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気の長い女 ー 100円ショップの商品入荷を年単位で待てる気の長さ
(文責:はむすた)
私は短気だ。
いきなりタイトルと矛盾しているが、日常的に気が短い。
大学のプログラミングの授業では、エラーを吐き出すプログラムに対して、通常はどこで間違えてしまったのか順番に1行ずつ確認する必要があるのだが、私は1~2回のトライ&エラーで少ない忍耐力が尽きてしまい、やる気を失ってしまう。
当時講義を担当していた助教授(女性)が「あなた、短気なのね」と初回から見抜くほどの筋金入りの短気である。
が、「待つ」ということに対しては何故か超人的に気が長い。
どうも「待つ」ことのような、「惰性」の作業は得意らしいのだ。
たとえば100円ショップで春にしか売っていない桜のデザインの皿を、ある年の春に買ったものの誤って割ってしまった場合、翌年の春に買いに行って売っていなければ、翌々年、翌々々年、そのまた次の年にまた売り場に行き、再び製造され販売されるのを待つ始末である。
ご存知の通り100円ショップの商品は入れ替わりが激しいものの、稀に一旦消えた商品が再び製造されることもあるので、その「稀」な現象を気長に待っているのである。
100円ショップに関してはまだ時間スケールが短い方で、たとえばレディースファッションは5年とか10年というサイクルで似たようなタイプのデザインが流行るので、最初の流行の時に買い損ねたデザインの服が再び店頭に並ぶのを、5年とか10年待っている。
メールやLINEの返信も年単位で待つ。もちろん返信が来たことはないが。
そういうことが日常茶飯時のため、小売店で品切れの商品について店員に次の入荷時期を聞いたりして、「かなり時間がかかると思います」と答えられると、「だいたい何年くらいかかりますか?」と言ってしまう。
大抵の店員は怒った様子で「2週間もかかりませんよ」と言って去っていくのだが、私には悪気はない。
そんな私がnoteなんて始めたものだから、これまた気の長い作業である。
プログラミングの間違い探しもできないくらい気が短いのなら、noteを書き続けるなんてもっと無理だろうと思われそうだが、私にとって「書く」ことは「待つ」ことと同じくらい、「惰性」の作業だ。
かつて大学時代、1日分の日記を3時間かかけて書いて(当時は手書きだったので)腱鞘炎になりかけたくらい、呼吸するがごとくいくらでも文章を書けるので、「書くこと」はまったく苦にならない。
「惰性」なら、5年でも10年でも続けられる。
なんなら、このnoteというサービスが世の中から飽きられて消滅する頃まで呑気に書き続けている姿が容易に想像できるくらいである。
ちなみに、このブログは「げっしるい夫婦の日記」であって夫婦共同で執筆するはずだが、夫のかぴばらはまだ1記事も書いていない。
彼がいつか書き始めることを、私は今日も気長に待っている。