帰ったらもっと喋れると思ったからよ!」と後ろに(あんたの事なんてもう知らない!)ってつきそうなメンヘラリプしてしまいました。結局岐阜から名古屋まで車で送迎してもらえる事になったのでピュアな方が助けられるのでは、と方向性について悩んでいます笑
#おおかみひつじ
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インフラを取る
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以前
ハッシュタグについて投稿した時に、普段目に入る物を自分のハッシュタグとして獲得すると思い出してもらいやすくなるよね、と書きました。おおかみひつじなんてもってのほかです。(ヨーロッパに引っ越そうかしら)
例えば
ユニクロは長く幅広い層に売れる服を作る事でどんな地方でも店舗を出店できるようにしました。結果的に広告費を抑えられその分さらに品質にお金をかけることができます。それだけ何度も目に入って想い出されるって重要なんですね。
では音楽家が普段から何度も見るものはなんでしょうか?
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音楽家のインフラ
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話を進める前にインフラってなんやねん、という方向けに
インフラとはインフラストラクチャーの略で主に道路や水道など生活になくてはならない公共設備を指す。そこから存在を忘れてしまうほど普段から目にするものをインフラと呼んでるんよ kojipediaより
では僕らにとって普段から目にするものとは何か、それは楽譜です。ジャズや即興などオリジナルの要素が多いものをのぞいて、まず楽譜を見ます。楽譜を見て、その曲を知って、楽譜を見て、その曲を勉強して、楽譜を見て、その曲を覚えます。
クラシック演奏家に限れば楽譜は聖書のようなもので、作曲家の意図を汲み取ろうと隅から隅まで読み込みます。もちろん作曲家が曲を書いた当時は手書きなので、見るひとによって解釈が変わってきます。少し長めに見えるこの点はスラーなのかテヌートなのか。クレッシェンドはどこから始まっているのか。これ途中からスラーとかなくなってるけど違うように弾くべきなのか、めんどくさくなっただけなのか、などなど。それらを歴史的文献と一緒に読み解くことで一歩でも作曲家の理想の音楽に近づこうとした結果、同じ曲なのにいくつも版が生まれることになりました。
ベートーベンであればヘンレ、ペーター、ベーレンライター、シェンカーなどたくさんあり、リストもペーターやブダベスト版があります。
そんな中、ショパンという作曲家はパデレフスキー版とエキエル版というのが主流です。最近ヘンレ版も??
ピアノという楽器は近代産業の賜物で産業革命と共に大きく進化しました。1840年頃おおむね現在の機構に近い形になりその頃ピアノテクニックも成熟しました。その頃活躍したのがリストとショパンです。特にショパンが書いたエチュード(練習曲)はピアニストにとって技術的に、音楽的に基礎を与えてくれるのでほとんどの人が練習します。ほとんどの人が日常的に練習し、日常的にその楽譜を見ます。ある意味ピアニストにとってのインフラと言っていいと思います。
日常的にパデレフスキーについて想い出す、という事です。さて、今日はそんな音楽家にとってのインフラを作った、イグナツィ・パデレフスキーについてです。お気づきでしょうか?この記事は今日の公演のプログラムノートとなっています笑 それではいってみよー!
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誠実な人
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彼はポーランド人ですが、生まれは現在ウクライナ領となっているクルィウフカというところで生まれました。幼少期から音楽に興味を示しピアノを触り始めます。しかし田舎のため、きちんと教えられる人がおらず12歳の時にワルシャワ音楽院に入ります。
音楽に異様な集中力を示し、ピアノを練習する傍オーケストラの楽器を次々と体得していきます。それだけの熱量を注いだにも関わらず君はピアニストにはなれない、と教師から言われます。その言葉に抗いながら、1日の大半をピアノの練習に使います。気を失うまで練習します。同時に作曲も習いいくつか作品を残します。音楽院の風土に馴染めなかったパデレフスキーはチャンスを掴むためバイオリニストの友人を演奏旅行に出ます。馬小屋で寝ながら村から村を回りますが大した成果を出せません。国境を無断に超えたため捕まったりしました。
泣く泣く音楽院に帰るますがそこそこの結果しか出せません。めちゃくちゃ練習します。
しばらくすると社交会の夫人に認められ一刻も早くデビューすべきだと言われますが、自分はまだ充分じゃない。ちゃんとした師匠が必要だ、という事で演奏会をひらき、そこで集まったお金でウィーンのレシャティツキーの元で学びます。テクニックを完成させるには遅いと言われながらもめちゃくちゃ練習します。
数年間ひたすら基礎練を繰り返した後、満を辞してデビューします。ありえないくらい反響を呼びます。イギリスを含む全ヨーロッパで演奏旅行をし、各地で名声を獲得しました。まだ充分ではないとめちゃくちゃ練習します。
その後、アメリカに渡り演奏旅行をし、腕を痛めながらも次々とコンサートをこなしていきます。一躍時の人として名を挙げます。しかしその後ヨーロッパは第一次世界大戦に突入します。
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ポーランド復活
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ポーランドという国はかつては隆盛を誇りましたが、ハプスブルクやドイツなど隣国により第三次ポーランド分割で消滅していました。大戦が起きる頃、潮目が変わる。パデレフスキーは演奏旅行で得た名声を最大限利用して祖国復活へ尽力します。自身は政治には興味がなかったのですが周りからの後押しもありポーランド第二共和国の首相になります(マジですごい笑)
ピアニスト上がりの政治家なんて、と周りに言われますが類まれな交渉で次々と信用を勝ち取ります。そしてついにポーランドはヴェルサイユ会議のもと悲願であった独立を果たします。
パデレフスキーが信用された理由に誠実であったことが挙げられます。政治の世界では駆け引きが常に行われる。その中にあって裏表のない彼は各国の調整役として重宝され発言力を増していきました。そして何を隠そうめちゃくちゃ有名であった事。しかしながら一連の騒動が終わった後は政治の常識に馴染めないパデレフスキーは引退します。
5年間もの間ピアノから離れていた彼は、もうピアノは弾けないと思いました。しかしある日試しにピアノを触ったところ以前より自由にピアノが弾ける事に驚きを覚えます。その後めちゃくちゃ練習します。そして鮮烈な復活を果たし、生きる伝説として名を馳せました。晩年は老衰し、床でもう一杯シャンパンをと言い、静かに息を引き取りました。
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努力の理由
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彼の伝記を読んでいて思ったのは、めちゃくちゃ努力するという事。でもなぜ彼がそんなに努力できたのでしょうか?
幼少の頃、英雄の物語に心を踊らせました。いつか、自分の祖国も復活する。そう信じて過ごしていました。自分に音楽の才能があるとわかった時、自分が努力して有名になれば自分の国を救える。そのためならなんでもする。そんな気がしてなりません。
また、何かインフラを残しておく事の重要性について痛感しました。彼が楽譜を、作品を残していなければ、彼の苦悩や環境、そしてポーランドの歴史は知らなかった。彼らの悲劇が無駄になってします。
毎日生きる中での喜怒哀楽。それは決して無駄なものではないし、次の世代の受け継がれていく。それを可能にする乗り物がインフラであり、作品であると再確認しました。
そんな彼の作品を楽しんで頂けると嬉しいです。
本日のプログラムは
ベートーベン バイオリンソナタ10番
パデレフスキー バイオリンソナタ
それでは後ほどお会いしましょう。