【なぜか欲張ってしまう】
子供に教える場合、ものすごく簡単な話から始めます。簡単で。単純で、わかりやすい目先の目標をさせるでしょう。「うまいね、よくできました。偉いねぇ」ということで、次のほんのわずかだけ難しいステップに移ります。
ところが、自分のことになると、量を増そう、目標値を高めよう、一度に全部を済ませようと、欲張ってしまいます。前回までの成功体験がある。子供の時からの教育の成果で、右肩上がりに向上するパターンを信じている。もともと面倒くさいので、嫌なことはできるだけ短期に済ませたい等々、いろんな理由があります。欲張ってしまうし、頑張ってしまうし、無理してしまう。子供に教える際のように、簡単で手短な話で終わりません。同じ話でも、他人にやってもらう話ならばシンプルにする。ところが、自分の話になると、夢は拡大しますし、目標は遠くなる一方です。
いざ作業に取りかかる。困ったことに、いつのまにか目標はずっと遠くになっています。個々の作業内容を思い描きますと、距離が遠すぎる。やるべきことが沢山ある。その遠さと作業量の重圧で、意欲が萎縮します。さらに、意識の上ではなぜか右上がりの曲線を想定していたのですが、実際の能力はすでに年齢とともに減少している。意識とのギャップがあり、思うように進みません。頑張っているのですが、一向に進みませんし、しかも上がらない。無理をしてしまう。準備は万端のはずだったのですが、手つかずのまま放置され、時間がどんどん過ぎ去ります。
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仕事で、数万行~数十万行に及ぶ大きなプログラムを使います。これを作成する場合、(ごくまれにいらっしゃる)超人さんは、そのまま何も見ないで一気に作成します。しかし、普通の人はそんなことすると必ず頓挫します。エラーが頻発して、いつまでたっても完成しません。そのため、通常は、目標とする大きな作業内容を、その段階や性質によって、まず大きなブロックに分けます。大きなブロックも、その内部での作業内容や性質によって、さらに細かなパーツに分けます。この細かくする作業を順次繰り返しますと、最終的な小ブロックは、非常に簡単な内容になります。小ブロックでの作業内容は極めてシンプルで明快です。正しいかどうかは、容易に確認できます。例題を動かして、そのブロックの入口と出口の値をチェックすればよい。
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このように大きな話を段階的に細かなブロックに小分けすることを「段階的詳細化」とも言います。作業内容をその性質や内容ごとに、細かく分けますと、細かく分かれたブロックを繋いだフローチャート(全体の構成図、流れ図)ができます。これは、いわば親方の頭の中にある「段取り」と同じです。この小ブロックの1個1個は、先の例ですと、子供に教える際に「じゃあ、今日は○○をやってみようね」という、その日に行う簡単な話に相当します。段階的詳細化をしますと、いつもは、全体のことを考える必要がありません。その小ブロックのなかだけに集中すればよい。目先の目標を簡単にやり遂げられますので、毎日達成感がある。ミスも発生しません。仕事が確実に進みます。
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実を申しますと、私こと仕事がなかなか進みません。目標地点はわかっていますが、そこまでの遠さと作業量の多さに圧倒される。考えただけで面倒臭すぎて着手できません。いよいよ締切りぎりぎりという段階になって、目が覚める。残り時間はないので、当初思い描いていたこと全部を実施できないと、その時点になってやっと理解します。
最低限の出来映えで「よし」とする、必要不可欠な最低限の作業をする、当初考えていた余計なものをすべて排除する、と決めます。すると、混沌として複雑だった話が急に単純化されまして、小ブロック数個からなるシンプルな道が見えます。その後は、小ブロックに集中して、あっという間に仕事が終わります。終わりが見えるから、その短い時間だけに限定して、集中できるのかもしれません。
それならば、当初から、最低限の作業に限定して、仕事を進めればよいのではないかな?
まさにその通りです。最初から最低限の内容で、目先の話だけに集中してすればよい。きっと達成感がある。話も進む。簡単なことをやってみると、次に何をすれば良いかも具体的にわかるでしょう。普段どうして仕事が進まないのか?といいますと、遠くの目標ばかり観ているからでしょう。それは「手戻り」があって、同じことを何度もやり直しするのが、とっても面倒くさいからです。しかもどうせならもっと良い結果にしたい。一度にいっぱいのことをやろうと、現状の自分の能力以上に欲張って、頑張ってしまうからです。
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遠い目標も大切なのですが、まず何かをしようとしたら、欲張らずに、「一番目先の目標は何か?」を考える必要があるようです。とりあえず近くの目標を思い浮かべたら「さらにもっと近くの目標はないか?」を考える。子供に教える場合のように「一番簡単な内容は何か?」を考えて、それをまずはやってみる。はじめてのことでしたら、なんでもいいからとりあえず身の回りにあるものだけで試作品をつくる、だめ出しを前提として叩き台の原案をつくるのような話です。他人に教える場合も、自分に教える場合も同じスタンスでよい。
ライブハウスなどでの趣味の演奏もたぶん同じです。客受けなどを考えずに、いま練習している、自分が好きな曲をそのまま弾けばよい。きっとうまく弾けるでしょう。ところが上手な方のまねをして、客受けなどを考えて、欲張ってしまう。普段弾かない曲などを入れて結局失敗します。練習時も曲全体を通して弾く前に、おそらく冒頭の1フレーズだけに集中することでよいはずです。
自分に対しても、遠くの話ではなくて、直近の目先の小ブロック、1個の話題だけに集中することでよい。子供に教える際と同じで「じゃあ、今日は○○をやってみようね」というスタンスで良い。それができたら「うまいね、よくできました。偉いねぇ」ということでよい。この背後にある考えの基本は、面倒くさがらない、欲張らない、それと、適切な現状把握でしょうね。