絶望アレルギー

人生には不愉快なことが沢山ある。
だからこれ以上、
不愉快なものを作る必要はない。

ピエール=オーギュスト・ルノワール


私は人が絶望する物語を見ることが出来ない。

私の趣味範囲をご存知の方々は
何を言う、この五枚舌クソ野郎!
と思うかもしれないが何を隠そう事実である。


どの順に話そうか、まずは私が見られない作品の
代表として「お仕事成長物語」がある。
月曜だか土曜だかの夜にやっているドラマで
よくあるやつだ。

よくある流れでいえば、
主人公が長年憧れていた仕事に就くものの、
職場の人や諸々に理不尽な仕打ちを受けたり
不運が重なり失敗続きになったりする。

そこで主人公の心が折れるか
周りが引く程に熱意が高いかは知らないが、

「仕事のライバル的な者に邪魔をされて
 (理不尽気味に)
 物事が思い通りに進まない」

といった描写を、私は見ることが出来ない。
出来るけどね 見たくない

何故かと言うと嫌な気持ちになるからだ。
それをどうやって乗り越えるか、になんて
目が向かなくなる程嫌な気持ちになる。

騙し討ちに騙し討ちを次ぐギャンブルものなら、
あるいは命を賭したバトルものであれば
敵に姑息な嫌がらせ等をされる描写も嬉々として
見るだろう。

だが「お仕事成長物語」は見られない。
絶望の種類があまりにも「現実」すぎるからだ。
夢を持って取り組んだ物事への熱意や努力を、
嫉妬、嫌悪、目障りといった理由で
正当性もなく邪魔をされる。

これを何故フィクションで見なければならない。

私が人生で嫌な気持ちを得ている部分を、
わざわざ娯楽で見たくはない。

だから、韓国ドラマの
「一般家庭女性、御曹司男性が恋愛関係になる」
ことを目的とした、障害として
「ライバルである上流階級女性からの
 権力を駆使した邪魔」
が用意されている……といった物語も
目にしたくないタイプのものである。


余談:この辺で対策をば
もちろんそれらの作品に「存在価値がない」
というつもりは全くない。

なぜ私がこれらを見られない、と
強く思っているかと言うと
母がこういったドラマをずーーーっと見ている
からである。

こういったドラマを好きな人種は、
言わずもがなこの世に多くいる。

私と相性が悪いという話である。
そして、この世には私のような人間も
少なからずいるのである。


「現実にも見られる、挫折を経た成長」
を描くフィクションが苦手である。

現実にある挫折を見ないといけないから。
人生の嫌な部分を思い出しながら物語を楽しむ
ことができる人は相当強いんだろうな。


だが、成長する主人公には「揺れ」が必要だ。
挫折や失敗がない物語には成長がない。
だから私は現実に存在しえない絶望が大好きだ。

東京喰種、メイドインアビス、宝石の国……。

私がことある事に人に押し付けようとする
死ぬより酷い目に逢うのが特徴の絶望系漫画。

「グロい」とか「可哀想」とかで
読むのを断られる事がほとんどだが。

人生でかなり磨かれた部分から勧める物だが、
そういうのを読めない人は読まないでくれ。
多分私が「お仕事成長物語」を見るのと
近い気分になるんだろう。

だが私に限っていえば、
創作の中でさえ現実に存在する惨めさ、理不尽さを見せられるほうがよっぽどグロテスクだ。

生きたまま右腕を切断されるよりも、
休憩室から自分の悪口が聞こえてくる方が
痛いというもの。

前者の痛みを私は知らず、
後者の痛みを私は知っているから。

そういう意味でいえば、
後者の痛みを味わうことが少なかった
人間の方が私の見られない類の作品を
好きだという可能性はある。

それならば、見られる人は多い方がいい。


いつか「現実に存在しえない絶望」の良さに
ついて語りたいと思います。それでは

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