秋の夜長
秋の夜長
この言葉を聞いて浮かぶのはなんだろうか。
辞書で調べてみると、書いて字の如く、「夜が長いこと」だそう。あまりにも味気ない。
一般的には秋分の日以降を指すようだが、私はもう秋の夜長を使いたい気分。
私は季節の中で一番、秋が好きだったりする。
午前中、体を素通りしていく涼しくて気持ちの良い風が何よりも好きだ。生まれ育った商店街を吹き抜けていったあの風を思い出す。
そんな私にとっての「秋の夜長」は
夜が長いというより心地よい夜を感じられるといった感じ。
これまでの夏のまとわりつくようなジメジメが急に終わりを告げて、それらを吹き流すような寂しさと涼しさと晴れやかさを含んだ涼しい風が吹く。
思わずちょっと外に出て月を見上げたくなるような、散歩したくなるようなそういう静かな秋の夜。
秋の感情は、よくノスタルジー=郷愁とあらわされる。
涼しげな風と静かな夜の中で少し寂しさを感じる。
でも、不思議なことにそれは故郷に対してのものでも自身の過去に対するものでもない。
ただ漫然と寂しさがある。心の中まで風が吹くようなそんな寂しさ。その心の中を埋めたいという衝動が、特定の方向に熱量として向く。いわゆる、〇〇の秋というやつだ。
スポーツの秋、読書の秋、食事の秋、結局のところ丸に入るのはなんでも良いわけで。うまい具合にメディアに乗せられて、初めてみるものの長続きしなかったりする。
それはおそらくその習慣がないから。
スポーツの秋を謳って、スポーツをする人間の多くは普段からスポーツをしていたり、好きだったり、趣味だったりする。
だから、突然始めたって長続きするわけがない。
結局のところ、一番良いのは家のベランダや縁側、窓から満月を眺めながらその涼しさに浸ること。
寂しさを埋めるのは常に人。物で埋められる寂しさは一時的でしかない。
時に一人で耽り、時に人と過ごすことで心もリラックスできるはず。
そんな生活を明日も送ろう