源蔵じいさんのメダカ
凍えるような二月のある日、郵便配達の山田が小包を持って源造じいさん宅を訪れた。
郵便受けに入らない荷物なので、本人に手渡さねばならない。
呼び鈴を鳴らしたが応答がない。
不在通知票を入れようとしたが、山田は思いとどまった。呼び鈴の音が聞こえていないのかもしれない。
先日も音に気づかなかった源造に怒鳴られたばかりだ。
源造は何かというと山田に当たり散らす。また怒鳴られるのはかなわない。
山田はため息をつき、もう一度呼び鈴を鳴らした。今度は大声で「高畠さん!」と呼んでみた。しかし返事はない。
良く見るとドアがわずかだが開いている。やはり在宅しているようだ。「勝手に入ってくるな!」と怒鳴られるかもしれない、と躊躇したが門扉を開けドアを開けた。
玄関の電気が点いたままだ。不審に思った山田は玄関でもう一度声をかけたが、やはり返事がない。
おそるおそる部屋の中をのぞくと、炬燵のそばに倒れている源造じいさんの姿が目に飛び込んできた。
眼は見開いたまま、口も半ば開いて何かを言いたそうにこちらを見つめている。
「源造さん、どうしました?」と声をかけたが源造はそのままの姿勢で瞬きすらしない。只事ではないと感じた山田は、大急ぎで救急車を呼んだ。
救急隊は源造じいさんがすでに亡くなっていることを確認したので警察に連絡がとられた。
源造じいさんが以前から心臓に不具合があったという近所の医師の証言もあり、検死の結果も心臓発作であった。
翌日、息子の孝一が東京から駆けつけた。事件性もなく検視の結果も出ていたので埋葬許可が出て、源造の遺体は荼毘に付された。
息子の孝一とて源造を全く気にかけていなかったわけではなかった。
一人暮らしの源造を気遣い、孝一のところへ来るように勧めたことがあった。
しかし母親の入院中見舞にも来なかった親不孝息子と孝一を電話口で罵倒したのだ。
孝一はその時、リストラされたばかりで、実家に帰る余裕はなかったのだ。
源造は子供たちとも疎遠になり、妻を亡くしてからは、次第に頑固でかたくなになって行った。
最近では近所の人とも口も利かず、何かあれば喧嘩腰で食ってかかった。
一人で亡くなっていた源造の死を悼む人はほとんどいなかった。
孝一が去ってから二日後、大きなトラックが源造じいさんの家の前に止まった。作業服姿の若い男たち二人と中年の男がトラックから降りてきた。孝一が頼んだ遺品整理屋だ。
家電製品、家具、布団から本や鍋釜、食器など細々した物まで、一切合財を手際よくトラックに積みこんでいった。数時間後、だれかがここに住んでいたという痕跡は見当たらないほど、家の中はがらんとした空間になった。
撤収かという時、今度は庭で所長の野間と若い作業員とが何かを見つめながら話してる。二人の視線の先にあったのは古い大きな火鉢だった。濁った水の中に金魚のような薄いオレンジがかった魚が一匹、ゆったりと泳いでいた。
野間は渋い顔をしていた。「生き物は困るんだよ。金魚なんか捨てちまえ。」
それを聞いた高木が「社長、これは金魚じゃなくてメダカです。こんなにでかいメダカは見たことがないっすよ。この家の主だ。下水になんか捨てたら化けて出てきますぜ。」
野間は顔をしかめた。
「嫌なことを言うやつだな。」
「でもメダカは3年くらいしか生きないっていいますからね。ご家族はだめなんすか?」とたずねた。野間は一層渋い顔になった。
「できるなら苦労はないさ。仏壇も位牌も全部処分しろという依頼だ。代金もいただいている。今更メダカなんか引き取ってもらうわけにはいかないんだよ。
仕方がないな、火鉢ごと持って帰ろう。高木、お前が事務所で飼え。えさ代はお前持ちだ。生きてもあと1年か2年だろう。おれだって生きてるものを殺すのは後味が悪い。」
彼らはメダカの入った火鉢もトラックに積み込んで事務所へ引き上げた。
メダカは遺品整理屋の倉庫に眠っていたガラスの金魚鉢に移された。縁がひらひらとした丸い金魚鉢は、遺品整理屋の事務所にはぴったりだった。
金魚鉢は入口のすぐそばにある丈の低いロッカーの上へ置かれた。
高木は毎日金魚鉢をのぞきこんでは餌をやっていた。メダカはそのうち高木に慣れて、高木が近づくと水底から浮かび上がってきて餌をねだるように水面付近をぐるぐる泳ぎまわるようになった。メダカには「源造さん」という名がつけられた。
メダカは来たときに比べてもう一回り近く大きく育ってさらに2年生きた。
源造じいさんが亡くなったのと同じ2月の終わりのある朝、野間が出社すると、メダカは腹を見せて浮いていた。
出社してきた高木に、野間は「これで高畠さんの仕事が終わったな。源蔵さんの墓も作ってやるか。」と言った。
事務所の裏口に植えられている梅の木の下に源蔵さんは埋められた。梅のつぼみは春のような日差しを感じて馥郁たる香りを内に充満させているようだった。