マウントじゃ低いので天まで昇る話②
本編
正直こっちだけ読んでくれたら話はわかる。
黄金時代
さて、蠱毒を生き残り最強のマウント女子にのぼりつめた私だが、大学には一人の知り合いも居なかった。
優等生とは同じ大学・学部なのだが先述したようにクソクソクソ仲が悪かったので互いに居ないものとして扱っていたし、知らない土地に一人でやって来たヒヨっ子のようなものだったわけです。
高校の蠱毒が終わった頃から卒業までは死ぬほど楽しくて、大学入学時には私は見下してくる人間絶対殺すマシーンから人間へと回復を遂げていた。
しかも運のいいことに大学で友人になれた人にはまじでいい人しか居なかった。
最初に友達になった人がまず天使で、
私を見下すどころか褒めるわ認めるわで、私は
次第に「マウント取らない人間って実は一番かっこいいのでは?」と考えるようになっていく。
私を見下す人間もいるにはいた。
でも高校のことを考えると全然許容範囲内で、
うざいので友人をするのは早々に諦めたが
「死ね、いや殺す」 とかではなく
「あーー……嫌な思いするなあ……
苦手……バイバイ」
くらいのものであった。
衝突もあったけどほんとに高校と比べたら
ちょっとした喧嘩程度ですね。
相手を認め、自分を認められる人間と多く知り合い、なんていうか本当に好きな人間が増えました。更正物語?
だから天から目線まで昇る
「マウント取らないマウント」じゃなくて本当に
「マウント取らない人間関係」が出来てきたんですね。
そうして「マウントを取ること」が唯一の生存方法であった高校時代と
「人も自分も認めること」が良い生き方だと思い始める大学時代を比べて思ったわけです。
これマウントについて記事が書けるな、と(伏線回収)。
で、今の私は(人から見たらマウント女子そのものかもしれないが)マウントにあたる発言警察になっている。
これは「マウントを取りたくない」という気持ちと「マウントを取る108の方法(?)」がどっちも頭の中にあるからなんですね。
どのような発言がどのようなマウントにあたり
どう反論できるかが高校時代の経験から分かる。
でもマウント人間になりたくないからそれマウントですよ!!!!って指摘するだけで止める。
本人には言いませんけどね。
人はマウント人間の気持ちがわかるからこそマウント警察になってしまうのです。どういう事?
次は人はなぜマウントを取り
なぜマウントを取らないのかについて。
自信
大学の友人ほんとに良くて。
マウント取らないけど心の中では見下してるっていうのは自分の性能への自信の表れだけど、
マウント取らずに相手がすごいことを認めるっていうのは自分自身への自信がある人にしか出来ないことです。
この説明をするために
マウントを取る人間は自分に自信が無い(そしてプライドだけが高い)(ことが多い)という話からしていきましょう。
マウントを取る人間は自分に自信がない。
ほとんどの場合はそうだと思っている。
レスバに勝とうとする人もそれですね。
「勝たないと負け」って思ってる人って、
デフォルトの状態が負けなんじゃないかなって思ってる。本人の中ではね。
もちろん人に「お前の方が下」って言われてムッとするのは当たり前のことだし反論するのも正常な反応だと思う。
その程度がどこまでも強い人がいる。
強いって言うか、「お前の方が下」って
言われる前に「はー???俺の方が上ですけど???」っていう人がいる。……いるんですよね。
そういう人は自分に自信がないんじゃないかと思う。
自分が自分を認めている人や、
他の部分で自分に自信がある人、
なんというか全体的に余裕がある人は
必死になって「勝とう」としない。
ここら辺は例外の多い話なので特定の状況の話をしていると思って貰えたら誤解が少ないかもしれない。
例えばゲームで必死に勝とうとする人に自信が無いわけじゃない。それは全力で楽しんでるだけ
とりあえずここではレスバトルに絶対勝ちたいマンにしとこうかな。
なんか、切磋琢磨っていうのとは違う
「とにかくその場で負けたくない」って人のことを言ってます。
一方で自信が無いと、そこで負けてしまうと
自身の否定に直結するわけです。
下のはTwitterの拾い画なんだけど、全体的にこういう事。
これな〜
この元々限界まで低い「自己価値が下がる」理由が「レスバでの負け」「マウント取り合いの負け」になってる人はマウント人間になるわけだ。
マウントを見るからに取ってくる人は
「目に見えて勝ちじゃないと負け」だと思っていて、
マウント取らないマウントする人は
「打ち負かさなくても勝ってると思えるけど心の中では勝ってないと負け」、
マウントを取らない人は「皆はすごいなあ!私もすごいとこあるぞー!」と思っているわけです。
急に知能下がったみたいになったけどそういう事じゃないです
余談:そこに山があるから
そう考えていくと、
女子ってすぐマウント取りたがるよな、も
マウント取らないマウントの一つで、
それに対する女子のそんなことないよ〜って
反応もマウント取らないマウントなのです。
人は知らないうちに山を登り天に昇っている。
このマウントマウント、高校の時男子に言われたことあるけど大学入ってから「女子って」じゃなくて「マウント取りたい人間っているよな〜」って発言で聞いたことがあって、
後者はマウントじゃなくて私への慰めだったし
だから俺はお前らが好きなんだよな。LOVE.
ってなった記憶があります
マウント取らないマウントとマウント取らない人の差は(ややこしい)
自分の性能の高さが認められなくても自分自身を認められるかという所にある……のかなあ……?
すごいAを持っている「から」自分はすごい!っていうのと
すごいAを持っている自分はすごい「頑張った」!
……みたいな……?ちょっと違う。
頑張った部分に重点を置く前者もいるからね
なんというか人をしっかり認められる人は
「自分自身を認めている」としか説明ができない。伝われ
余談:すごい
大学に入ると人が私を認めてくれて、
私を認めてくれる人には実力や経験に基づいた
自己肯定感のあるちゃんとしたすごい人しかいなくて、私は彼女ら彼らを認めているわけです。
そしたら私が認めているそのすごい人たちが
また私を認めてくれて、
私はそのすごい人たちに認められたすごい人に
なって、
そのすごい私がすごい人達を認めて…………。
無限肯定感上昇装置。
私は生まれてこのかたマウント人間だったのが大学で友人が増えてだんだんマシになってると思う。
これでもマシになってるんですよ
それはひとえに友人たちが私を認めてくれるおかげだし、
なんならマウントor死、であった高校時代に「マウント取らないマウント」という比較的害のない方法を取れていたのはどんなにゴミクソ言われても親はいつも「美奈は間違ってない」と言ってくれていたからです。
嫌いな人間に対してすら「人を見下したいなら俺を好きに使えばいい、俺は俺の事を自分で認めてるからよ」
と思って……いや死ねと思っていました。
なんの話してたっけ
マウントと自信についてだ。
マウントを取る人間には多くの場合自信がなく、
人を認められる人は自分のことも認めていることが多い。
自信が無いのに人を認められる神みたいな人間もたまにいる。私としてはもうその時点で自分に自信もっていいと思うんだけどね。
マウント取らないマウントはその中間かな。
必死になってそんな……とは思うけど
ちょっとは張り合っちゃう。みたいな
私にとっては防衛反応みたいなものです。
余談:一周まわって
マウントは自信のなさの表れ、と考え始めた頃からマウントを取ろうとする人間を見る目線が「マウント取らないマウント」に近づくことが出てきた。
これ不思議な話なんだよね〜
素で「そんな必死になって自分を守らずとも良いのに……」と思って、自分がその上か下かは考えない。みたいな。
目線は「マウント取らないマウント」を意図的に取ってる時と一緒だけど本当にこっちはマウント取ろうとしてないんだ。
私は高校時代すでに「一番上の目線」を獲得しようとしていた……!?
人に上から目線することに関して
私には無限の可能性があるからな。
そういえば
高校時代まで天界に住んでいた私ですが、
大学で地上に引っ越してきたかと思ったら
最近久しぶりにマウント人間に邂逅して
懐かしい思いと怒りとともにこの文章たちは生み出されました。
最近の対処法としては
「脳内に優しい友人を住まわせる」
が最強ですね。
なんかさあ いるのよ 無限に優しい友人って
例えば煩悩とかを脳内に置いておけば、めんどくさいレスバマウントに一個一個優しくリアクション良く対応していくのよ。私はしないけどね。
そうしたら「めんどくせえな」って思ってたはずなのに気づいたら「煩悩って……最高だな」になってるわけ 最高じゃない?
あと蘭たんとかね
ツッコミながら「ねぇもう美奈困ってるから〜(オカマ)」って言ってくれるんだろうなあって。
これがソーシャル・キャピタル。
友人や好きな人間が多いって最高だな。
私は今、本当に幸せです(幸せマウント)。
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