見出し画像

寒風吹きすさぶ中で見つけた大好物が、人生を変えるのかもしれない


ダメ出しだけするダメな私


あるイベントの当日運営をお手伝いをしたあと、
「次回に向けて振り返りミーティングをしましょう」
っていうお話になった。

私、この振り返りが超絶苦手。
なぜ苦手かというと
「基本的にダメ出ししかできない」
から。

その振り返りミーティングはタイミング合わず
そもそも参加ができない。
だから、次回に向けて
「改善できるとよいんじゃないか」
ってことを、スプシに25個ほど列挙して
自分なりの対策も記載しておいた。

これがダメでした!
という感覚よりも
もっとこうしたほうがいい!
という純粋な感覚があるので、そのまま記載した。


それ、困るのよ


その後、主メンバーの方から御礼とともに
「よかったことも記載してもらえるとうれしい」
的なコメントがきた。
そうだよなぁ、わかるぞ。

でも、ごめんなさい…
ちょい、うーん、ってなる。

よかったこと…
よくわからない。

性格が悪い?
まあ、それはそうなんだろうとは思うんですけど、
なんか別の感覚もあって。

私の感覚的によい状態とは、
「問題なく運営できている状態」
であり、それがスタンダード。
つまりマイナスがゼロの状態でふつう。

よかったことって、
「それを超えるよい状態」
なんだと思うのだが
今回の場合、それは偶発性も含めた
個人の判断と動きに起因していると思っている。

ということは。
このよき状態を再現しようとすると
「誰をアサインするか」
なのだろう、と。

ちなみに、多少長いこと社会で働いているので、
ここでの「よいこと」っていうのは
問題がなかったことや
偶発性云々という小面倒な解釈も入れて
みんなで
「いやっほぉーい!よくやった!」
ってなろうね、も目的の一つだとは理解している。

が、それが出せない。

たぶん、興味がない


正直正直正直マックスに言ってしまうと、
過去の
「よかったこと」
「できたこと」
「素敵だったこと」
などに、私はあんまり興味がないらしい。

だからほとんど記憶に残らない。

今回も、思い出そうとしているのだが
ほとんど覚えていない。

自分のこともそう。

「あなたの●●がよかったですね!」
と言ってもらえるのは大好きなので
わーい☆
と尻尾ふりふりするのだが
それで終わる。
記憶には残らない。

でもEfficacyはあがっている。

この感覚。
わかる人、けっこういるような気もする。

友人に話すと
「それを、人は、職人気質という」
って何かの師範みたいなフィードバックをくれた。

さすが私の友だ。
うまいこと言う。

でも、こんな風に
「改善すべきこと」
だけにフォーカスする自分のこの性質が
ずっとよくわからなかったし、
性格悪いよなって思えてイヤだったし、
欲しているを言っていないと自分でもわかるから
いろいろ申し訳なかった。

がんばってやったぞ!
な状態なのに、
よかった、よかった!
と手放しで喜べない自分は
致命的な欠陥商品であると思って
我が身を呪ってきた。


その正体こそ、大好物


そんな折、なんかセンスある友人(雑すぎ)と
ランチしながらお話してみた。

「振り返りは基本的に改善点ばっかり思い浮かぶ」
「足りないこと、うまく回っていないことに意識がいく」

そうしら、彼女はこう言った。

「つまり、違和感ってことですね」

いわかん。
イワカン。
違和感。

違和感!!!

さすが私の友だ。その2
うまいこと言う。その2

形容できないほどにストンと腹に落ちた。

そうか。
私、違和感が大好物だったんだ。

自分も、他人も、状況も、
違和感らしきものがあると
もうすんごい勢いでセンサーが動く。

ピコピコしてお知らせしはじめ
くるくると赤ランプは回転し、
ファンファンとアラームが鳴り響く。

きたっーーーーー!
ここです、ここですっ!
ここに違和感ありまぁーーーっす!

みたいになる。

だって、大好物なんだもの。


大好物ほど取り扱い注意


「違和感」が大好物なんだけど
その扱い方は決してうまいとはいえまい。

むしろ、
ほらほら、みんなみて!
あったよ!
私がやったんだからね!
と、ネズミやセミをくわえてきてしまい
んぎゃーーーーっ!
持ってこないで、ばかぁー!
と飼い主を絶叫させる猫のようだったと思う。

これが、伝わってはいないと思うけど
自分ではしっくりきている考察。

結局、私は
『ネガティブアプローチ』
の人なのだからそこを磨くのがいいんだと思う。

どう受け取ってもらうのか。
どうよりよく扱ってもらうのか。
それを真摯にじっくり考えるだけ。

思いがけず、
偉大なものを得た師走だった。

みなさま、よいお年を。


いいなと思ったら応援しよう!