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都会の無機物的な風景の中に茂る有機的草たち 9/3

■植物って…?

植物ってもっと生命力とか開放感とかみずみずしさを持っているものじゃなかっただろうか。

道路脇の草

ちょぴり癒やされたいなとか思って自然をみてみたけれど、
都会の道路脇の植物は、寂しさと無機物的な静けさをまとっていた。

こんなところに生やしているのが申し訳なくなった。

ごめん草々。


■金曜日

金曜日は、やはりどこか解放された気分になる。

それだけ平日の行動が、自身の心理や思考と整合性が取れておらず、
無意識的に縛られているということだろうか。

学生時代は、
仕事から解放され、華金と称し飲み屋に駆け込む大人と、
死んだ目をした満員電車に乗る大人には絶対なりたくないと思っていた。

自分から望んで不一致的な暮らしを選択したけれど、
やはり理性的な部分では割り切れない部分があるのだろう。
なりたくない自分にならないためにも、早いとこ次の一手を探そうと思う。


■稲刈り

そろそろ稲穂が垂れてきて、稲刈りの季節が近づいてきた。

少し遠いので、手伝いに行きたいが迷う。

おばあちゃんが膝の皿を割って動けなさそうという連絡がきたので、
わりと心配だ。

高齢にんると怪我そのものより、動けなくなることによる心身の機能の低下(老化)への抵抗ができなくなることの方が心配になる。

あと、健康という分野で、社会疫学や社会的処方というものが非常に面白そうだったので、今度まとめてみようと思う。

■コロナ禍の家庭環境 

コロナにより、多くの人が基本自宅にいることが増えたことにより
本気で困っている人がいないだろうか。

リモートワークができて、通勤時間がなくなりハッピーな人もいるが、
出勤せざるを得ない人もいれば、
夫婦仲が悪く、家庭環境が悪化して居心地の悪い人、
親と合わない、もしくは虐待を受けているために、自宅でただ苦しみ続けている人、
廃業やリストラのために生活が不安定になる人、
経済的理由によりいろんな選択肢を奪われていく学生たちもいる。

こうした人々の苦しみは、情報が行き交う世の中でも、
大衆に届くことはほとんどない。

逃げ出したくても自宅以外に逃げ場がなく、どうしようもなくなっている人がいると思うと心苦しい。

どうにかサードプレイス的な空間やコミュニティをそれぞれの地域に
つくっていくことにも手をつけられたらと思う。


なぜか後半は感情的になってしまった。

まあこういう日もあるな。

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