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インドネシアロックマニアってホームページあったね ~アーチストとの付き合い2~

昨今のコロナの流行で昔からのなじみのミュージシャンの訃報が続く。
とっても悲しいことなのだが、もともとインドネシアのミュージシャンは早世な人が多い。何歳を持って早世なのかは、人によって感じ方は違うが40代、50代はそうなのであろう。
 俺が、インドネシア在住時に出会い、付き合ったミュージシャンは俺の同年代もしくは若干年長の人たちが多い。
つきあいのあるまたあったミュージシャンも、俺自身が年を取るようにみんな年を取ってきた。亡くなったミュージシャンも多いが、まだ音楽を続けているアーチストは、レジェンドと呼ばれる人物も多くなった。

EET SYAHARANIとの出会い

EdaneのギタリストEee Syaharanieは、インドネシアでも屈指のギタリストで、2000年当時でもNo1ギタリストといわれインドネシアメタル界においても一目置かれる存在だった。
 彼は、80年代後半からIwan Madjid率いるWowや彼自身のバンドCynomadeusを経てEdaneを結成した。途中God Blessの参加など常にトップに立ってインドネシアロックシーンをけん引していた。
 当然EdaneやTVなどで彼の活躍は知っていたのだが、なんかのきっかけで彼の電話番号を入手したのをきっかけに、思い切って直接コンタクトを取ったのが彼と知り合うきっかけだった。 
 なんだかんだで取り敢えず会おうということになり、KemangにあったJimbani Cafeで落ち合うことになった。
既にJimbani Cafeの駐車場で長髪の二人組が待っていたので、声をかけたら、Eet本人と当時マネージャーをしていたHari Barataだった。Hari Barataも初代ボーカルのEkky Lamoの後を継いだEdaneの2代目ボーカルで顔はよく知っていた。
 店の中で、Edaneの曲の感想やギターのテクニックの話やIwan Madjidや俺自身のプライベートのことなど談笑したと思う。その後も、Jl.BogorにあるEetの家に招待され何度か食事したりし、音楽と関係ないところで連れ状態になっていった。 Eetの年齢も俺の一歳年下で色々馬が合ったのだ。
 当時のインドネシアでは音楽関係の機材も入りにくく日本からエフェクターなども調達してやったことも記憶している。
今現在もEdaneはメンバー変更をしつつ健在である。まあEetそのものがEdaneだから彼がギターを弾き続ける限りEdaneは続いていくのである。

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Krisna J. Sadrachの事

SuckerheadのKrisnaとも色んなところで、接点があった。Sucherheadは、90年代のインドネシアHard Core Metalの代表格のバンドで、Rotorとともに時代を代表するバンドだった。またシーンを活性化するためRotorCopというレーベルを立ち上げ数々のバンドを世に出していった。
 Krisnaはそのシーンで常に中心人物であったインドネシアロックにおいても超重要人物であった。
 Krisinaとの出会いは、前にも記したようにIPS(インドネシア プログレッシブソサエティ)の会合である。当時、IPSのメンバーは一般のプログレファンが中心だったが、風貌しかりKrisinaは異彩を放っていた。
 体はでかいし顔もいかつい、そしてやっている音楽はデスメタルということで正直ビビっていたが、実際話してみるととってもシャイで小声でぼそぼそ話す、全く印象が変わってしまった。
 その後会合で何度か話をしたのだが俺が帰国してしまいその後は継続したコンタクトもなかった。 
次にKrisnaとあったのは2回目のインドネシア滞在の2014年だった。
Red Spiderの追悼コンサートが、KemangのBorneoであるので来ないかと知人から誘われ行った際、途中停電があり一旦全員が外に出なくてはならなかった。そこで、Krisnaを見かけたので、彼の呼称である”クリス”と呼んだ。Suckerheadもそのコンサートに出演していたのだ。
正直なところ10年近く会っていなかったので呼んだ後に、”しまったもう忘れてるだろうな”と思ったが、”忘れるわけないじゃないか”と彼は言ってくれた。小さくて上目遣いの例のしぐさをしながら。
 その後小笠原君が”デスメタルインドネシア”執筆の際もインタビューを依頼したらわざわざデポックからジャカルタまで出てきてくれた。
 そんな彼もその翌年肺がんでこの世を去ってしまった。

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念願かなってArthur Kaunangと出会う

SAS Groupは、インドネシアロック創成期には、God Blessと並び忘れてはならない大物バンドである。いまは、いろいろなところでインドネシアロックが取り上げられるようになってきたが、God Blessと比べSAS Groupは取り上げられることが少ない。God Blessには、容姿も含め個性的なAhmad Albarの存在が大きいのかもしれないが、SASは非常に地味であるのが、過小評価されているのかもしれない。とはいえSASがインドネシアロックシーンにおいて残した作品の素晴らしさとともに、音楽シーンそのものを引率していった事実はしっかりと記録として残されている。
 そのSAS GroupにおいてリーダーシップをとっていたのがArthur Kaunangである。Arthur Kaunangは、もともとはボーカリストとしてAKAに加入したが、Ucokがバンドの顔となりベーシストとしてバンド内で活動していた。SASに入るとベースとともにボーカルをとる曲も多くまたその高音のボーカルと澄んだ歌声は、ルックスとのギャップも感じる。
SASそのものは、ブリティシュ ロックを常に追い求め、その時代時代の音を敏感にとらえた音作りとなっているが、20数年にわたりそのような活動を続けてきたインドネシアロックバンドもGodblessとともに他に類を見ない。
ただ他の有名ロックバンドと違いほとんど再発盤が出ておらず、俺自身は、切に再発盤のリリースを希望していた。
そんな折2018年の年末にArthur Kaunangと、あるミュージシャンのマネージャー経由で会う約束を取り付けた。
場所はBandungのホテルのロビー、奥さんと共に現れたArthurは、思っていたよりも背が低かった、また年齢を重ねているせいかとても柔和であった。話すこと2時間、再発盤の権利の確認やその後のやり取りの段取りなどを話し合い、またの再会を約束したが、現在は、その後コロナ禍に突入し頓挫している。彼が健在のうちに何とかSASのアルバムを公式にリリースしたいものだ。


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