花火
「ねぇ、幸せ?」
河川敷の上で人がごった返していた。縁日だの盆にかこつけて集まってきた。着物の擦れる音、祭囃子の太鼓の音、子どもの泣き音。色々なものが鳴っているはずなのに、なぜかケンイチの声ははっきり聞こえた。
「うん、幸せだ。」
まるで全身で感じるかのように、その言葉がはっきり聞こえた。幸せになって欲しい。でもこの形じゃない。
そんな僕にはズキンと響く。
「そっか。」
目の前の二人は、まるでこの世に自分たちしかいないように話していた。
「ありがと。」
それが彼女の最後の言葉だった。遠くで大きな花火が打ち上がった。
〜花火〜
ケンイチとは大学に入ってすぐに仲良くなった。学校の裏庭で大きなキャンバスを広げて植物を描いていた。
「絵、好きなの?」
「うん。」
僕らは友達になった。色々なところに一緒に行った。映画、美術館、キャンプ、釣り。どこにいくにもケンイチはスケッチブックを持ち歩いた。
「ケンイチはなんで絵を描くの?」
「うーん、なんでだろうな。なんか。絵を描いていると、世の中が綺麗に見えてくるんだ。」
「綺麗に?」
「そう。こんな風に光っていたんだ、とか。こんなにざらざらしてるんだって。いつもは気付かないけど、絵を通して世界と繋がってる感覚になるんだ。だから好き。」
それはケンイチと話をしている感覚に近かった。色々なことを話してくれる。ケンイチと話した後は、グラスの輝きや、池に反射する太陽の光すら眩しく見えてくる。そんな瞬間が堪らなく楽しくて、二人でいる時間が堪らなく愛おしかった。
「もうそろそろ美術館に向かおう。ミクを待たせてるよ。」
2回生になると、僕らの集まりにミクが加わった。いつものように花壇の前で絵を描いているとカシャッという音がした。
「ねぇ、撮らせてよ。いいでしょ?」
強引に僕らを撮り始めたミク。それが出会いだった。
美術館に着くとひんやりとした空気が肌にささる。外で鳴っていた蝉の鳴き声がこだまのように耳に残っている。
「遅いよ。早くしないと展示終わっちゃうよ?」
「ごめんごめん。午前の講義が長引いちゃったんだよ。」
日常を写しとるケンイチと、日常を切り取るミク。
そんな二人との時間は刺激的で、楽しかった。自然と僕らは三人で出かけるようになって、行き先は美術館を選ぶ事が多かった。
「うーん、やっぱり私は現代美術が好きだなぁ。綺麗に描くなら写真でいいじゃん。もっとさぁ、なんでこの作品はあるんだろう、とか。どんな意味があるんだろうって考えさせてくれないと楽しくないじゃん。」
「そうかな。僕はルネサンスの絵とか好きかな。なんというか当時の肌感を感じれるところとか。」
時代順に並ぶ展示は徐々に現代に移っていって、同世代の画家を展示する場所に変わった。
「僕、この絵好きだ。」
「私も。」
「ハジメが俺以外の絵を好きっていうのは珍しいな。」
ケンイチが笑いながら振り向く。
奥に山が描かれていて、手前を川が流れている。水面には天高く舞い上がっているであろう花火の影が映っている。
「主役だけが美しいわけじゃない。」
「うん。そこが好き。」
打ち上がる花火は綺麗だ。でもそれと同じくらい、川辺の石や、山の木々、頬の横を通り抜ける風も美しい。派手ではないけれど、暖かい絵だった。
「ねぇ、花火大会行こっか。」
8月31日、僕らは三人で祭りに行った。帰り道にミクは車に跳ねられて亡くなった。彼女の最後の写真は、道路から木々を透けてみえる火花が写る、なんの変哲もない一枚だった。
「あれから10年か。」
遠くの方で祭囃子の太鼓の音が聞こえる。道路の脇には花が添えられている。
「どんな事があっても前に進まないといけない。役割を終えるその日まで、俺らは作品を残していかないといけない。ミクの役割はあの日までだった。」
日はとっくに沈み、あたりは暗くなり、提灯あかりが白んで写る。
「僕は、ケンイチが好きだった。」
「そっか。」
言葉が胸に深くささる。乾いたのどがごろごろと鳴る。
「ありがとな。」
あぁ、僕らの夏が終わる。打ち上げ花火の音が鳴っている。
終わり