なんか書く
なんかね〜
思いつくままに何かを書こう
読めるように推敲しないので
読まなくていいです(いつもの)
山に行きたい。嘘である。山に行っていい事なんかひとつもない。虫と汗と紫外線に殺されるだけだ。嘘である。
運動はいい。運動しても人は痩せない、みたいな動画を見たが、運動しないと人は太るので運動はした方がいい。した方がいい事と言うのはしたくない事だ。運動、家事、早寝早起き。した方がいい事は何もしたくない。ああ、読書はしたいかも。
そう考えると美容に気をつける人や休日の早朝に走っている人なんかは、した方がいい事と好きなことが重なっている、もしくは重ねた人だ。羨ましい。継続は常に努力とセットだが、中断は常に怠惰とセットだろうか。
三日坊主だ。酷く、熱しやすく冷めやすく、上限温度も低い。怠惰でしなくなること多数、だが私の場合は忘却が大きな要因だ。新しい取り組みが習慣になるまで2週間かかるらしいが、それって24×14時間忘れないでいなくてはならないって事だ。
無理だ……。昨日の夜ご飯も覚えていないのに……。思い出した。ケンタッキー食べたいな〜でも面倒だな〜うどんにするか〜明日の帰りにケンタッキー買お〜うどんには茶漬けの素を合わせよ〜と思った挙句に茶漬けの素が切れていて買うのがめんどくさくてそこら辺にあったツナ缶と冷凍ほうれん草で何とかしたんだ。
なんてことだ。私は何段階の飯を諦めた!?田淵智也も言ってる!いつか終わるから今日を諦めないでって!山口一郎も言ってる!いや思い出せないけど今日を諦めるよりは諦めない方がいいよねって山口一郎も思ってるはずだ。
違くて。
本題はそっちじゃなくて、そもそも本題なんかないんだけれど、私は今日の朝ケンタッキーのことも忘れていたんだ。看板を見て「昨日食べたかった気がする」ことを思い出した。
因みに違くて、と言うのは本来誤用らしい。
正しい使い方は知らない。私は誤用だと思っていないし。ら抜き言葉、れ入れ?言葉もだいぶ急速に馴染んだものだと思う。言語のゆらぎは面白い。
読解力があると思っていた。平均より本読んでるし。でもどうやら平均より読解力が低いみたいだ。人間関係での読解力は激低。何も気づかない。それはしょうがないから気をつけていくしかないんだけど、どうやら文面での読解力も低いらしい。
人と同じ本を読んでオチの意味に気づかない。歌詞から状況を把握できない。メールの文面から必要な準備が分からない。何だかそういうことが時々あって、あー という気分になる。
嫌、という程では無い。
知り合いのカップルが別れたって言う話を聞いた時のあー って気持ち。仕方ないな、でもそうはならないで欲しかったな的な。
例えば、ここに牡蠣があるとする。きらめく牡蠣だ。殻と身が喧嘩する。牡蠣は見た目が1番だ。違う、牡蠣の本質は中身だ。どちらが主権を握るかで争う。殻は身を守るためにある。私は中身が本質だと思う。牡蠣は感謝する。牡蠣は激怒する。生の牡蠣はあんまり食べないのだけれど、火はないからそのまま食べる。牡蠣は絶叫する。牡蠣はせせら笑う。
いや、牡蠣の話がしたかった訳ではなくて。
これは違くて。と同じ誤用に当たるのだろうか
長いな。楽しいが切るか。
noteはせせら笑う。
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