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インドネシアロックマニアってホームページあったね 〜IPSが残した音源 1〜

コロナ禍による環境の変化や物事が進まない無力感で、筆が進まず、前回からかなり間が開いてしまった。
 そんな折”不思議音楽館”といういわゆるプログレシッブロックのファンジンが短い期間の中で2巻発刊され、それを読んでるうちその内容の素晴らしさに感銘を受けるとともに、やっぱり埋もれている情報や体験談は、少しでも文字の形で残しておきより多くの人たちと共有するべきなんだなと再認識をさせてもらった。(まあ、多くではないと思うが(笑))
 ということで気持ちが上がってきたのでまた以前からの流れで続けていきたいと思う。

Andy JuliasへDemoが集まる

2001年、ジャカルタにてミュージシャンであり音楽プロデューサーであるAndy Juliasが、IPS(インドネシア プログレシッブ ソサエティ)を立ち上げプログレを盛り上げていこうという流れになり、たまたま当時ジャカルタに仕事でいた私が、それに参加した内容については、前の記事にて書き残したが、そうしているうちにAndy Juliaからミュージシャンが奏でる音を出していきたいという話になった。当時私自身も、Giant StepやAbbhamaまたHarry Roeslyの素晴らしい作品の数々を知っていたので、だったらそれらの音源は恐らく世界のプログレファンには伝わるので再発から入ったらどうだと提案したのだが、Andyは、今のミュージシャンが出す音に拘った。
 Andy自身が、かたくなに再発ではなく新録に拘ったのは、Discusの存在だと思う。1998年に1stアルバムをMellowから出したDiscusだが、インドネシア国内では、海外以上に評価されず、何とかその存在を世界に知らしめたいという願望が強くあったのだ。そのような形でAndy自身がミュージシャンとしてのDiscusを具体的にサポートしていたこと、Andy自身が、当時のインドネシア音楽界ではそこそこの顔であったことなどから、メジャーシーンに乗れないProg Metalのミュージシャンが次々とDemoをAndyに持ち込み始めた。

IPS Record Label以前に関わった音源

2000年当時、Andy JuliasがM97FMのプログレ番組をやっていた時にスタジオには多くのDEMOが送られていた。最初にAndyが手掛けたのが、SMESTAというバンドだった。マリリオンやIQなどのいわゆるポンプ系のバンドで決して音的には珍しいものではなかったが、ルックスの良さや当時売り込んでいた女性マネージャーの猛烈なアプローチもあり、Andy自身さして乗り気でなかったが、音楽プロデュースを行った。自主制作版を2枚出し、単独コンサートもBlok-MのClassic Rock Stageで行ったが、バンドメンバーが生意気でAndyが気に入らなかったことや、別レーベルから勝手にメジャーデビューしたことから喧嘩別れしてしまった。
IPSのメンバーそのものにもミュージシャンがいてそこから音を出していったグループがある。
 IPSは、会合としてAndy Juliasの家に毎週土曜日に集まるのだが、その中にIKJ(ジャカルタ芸術カレッジ)に通っていたTuriという青年がいた。
ある時彼と会話しているとギターを弾いているということだった。彼が率いていたバンドそれが、Pendulumだった。人懐こい性格でAndyにも好かれていて自分たちが作ったDemoもAndyにもよく聞いてもらっていた。
そうして完成したDEMO-CDがLegendaだった。インスト中心のFusion-Metalだったが、彼らもメジャーCDを出す際、Andyに内緒で、Discusの1Stをインドネシア国内で販売していたChico&Iraレーベルから出したことにより、Andyから一時絶縁されてしまった。それゆえIPSレーベルからCDが出されていない。 Imanissimoは、前にも記したように、たまたまAndyの家にリーダーのImanと遭遇し、DEMO-CDを購入している。その後もIPSより正規メジャー盤をだしており現在に至っている。本当に息が長い。
ちなみにImanは当時IKJの学生で元バンドつながりのPendulumのTuriの紹介でAndyと出会っている。
同時期に、Andyが懇意に付き合ってたのがIn Memoriamである。いわゆるインダストリアルなメタルだが、ステージに舞踏家などでショーアップした前衛的な試みをしていたバンドであった。このバンドのReynoldがIPSにコンタクトをとったことよりAndyとの付き合いが始まっている。In memoriamのメンバーとは個人的に付き合いはないが、2004年だったかAndyが心臓発作で倒れた際病院に見舞いにいたときにBassのSusanとGuitarのMartinも見舞いに来ており時を一緒にした。演じている過激なパフォーマンスや見かけから想像もできないほど好青年たちだった。
こう見ていくと、世の中不義理はいけないとつくづく思う。

*タイトル画像は、IN Memoriam,Pendulium,Imanissimo各々の自主製作盤である。おそらく100枚程度しか作られていないはず。すべてCD-Rである

IPS レーベルの立ち上げ

2002年のある日Andy Juliasの家に遊びに行っていると、プログレバンドの音をデストリビューションしてもらえる会社がとうとう見つかったということで相談を受けた。いろいろなレーベルに声をかけたらしいが、一番自由度高くやらせてもらえるとのことだった。2002年といえば、経済危機の影響からまだまだ抜け出せてなく、音楽業界(特にロック)にも大変風当たりが強い時代であった。またしばらくのちにはDemajorsやAksaraなど新たな音楽を世に出していくの準メジャーレーベルが出てきたが、インドネシアには、まだまだコマーシャル主義なレーベルしかなかった時代である。結局インドネシア ソニーと契約を交わし今後ディストリビュートしていくこととなった。
当時のソニーにいたA&RダイレクターのJan Djuhanaがロックミュージックに対し大変寛容であったことがポイントだった。
その後、IPSは次々とCDを出していくのだが、なかなか多難であった...

~次回は、続編のIPSから出したCDとそれにまつわるエピソードにつき記していく~

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