見出し画像

最近は見かけなくなった石積みの塀。当然といえば当然だ。コンクリート塀の方がコストも時間もかからないし、そもそも塀自体の目的はそれで十分果たせるならそちらを選ぶのが当然だ。もう10年以上も前だろうか、たまたま見ていたNHKのドキュメンタリー番組で「穴太衆(あのうしゅう)の野面積み(のづらづみ)」について知ることとなり感動した。詳細はもう記憶にないがそのことを思い出していたので今日書いてみようと思う。

戦国の安土桃山時代に穴太衆という石工職人集団がいた。彼らは時の権力者であった将軍や藩主たちから重宝され、安土城、彦根城から大阪城、江戸城まで日本中の石垣を作ってまわったそうだ。今日では粟田建設という会社の15代目がその技法を継承している。
その特徴を簡単に説明すると、自然石を加工せずにそのまま使用するので、石はサイズも形状もまちまち。それらをただ順番に積み上げてゆくというシンプルな工法。隙間や出っ張りも多く、表面もフラットではない。近代工法的に考えると一見非常識な工法だと思うが、当時それを多くの実力藩主が起用した。頑丈さや屈強さが好まれたからであろう。

 

僕が一番惹かれたポイントは、塀を構築する石は大きくてどっしりした頼り甲斐のあるデカ石も、それに続く存在感の中くらいのまあまあ石も、小さくて普通なら放られるチビ石も皆それぞれの役割があるということ。特に一見役立たずに見える小さな石が塀全体の安定感や水はけを増すための重要な役割を果たすとのことだ。
人間社会でいえば個の尊重でありダイバーシティに当たるのでは。まさに社会起業家やソーシャルビジネスが目指す世界観だ。野面積みは建造時に設計図も無く合理性に基づいたコンクリ塀とは異なる。見た目にもシンメトリーな西洋的な美しさはないが、アシンメトリーさが無骨さを表現し自然な感じが魅力である。

しかしこの大中小入り混じり、形状も異なり、縦横も奥行き的にもまちまちのサイズという個性を持った石からなるこの塀が、地震にもビクともしない最強の砦をなすという。大学での実験でコンクリ壁の2倍の強度があることも実証されているという。素晴らしいではないか!
個々の石がそれぞれの個性を生かし、お互いに長所を生かし弱点を補強し合いつつ最強の塀を構成する。これは人間でいえば理想の社会、組織に通じる話ではないか。番組を見ながらそう思った。そう、どんな子にもちゃんと役割(ミッション)があるのである。

 

穴太衆の14代目の棟梁が言った一言が強烈に記憶に残っている。山で集めてきた石をどういうルールで積んでゆくのですか?という番組の問いに対し、代々口伝されている答えが「石の声を聞け」「石が行きたいところに積んでゆけ」というものだそうだ。個々の石がちゃんとそれを主張するそうだ。
「僕をここに積んで!」と。その声を聞けるようになって初めて一人前の穴太衆になれるそうだ。これは顧客や社員の話をよく聞いて判断するリーダーに通じる話ではないか。

 

聖書に「隅の親石(すみのおやいし)」という話がある。捨てられた石が家を支える最も重要な石となったという説話。誰しもが自分の才能を生かして何らかの役割を担うことができる社会が一番理想の社会ではないか。心底そう思っている。
映画作家フェリーニの名作「道」のワンシーンで自己肯定感ゼロのジェルソミーナ(素人道化師の女の子)にピエロの男が語るシーンがある。「この世に存在するものは全て意味があるんだよ。こんな道端の小石だってちゃんと役割があるんだ」「君だって」と。

 

穴太衆  https://shirobito.jp/article/634 (城びとHP)

野面積み https://shirobito.jp/article/554 (城びとHP)

粟田建設 http://www.anoushu.jp/ (株式会社粟田建設 HP)

いいなと思ったら応援しよう!