愛は何処にあるのか

愛の話かと思った?
残念、ゲームの課金の話です


守銭奴(大嘘)美奈
私は基本、ゲームに課金しない。
ここで言う課金はソシャゲのガチャ石や〇〇パックなどを指す。ここではガチャ石課金とする
元から有料のゲームは結構買うね

なぜ課金しないのかというとお金が無いからだ。
嘘だ。
私には(重要)課金石の需要がないからだ。
そして自制心がないからだ。


私はガチャで「絶対こいつが欲しい」とあんまり思わない。思っても無料石で天井しようとする。

1回なんかのゲームに課金したことがあって、
その時は1万円くらい出したんだけど
そのあとゲーム消して
このゲームに限らず私に石課金は要らんな……
となったこともある。


散々散財才能者
人が課金するのを見るのは好きだ。
ていうか人が「欲しいけどちょっと高いかも」
と思っているものを思い切って買う瞬間を見るのが好きだ。

そこには愛があるし、覚悟があるし、夢がある。

大袈裟マウンテン?えぇそうでしょうとも。
私には「欲しいけどちょっと高いかも」
位のものがほとんど存在しないのですから、
それを買う人を過大評価してしまうのですね。誰

私は欲しいものは買うし
欲しさより高さが勝てば買わない。
買いたいけどな〜どうしようかな〜と思う時にはもう買ってることがほとんどで、それで家には本やらゲームやらが溢れている物欲の化身なんだよね、こんにちは。

石課金に関して私はお金の価値の方が勝つので
課金しなくても後悔しないという訳だ。


自制心のパラドックス
お金と石の価値比較に加え、もう1つの課金をしない理由が「自制心のなさ」である。
前述の通り私は以前一気に1万円近くの課金をしてそのまま飽きてやめたゲームがある。その時に思った。

「さては課金って怖いな?」

これは日常に組み込むと一生抜け出せない罠だ。

悟ったのである。私みたいに天から散財の能力を与えられし存在は際限なく金を払えるツールに1円も手を出してはいけないと。

だって財源に際限はあるから。ってね は?

このように、自分に自制心がないからとはじめから全てを制すことで、結果的に最も強い自制心が発動している形になることを自制心のパラドックスという。
今考えました。

余談:デレステに課金してたわ
1万円かけたゲームとは別に、デレステに1回3000円くらい入れてたのを今思い出しました。
理由は運営への感謝の念が溢れて。
何も無いけどとりあえず石を買ったんだと覚えている。
目的ないからおはガチャに回しました。
今なら5000円払えばフェス限も季節限定も
誰でも1人手に入るのにね。
高垣楓のフェス限買おうかなあ


廃課金者へ 愛をこめて
俺はこのために金を稼いでるからよぉ……ッ!
ってウオオオオオと課金する課金者が好きです。
脳内で完全に石と金の価値が釣り合っているタイプ。完全に課金を楽しんでいて良いと思います。

課金をステータスだと思ってる課金者は嫌いです。私は課金しないタイプのオタクなので。
(そもそも羨ましくない分野でマウントをとられるのが嫌い)
うるせえな金かけてない=愛がない/やる気がない 
じゃねぇんだよ俺は来月発売される恩田陸参加アンソロの最新作を買わなきゃいけないわけ!!!!!わかる????
金かけてるから愛があるみたいに自称する人間には(そう言うならそうなんだろう、お前の中ではな)って思ってる。無課金の人間に対して言う発言じゃないからなそれ?

本当はね、こんなことにお金かけてる場合じゃないんだけどね、とか言いながら馬鹿みたいに課金してる課金者が大好きです。
本当はね、とかいいながら全然後悔してないの(決めつけ)。
だって欲しかったんだもんって自分で自分のお金の使い方に納得してる感じがイイよね

人がちょっと高い買い物をするのを見るのが好きなのに加え、私は人を煽るのが好きなので(最低)
課金しようか迷っている人間を見つけるとあらゆる手を使って課金させようとします。
私の言葉で課金を決めるほどに心が課金に傾いていたのなら、それはもう課金した方が幸せだよね廃廃課金課金。


本題は遅れてやってくる
先も言いましたが「お金をかけているから愛がある」と思う人は一定数いると思うし、
私も「石に課金するなんてよっぽど思い入れてるんだなあいいなあ」と思う。

思い入れてなくても課金する人は課金が好きなんでしょうからそのまま私の目の前で課金を続けてください。

ここで問題になるのが
私は基本無料ゲーム(以降ソシャゲとする)を愛していないのか
という点だ。

いくら好きだとはいえお金をかけるほどではないと思っているから課金に手が伸びないわけだ。
私にとってソシャゲは「金を払う価値がないもの」なのか?

答えは否、にほど近いだろう。
ソシャゲの、何百時間もかけたデータを
今すぐ金払わねぇと消すぞ!!と言われた時にいくら払えるかと言えば4700円(?)は軽く払えるだろう。安いか?分からん

なんというか
無料でできるから無料でやってるだけで
払う必要があるなら払うレベルに価値はある
と思っている。

ソシャゲはよく「お金を時間短縮に使う」と言われるが、私にとっては(ソシャゲに関していえば)
時間をかけること=愛(大袈裟だが)なので、
時間をかけることと金をかけることの価値は同じ(私基準)なんだよね。

昔課金したゲームは別に愛がなかったから消したことを考えると、むしろ
時間をかける>お金をかける(愛g)
の説が濃厚である。私の中ではね。

てか払うなら課金限定パック/石より基本無料の部分にお金払いたい。無料の部分で満足してるから買おうと思わない訳だし。

お金を払ってプラスでこれを得たい!とは思わないけど、
絶対無料でやりたい訳じゃなくて払えって言われれば払う……みたいな……伝わるかな……。

じゃあ無料部分に課金すると思って石を買えって言われても別に買わないんだけどね。何?


キャラへの愛着はまた違う。
キャラを出すためのガチャ石課金は(目的が強いキャラである場合もあるが)それこそ愛って感じがするね。
私にはそれがない。高垣楓のフェス限が出ようがあんきらの正月限定が出ようが
「うわ!!!!!!かーーーーーわい!!!!
 今持ってる石で出ねぇかな」と思っている。
今期ノワールフェス限誰も出ませんでした。ごみ

じゃあ私の高垣楓愛がデレステ石課金者に比べてはるかに小さいものかと言われればNoだ。
課金者の愛は大きく私の計れるものではないが、
私が明確に「担当」を名乗るキャラはそうそうおらず、今のところ人生で最も愛を注いでいるキャラではある。

ここから自分語りをしますね。
ずっとしていますか?はい

推しに金をかけないことで無名な私ですら
高垣楓主人公の漫画が出れば買い、ソロ曲が出れば買い、グッズを見つければ買いはしている。
デレステ内の課金はないにしろお金はかけているのだ。

それが何かというと「私にとって課金はハードルが高い」という事だ。

漫画、曲、グッズという形で近くにあればお金も時間もかける。
語れと言われればデレマスからアニメ、デレステに至るまでの彼女の活躍と魅力を38時間かけて語ることも出来る。
限定SSRの為に課金もしないのに「担当」は
言えないでしょ!と簡単に考えられるほど軽い愛ではない。

余談:実況者グループのグッズ買った
先月くらい。
恒常のネットショップを持つ実況者グループ
「三人称」が10周年で新グッズを出していた。
丁度スマホカバーを探していたのでそこで買うことにしたんだけど推しのグッズって最高だ。

携帯を伏せて置くと「SANNINSHOW」の文字。
パソコンを閉じると貼られたステッカーから見えるメンバーカラー。

推しがいると日常に彩りがでるとはこのこと。
クレカ作り直したらMSSPのグッズも買うんだ。
ださくないやつ。


アイノカタチ
要するに、フットワークの軽さなのだ。
要しすぎた。

課金へのハードルが低い人はサラッと課金するし、そうじゃない人はどんなに愛していてもお金はかけない。
その代わりにゲーム外で無茶苦茶お金をかける人を自分以外にも知っている。

だから無課金=愛がない/ライト層
みたいな単純な構図はしていないと思うんだ。

課金=愛/本気 でも、
無課金=愛がない でもない。

私みたいにゲーム外でお金をかける人や
お金の代わりに時間をかける人もいる。
時間もお金もかけてないけど心の中ではめっちゃ愛してる人もいるだろう。

もっと言えば愛のあるものに関して創作し始める人も無限二次創作検索マンになる人も早口コンテンツ布教伝道師になる人もいる訳だ。

愛がどういう形で現れるかは人それぞれってことですね。


しばらく前に「課金する気にならないのは私がこのゲームを愛していないからだろうか」と悩んだ(世界平和な悩みグランプリ優勝作品)ときの考えをまとめたものでした。

今回はここら辺で。

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