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「生きる為に産まれて死ぬ為に生きる」



カメラを手にして約2年。

最初は子供の記録用として買ったα7Ⅲに50mmF1.2GMと少し背伸びした組み合わせだった。

ファインダーから見える世界はいつもと一緒だった。

レタッチを学んだ。しかもYouTubeで。今どきの流行りに乗って他人からの「いいね」を追い求めていた。レンズを何個も揃え、フィルターや現像ソフトを買い増した。

一過性の熱は冷めカメラを触らない日が続いた。

カメラを放置したまま1ヶ月経った頃、昔じいちゃんの机から掘り出した古いカメラを自分の引き出しに入れていたのを思い出した。

あらためて手に出ると小さいながらも重みがあり、シリアルナンバーも型押しで彫られている所謂レトロカメラ。

そのカメラで撮られた写真が一枚だけ。母が兄(伯父)と近所の友達と苫小牧の浜辺で座っている写真。
その写真は解像度は悪く白黒でとても状態のいい写真ではなかった。

裏には「40 8月 前浜にて 徹、美智恵、お友達」と書かれていた。

自分が撮った写真と見比べた時、なにが違うのかよくわかった。

そこには「なにもなかった」のだ。


カメラのスペックや撮影技法やウンチク、露出に感度にシャッタースピード。
インスタにTwitterでキラキラしたものとは違う。

「映え」とは正反対。

追いかけていたものはすぐ目の前に埋もれていたんだと知った時に知識を溜め込むのはやめた。

カメラが誕生してから現在に至るメインストリームの中に祖父と自分がいる。

まさかこんな風に世代を超えてカメラを構えるなんて祖父も思っていなかったろうな。

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