ギターの音色と音量に関する力学、その5

【ハイライト】チェロの弦をオシロスコープで見ると三角形の形をしているそうです。その波形は、時間とともに徐々に大きくなりその後ストンと落ちる、いわゆる「のこぎり波」です。のこぎり波のストンと落ちる際のリリース時の動きが、瞬間的に終わるか、それとも弦に引っかかって時間を要するかが奏者の腕により大きく異なります。のこぎり波のリリース時の時間をどれだけ短く出来るかをパラメータにして、その波形に含まれる倍音成分の音量の構成を数値シミュレーションで分析しました。のこぎり波のストンと落ちる際のリリース時の動きが短時間であるほど、弦から聞こえる響きの中に、高次の倍音成分が沢山含まれることがわかりました。瞬間的に弓から弦をリリースすることの重要性が確認できました。
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【ギターの音色と音量に関する力学、その5】
今回の話題はギターではなく「チェロ」です。少しだけ研究的なアプローチを試してみます。バイオリンやチェロの音をオシロスコープで見ると「のこりぎ状の波形」をしているそうです。弓を弦の上に載せて、弓を引っ張る。あるところまで来ると弦が弓から外れてもとの位置に戻る。これを繰り返すとのこぎり状の波形になります。上手な演奏は綺麗なのこぎり波ですが、演奏が上手くない場合は、弦が弓からうまく外れずにのこぎり波の形が崩れて三角形に近い波形になる。
 
この現象に関して、数値的なシミュレーションで、音に含まれる倍音成分の量について考えてみます。なお、私はチェロを実際には弾けませんので、話の内容が現実離れしているかもしれません。弦の動きも仮定から違っているかもしれない。もしそうならば、ごめんなさい。除荷時の波形の違いの話と思って、どうかご容赦くださいませ。また、若干数値解析的なことをしますが、そこのところは読み飛ばしていただいて結構です。
 
音の高さはA(110Hz)とします。1ページの左上の図に3種類の波形を例示します。実際のチェロの音はのこぎり波のなかにさらに細かな振動が含まれますが、ここではシンプルなのこぎり形状について考えます。仮の話なので、弦の振動幅は10㎜と大きめです。なお、3種の波形は異なりますが、そこに含まれる運動エネルギー量はすべて同じです。
 
図中の緑色は、あまり上手ではない例で、のこぎり波の上りと下りの割合が70:30の場合です。橙色は、のこぎり波の上りと下りの割合が90:10の場合です。紫色は上手な演奏の例で、弓と弦とのリリースが上手く、のこぎり波の上りと下りの割合が99:1の場合です。この話では、波形の区別を容易にするため、波形の下りの幅で分類し、それぞれ、30%, 10%, 1%と呼ぶことにします。このパーセントが小さい波形のほうが、下りの勾配が急なことを意味します。つまり、弓で弾く際の「リリース」が上手な場合と言えます。
 
今回は110Hzの波形の細かな勾配を考えますので、計算上の解像度もかなり高める必要があります。ここでは1秒間の波形のデータを生成し、解析にあたっては4.2MHz、22ビットの分解能(1秒間に約419万の解析点)を仮定します。また、数値データ列の両端での不連続性が、解析結果に不都合を与えないように、まずは全体の波形についてHanning窓によるフィルター処理をします。その後、プログラムによる数値解析でFFT(ファストフーリエ変換)に掛けて周波数領域に変換し、さらに、10Hz幅の移動ウィンドウによる平滑処理を施しました。また、音量については、振幅ではなく、パワースペクトルにて評価します。
 
1ページの右上が「のこぎり波30%」に関する振幅スペクトルです。横軸は周波数(Hz)で、縦軸はその音に含まれる、音の成分の強さです。基音のA(110Hz)の値が大きく、2倍音A(220Hz)はその1/3くらいの強さです。さらに3倍音E(330Hz)以上の倍音については、殆ど値がないことがわかります。つまり、基音の響きのみ強くて、倍音成分がなく、薄っぺらでぼんやりした響きであることがわかります。良いように解釈すると「丸い音」と言えるかもしれません。とにかく響かない音ですし、音色をこれ以上変化させることができません。
 
1ページの左下は「のこぎり波10%」、さらに、図1ページの右下は「のこぎり波1%」に関する振幅スペクトルです。例えば、右下の図では、2倍音、3倍音も強い成分がありますが、さらに、図の右端の18倍音になっても、まだ振幅があります。つまり、基音のみではなく、高い倍音成分が幾重にも重なって、綺麗かつ重厚な響きをなしていることがわかります。この計算では、最初にシンプルな波形を仮定しておりますので、音色については斟酌できませんが、弓と弦の扱いで、倍音成分の構成比を変えることにより、演奏者の好みのいろんな音色、響きを作り出すことができます。

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2ページ目の図は、上述の3種類の波形について、基音、2倍音、3倍音・・10倍音の音量を比較したものです。図では、間違って30%ではなく、40%の計算結果を載せてしまいました。のこぎり波の下り勾配の形状が緩やかな場合(灰色)では、基音の音量のみ大きいものの、オクターブ上の音も、3倍音も非常に小さな音量です。一方、のこぎり波の下り勾配の形状が急な場合(青色)は、基音の音量は少なめですが、倍音成分が多く含まれる豊かな響きであることがわかります。
 
見方を変えますと、のこぎり波の下り勾配の形状が急な場合(青色)の基音の音量は、のこぎり波の下り勾配の形状が緩やかな場合(灰色)の5~6割です。のこぎり波の下り勾配の形状が急な場合(青色)は、まだまだ音量面での余裕があります。つまり、同じ楽器であっても、現状の2倍近く音量を大きくしても、十分綺麗な響きを保てると言えます。

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3ページ目の図は、上述の3例のみでなく、のこぎり波の下りの割合が1%、2%・・・50%と変えた場合について、2MHzまでの周波数に関して、全ての倍音の音量を合計したものです。図では、のこぎり波の下りの割合50%の音量を1として、基音の音量と、倍音成分の音量の構成比を表しています。のこぎり波の下りの割合50%の場合が、わずかに音量は大きいのですが、どののこぎり波についても、倍音を含めた音量はほぼ同じです。しかし、のこぎり波の下りの波形が急になる(パーセント値が小さくなる)にしたがって、同じ音でありながら、倍音成分がたくさん含まれていることがわかります。つまり、響きが豊かになっていますし、奏者の好みの響きを出せる可能性が広がることがわかります。
 

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では、これら音の違いはどこで発生したのでしょうか。最初の図に3種ののこぎり波の形状を示しました。図中の波形の、上りの形状によるものではありません。音の音色、響きの違いは、のこぎり波の下り形状の「尖り具合」の影響のみで、大きく変わりました。つまり、弦の音色を決めるのは、弦に力を加えているときの動きではありません。弦から力を除荷する際、リリース挙動の速さです。上手に素早く除荷できると、音色、響きの可能性が大幅に広がることがわかります。この話は弦に関する楽器全般にあてはまります。つまり、弦楽器すべてにおいて、「脱力」が強調される力学的な理由が、ここにあります。ギターでもピアノでも同じかもしれません。おわり!