悔いのない人生を歩んでこそ理想の自殺へ
悔いのない人生などあるものか。
そう思いはしても、悔いのない人生には憧れてしまうわけで。
何をもって「悔いのない」とするかは人によって異なるだろうが、僕の場合は、いざ死ぬって時に「あっ、アレやっときゃ良かったな」という瞬間的な後悔がないことがそうだと思う。
「アレ食べとけば良かったな」とか「ああしといたらよかったな」とか、そういった、ちょっと頑張れば経験で来ていたであろうことが、走馬灯に割り込んでこないことを「悔いのない」状態と思っている。
たとえば、僕はまだカウンターだけの寿司屋を経験していないんだけども、それも大きな悔いになるだろう。別に高級なお寿司が食べたいわけではないが、食べたことがないのと、食べた結果「食べたいわけではない」と宣うのとでは意味合いが違う気がするのだ。
そうした生活に潜む小さな悔いの素が目につく限り、「悔いのない人生」などは到底おくれていないんだろうなと思うわけである。
でも、どこかで「こんなもんでいいだろう」と決めないと、いつまで経っても理想の自殺に手が届かないわけで……。難しいなあ。
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