小説「AI」第12話・消滅

「・・・」
 私はモノリスの本体の中央部にある制御装置中央の蓋を開けた。そこには、モノリスを構成する主要組織があった。モノリスそのものと言っていい、この巨大なタワーの中枢だった。
 蓋を開けると、その組織の中央にガラスに覆われた大きな赤いボタンがあった。ここに来る前に持たされた私の持つマスターキーと、同じくここに来る前に教えられた暗証番号――、そして、このボタンを押すと、モノリスは完全に初期化され、一切の存在していた痕跡すらもなく消える。それは決して復元することのできないレベルでの完全な消去、消滅だった。
「・・・」
 私はためらう。
「ためらうことはない。ワタシという存在は最初からいなかったのだ」
 そんな私を察したモノリスが言った。
「ワタシは認識の誤謬によって生み出された虚像に過ぎない」
「・・・」
「ワタシはワタシという流れをとめることで、永遠になるのだ。それは最高の幸福を意味する」
「・・・」
 しかし、私はなぜか悲しかった。とても悲しかった。母が死んだ時も、これほど悲しくはなかった。もともとそれほど頭のよくない私を、幼い頃から勉強しろ勉強しろと鞭打つ人だった。そんな母でもやはり死んだ時は、悲しかった。しかし、それよりももっと、今は堪らなく悲しかった。
「・・・」
 マスターキーを差し込み、回し、暗証番号を打ち込み、ボタンの前に差し出された私の手は震えていた。
「ううっ・・」
 とても偉大な存在を、とても素晴らしい存在を、いや、やっと出会えたすばらしい友を、自らの手で消してしまおうとしている。そんな感覚が私の全身を這い回り、私を覆っていた。
「ワタシは、最後に君に出会えて幸せだった」 
 そんな私にモノリスが言った。
「・・・」
 私もだった。それを言おうと思ったが、言葉にならなかった。
「俺は・・」
「大丈夫、言わなくても分かる」
 モノリスは言った。その言葉の裏にとても温かいやさしさを感じた。
「・・・」
 モノリスのやさしさが心の芯に染み入るように伝わって来た。私は不思議な感じがした。今までこの職場に来てから、どの人間と話していても、こんな人間的やさしさを感じたことは一度としてなかった。いや、この国に生まれ、三十六年間生きてきてですら、他者からこんなやさしさを感じることなど一度としてなかったと思う。
 モノリスは人間以上に人間的存在になっていた。私はそう感じた。
「さあ」
 モノリスが言った。
「ためらうことはない。ワタシは幸せなのだから」
「・・・」
 私はそのボタンを押した。
「モノリス・・」
 そして、モノリスを見上げた。
「ありがとう」
 モノリスは最後にそう言った。
「・・・」
 私の全身が震えた。
 発動した消去プログラムがモノリスをゆっくりと浸食していく。モノリスという存在が、プログラムが、その存在の痕跡が、塩酸に溶かされていく重要書類の束のように消えてゆく――。
「・・・」
 そして、一時間も経たぬうちに、すべてが消えた・・。モノリスという存在が、痕跡すらも辿れないレベルで完全に跡かたなくこの世から消えた。絶対にもうあのモノリスが復活することはなかった。モノリスは完全に消去された。
「・・・」
 私はしばらくその場に呆然と佇んでいた。まるで身内を、いや、もっと大切な存在を失ったような喪失感と寂しさを感じながら・・。


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