日記、自慢話、もしくは不幸な人間
不思議だ
ダラダラと思ったことを書くだけ
小中学校の同級生2人と遊んだ。
会うのは2年ぶりで、
その2年前も5年ぶりだったくらい、
普段は会わないし連絡も取らない人達だ。
小中学生の私というものはマジモンのクソガキで
しっかり問題児だったし暴力的で我儘だった。
今もなんだけど
それから高校時代に更に悪徳と毒性を積み、
大学で悪を隠そうとする心を学んで(隠せてはない)
今の私がいる。
つまり暴力・エゴの部分だけを知ってる人達
私を好きなわけが無い
だけど会おうと言われるのだ。
そして「3人で仲がいい」という形をとる。
この3人を仮に寮生と呼ぶ。
寮生のほか2人は私と関係なしに仲がいい。
個人でLINEをして、心を病めば互いに相談する。
だけど彼女らに何かを相談されたことは無いし、
同じく私は彼女らに相談しない。
だから私は寮生3人の集まりをずっと謎に思っている。今もだ
何故「友達のような集まり方」をして
「友達のように遊ぶ」んだろう。
その中の私だけが友達ではないのに。
だから今回の集まりも行きたくなくて、
それは小中学校からずっとある疎外感を
久しぶりに感じたくないからで、
私の無価値さを再確認したくないからだった。
予想は裏切られることとなる。
結論から言うと、
私はその場にいても良かったらしい。
集まりが楽しかったという事実に、
今も整理はついていない。
謎だ
まるで先週も会ったかのように、
最近ハマっている作品の話をして、
流しているテレビの感想を言い合って、
何でもない雑談をして仕事の愚痴を話した。
私は聞き役でも話役でもなくて、
バランスよく話して聞いて笑って帰った。
私が明日のため早く帰ろうとすると
割としつこめに止めに来た。
わからん
なんでこの人たち私がいていい感じにするんだ
私は別にそのふたりが大好きなわけでも
大嫌いな訳でもない。
「そういう人たち」だと認識している
小中学生の頃に露出していた
我儘さや身勝手さを知っているから、
多分お互いに「いい人」だとは思っていない。
だけど友達なのだ。
それが分からない
私は大学でたくさんの友達と出会った。
それは私が多少気をつけた結果であり、
本来の最悪な部分(出てるけど)を
最低限抑えてこその賜物である。
私のいいところがなんにもない時代に
知り合った人たちが
私と友達である謎
2年前も、多分同じことを思ったな
そして楽しかったー!っつって帰った気がする
幸せなはずなのになんか
なんだ?傷ついた?とはちょっと違うが
帰り道に幸せさと辛さが同時に来た
意味がわからん
私は「幼馴染の友達」が居ない人間なのだ
そう認識してきた
居ていい人間でもない
人のために生きられないのだから
もしくは、
何の努力もせずに運良く幼馴染の友達が残り
高校、大学と人に恵まれ続ける自分に
苛立っているのかもしれないね
ちょうど今、
帰省してくる人たちからの誘いが来て、
俺らからの誘いが来て、
そして寮生にも誘われて
あー それが意味不明だったのかも
私は「誘われる人間じゃない」
ことが最大のコンプレックスであり
アイデンティティな人間だ。
「人を誘っても断られない」という
ギリギリのラインで自己を保って生きてたのに
急に色んな好きな人達から誘いが来て
コンプレックスとアイデンティティを
同時に失って意味わからん状態になってる。
たぶん
そして自分なんかを誘ってくる人間に
疑問も持ってる。
いや多分さ
都合がいいから呼ぶとか、
帰るのに立ち位置的に呼ばないのはおかしいから
呼ぶとか、そんなんが殆どだとは思うんですけど
そうじゃないことを期待する自分も嫌だし
誘いをくれた好きな人たちを
そんな「都合で人を呼ぶ」人呼ばわりする
自分も嫌だし
なんだこいつ〜!!!
孤独の逆ってなんて言うの
友人関係の幸福に対する耐性がなさすぎる
俺は孤独な人間なの!!!!
友達に囲まれていい人じゃないの!!!!
嫌われるのがデフォなはずなの!!!!
みたいな
真実はいつもわからん!
私は好かれているのか嫌われているのか
どうでもいいと思われているのか!
本当はどうだって、どうでもいいんだろう
嫌われていても私は友人を大好きなままだ。
話は変わりますが(!?)
私は辛さが蓄積した時期に人に救われる
というスキルを持っています。
やだなーって時期に 急に人と会ったりして
人生がよくなりだす。
それがずっと高校時代唯一の友により
行われてきたのが、
俺らやサークルの友達や寮生になったのかもね
私って友達多いのかもしれない
いや それはないな ないでーす!
でも面倒な私と嫌な顔せず遊んでくれる人達は
大好き!
いつもありがとう!
最高!!!!
ほんとにありがとう!!!!
(幕が閉じる)
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