「星の王子さま」サン=テグジュペリ を読んだ

読んで良かった


星の王子さま、すごく有名な本だけど読んだことはなかった。

突然読んだ理由は今やってる無料ゲーム「sky」とコラボしてたから。skyは「星の子」を操作して空を飛びまわり、光の欠片なるものを集めたり精霊を空に返したりする綺麗なゲームで、星の王子さまコラボは天才の判断だなと思う。

ゲーム中に出てくるシーンや王子さまのセリフが手のひらサイズで暖かく煌めくものだったので素敵だなあと思い、読んだ。


あらすじ
砂漠に飛行機で不時着した「僕」が出会った男の子。それは、小さな小さな自分の星を後にして、いくつもの星をめぐってから七番目の星・地球にたどり着いた王子さまだった……。
新潮文庫版 裏表紙より


感想
パイロットの主人公は不時着した砂漠で不思議な男の子に出会って、彼の話を色々聞いていく。大事なもの、友だち、おとなとこども……。

王子さまの考えと「おとなたち」の考えは全然違って、自分の価値に固執する大人が皮肉を交えて描かれていた。文中のおとなたちは皆すごく極端でおかしな人達ばかりだけど、そういう面って大人には少なからずあるよねって頷けるのが怖いところ。
皮肉というのも、大人になった私達が読むからこそ「変なの!」では済まされない何かを感じ取ってしまう結果の皮肉で、もっと子供の頃に1回読んどけばまた違う感想を持っていたのかなと思う。


柔らかい文体ながらとても大きく、難しく、大事な話をされているように感じて不思議な気分になった。伝えたいことの中心を突くような言葉もあるけど、具体例のようなそうでないような説明で進んでいく。

例えば(既読者にしか分からないけど)
砂漠の中を歩き回って頑張って汲み上げた井戸の水を、「この水が飲みたかったんだ」「そうか、きみは、これをさがしていたんだね!」というシーンとか、言いたいことは分かるけど何が言いたいか説明して?と言われると無理、みたいな
星々が輝く理由とか、すごく素敵だけど言葉にするのは難しい。
(読み直してて思ったけどこれまんま行動主義だな)

分かるけど分からないような……言語化、説明出来ない金言みたいなのがたっっくさんあって、雑に言うとたぶん何回読んでも飽きないなと思った。その時々の私の心に合わせて話の大事なことが変わる、みたいな?分からん

実は感想を書くのもめっちゃむずくて、何を読みといたかよく分かってない。この本を読む体験は大事だな、ととにかく思った。


「おとなというものは、自分たちだけではけっしてなにもわからないから、子どもはいつもいつも説明しなくてはならず、まったくいやになる……」と作中序盤に書かれているように、あんまり分かりやすい説明をする気もないのかな、と思う。

色んなことに対する説明もない。なんでヒツジが欲しかったのかとか、なんで男の子じゃなく王子さまなのかとか。でもきっとそんな事はどうでもよくて、王子さまが世界を見て回って友だちとの絆に気づいたということ(とその周りの出来事)の方がずっと大事なんだろうな。

わかる、というのは
正しい答えを知っている なのか
自分で納得出来る答えを知っている なのか
相手の言いたいことを自分で考え出せる なのか
分からない。説明もなかったけれど。

最後に主人公が「どういうこと?」って何回か説明を求めるのは主人公がおとなであるという意味合いなのかな。ちがうかも

とにかく作中は、完全に納得するというより、素敵で不思議で大事な話を分からないまま何とか胸に納めていく作業だった。
優しい文章で心について考え直す文章。
とっっっても良いけど難しく大変だった。


絆を結ぶ
我儘に見える薔薇に嫌気がさして星を出ていった王子が、沢山の人やものを見て最後には「僕のバラ」の元に帰る姿は人間の成長そのものだと思った。色々見ると身近な大事に気づくあれ。

バラの大事さに気づかせてくれた、地球で出会ったキツネと友だちになって別れが寂しくなるシーンも良いな〜
私は私自身を「親以外の誰にとっても代替品のある人間」として認識していて、人にとって私は必要ないものだというのがずっと辛い真実としてあるんだけど、キツネの考えはそれに対してかなり救いがあるものだった。

「(王子:『なつく』ってどういうこと?)
それはね、『絆を結ぶ』ということだよ……
きみはまだ、ぼくにとっては、ほかの十万の男の子となにも変わらない男の子だ。
だからぼくは、べつにきみがいなくてもいい。
きみも、べつにぼくがいなくてもいい。
きみにとってもぼくは、ほかの十万のキツネとなんの変わりもない。
でも、もしきみがぼくをなつかせたら、ぼくらは互いに、なくてはならない存在になる。
きみはぼくにとって、世界でひとりだけの人になる。ぼくもきみにとって、世界で一匹だけのキツネになる……」

「きみのバラをかけがえのないものにしたのは、きみが、バラのために費やした時間だったんだ。
きみは、なつかせたもの、絆を結んだものには
永遠に責任を持つんだ。
きみは、きみのバラに責任がある……」

私は友人にとって代替品/上位互換のある人間だけど、過ごした時間は私と友人独自のもので、そこで結ばれた『絆』は世界にひとつだねという救い。
ネガティブマシーンなので上位互換と別の絆を結べばこっちいらんやんとは思うけど、上位互換との絆と私との絆は別物だって事だけは言える。
その時間を信じることで友人らにとって私が不必要ではないという言葉に一理がもたらされる気がして嬉しかった。



全部の言葉が訳者の腕もあってすっと入り込んでくるというか。あの言葉が強く印象に残るなあ!のいうよりは一文一文しっかりと刻まれていくような、ぜんぶ大事なものって感じがした。
ネットに全文公開されてるし読んでみてください


いちばんたいせつなことは、目に見えない
星の王子さまでいちばん有名な一文なんじゃないかな。
ものごとは心で見なくてはよく見えない。詳しく意味は分からないけど、そうだなあと思った。
心で見るってどういうことなんだろう。
出来事の些事に拘らず本質を見抜くということ?
分からないけど考えるべき言葉だと思う。


星の王子さまはずっと綺麗事を喋っているような気もするし、具体性を全部抜いた真理を喋っているような気もする。正しいかもだけどそれを守っていくのは難しいよね、っていう。
完全にすっとは受け入れられなかった言葉もあるし、自分のこだわりに固執してしまうことがあんまり良くない(この表現は作者の意図とは違うかもしれない)、みたいな主張も「そう出来たらいいけどさあ」って思うところはあった。


余談:正しい主義?
人は自分が幸せになるように生きればいい。この考えをみんなが持つ必要はないし、少なくとも自分はこの生き方で幸せだからこうしてるんだ。

こういう主義の友人とたまたま星の王子さまを読む前日に話してた。そのタイミングが良いのか悪いのか分からないけれど、この人の主義と星の王子さまの作者の主義、多分反対に近い。

作者は傍目から見たら意味の無いことに固執する人間は良くないように書いていて、ほんとうにたいせつなものを自分自身の心で考えることを大事にしている。
でも私の友人は多分、作中のおかしなおとなたちを見て「彼らがそれで幸せならそれが彼らの生き方でいい」って言うと思うんだよね。

友人にとって「誰にとって、とかではない真実の幸せ」は存在しなくて、自分が幸せだと思ったらそれが自分の幸せ。っていう。友人は強烈な自己と他人の分化ができる人(むしろ他人と自分も同じ人間なんだよなって同一視できない人)だから星の王子さまみたいに「本当はこういうことが大切なんだよ」っていう文とは分かり合えないと思う。

私は友人の考えも星の王子さまの考えも一理あると思っているから読んでいてずっと楽しく苦しんでいた(?)。
私自身の考えはこれからどうなるんでしょうねぇ


行動主義
作者のサン=テグジュペリは行動主義文学者、らしい。不条理に満ちた人生を歩まなければならない人間にとって「行動すること」の大事さを説いていたと。
たしかに作中に出るおかしな大人たちは自分の頭で考えなかったり、自分の足でものを見に行かなかったりしていた。人の説明や指示を鵜呑みにするだけでなく、自分の目で見て自分の頭で考えようという話かな。行動主義に関して全然詳しくないから分からない。

自分の星を自分の手で世話し、自分の目で世界中を見て帰る判断をした王子さまはたしかに自己の確立がなされていて、言われるがままの大人よりずっと完成しているようにも見える。

大人はみんな、かつて子どもだった。その事を多くの人は忘れている、と作者は言う。
かつて皆そうであった子どもというものが未分化/未完成なものだと思っているのかは分からないけれど、子どもには分かるのにおとなには分からない。という考えは自分自身の目や体を動かせるか否かというところにかかっているのかな、とおもった。


易しく、難しく、柔らかく、面白かったです。

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