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まだ意味を持たない豊かさについて

2021年5月29日の備忘録

私は今、これ以上ないほどに豊かな生活を送っている。
緑豊かな自然に囲まれ、
朝は陽の光と鳥の囀りで目を覚まし、
夜は蛙の途切れぬ鳴き声と不思議な静けさと深い暗闇とともに目を閉じる。

自分で育てた農作物の成長に喜びを感じながら、
自然の音や匂い、色や形といった一つ一つに気付きや癒しを得て、ゆったりとした時間の中で過ごすことができている。

自分が食べてきたもの、使っていたモノが、
何からどのような過程を経て作られているのかに
気付かされ。今まで生きてきた世界ともう一度出会うような感覚と、これまでの浅はかさに反省を覚える。

そこには他人ばかりの集団と喧騒はなく、
時間に追われる焦燥感もない。

日々劣等感や時代遅れといった人の認識に働きかけ、
無駄な消費を煽り無駄に生産する人もモノも必要性もない。

眠らぬ街などといえば聞こえの良さそうな
持続不可能で身勝手な明るさはなく、
夜は夜らしくちゃんと暗い。

子供が学校に通えば教師はすべての子供を気にかけ、
状況に応じて教科や対応、教え方も変える。
決められた期間に決められた範囲の教材をこなすことだけを目的とし、効率よく大人数の子供を処理していくような教師はそこにはいない。

これらの日々は、かつてないほどの豊かさを感じさせてくれる。

ただ、同時に私は『豊かさ』のみに価値を、
意味を感じられないことにも気付かされた。

自分が豊かだろうと、恵まれていようと、
知人や友人、大切な人にその豊かさを与えられないのならば、そこに意味は感じられなかった。

今日はもう眠い。

見せかけの豊かさに踊らされ、豪奢な貧しさを手にした世界と。

まだ意味を持たない豊かな日々に。

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