インドネシアロックマニアってホームページあったね 〜TV出演〜
インドネシアロック好きがインドネシアのTV番組に
世紀末の1998年、会社員として普通に海外駐在してたら、ふとしたことよりインドネシアロックに興味を待ち、あれよあれよという間にIndonesia Progressive Society(IPS)のメンバーとなり、深みにはまっていった。
当時の行動パターンは、昼仕事に行き、夜カフェにいってお気に入りのロックバンドの演奏を聴き、休みの日には中古カセットをJatinegaraにあさりに行くというパターンだった。
そして週末の金曜日には、Andy Juliasの番組に遊びに行くという最高の日々だったのだが、そのM97FMの音楽プロデューサーであったElla女子が、インドネシアのTV局TPI(Televisi Pendidikan Indonesia:今はMNC TVに局名変更している)で毎週、一組の欧米のロックバンドを特集しライブ映像などかける1時間枠の番組を担当していた。その番組途中で、約10分ほどロックが好きな人物を紹介するというコーナーがあった。
実はそこに、俺は、ゲスト出演をしたことがあった。当時は会社勤めしていたのでばれたらヤバいのでこのことはほとんどの人に公言してなかったが...
出演する前に、なぜ俺に白羽の矢が立ったのかMbah Ellaに聞いてみたところ、プライドが高いインドネシア人にとって外国人がインドネシアロックに興味を持っている事実はとっても喜ぶとのことだった。
TV番組の収録
最初は、出演に渋っていたのだがとにかく出てくれという半ば強引な段取りにより出ざる得なくなった。
インドネシアにきて1年少しは過ぎていたが、まだまだ未熟なインドネシア語に不安もあり、かつ全国放送なので誰に見られているかわからないということであまり気乗りしなかった。
Ellaの説明によると、一応インタビュー形式で進めていくとのこと。
場所は、自宅でいいということだったが、嫁さんの強力な反対にあい、その翌週放映予定のKissマニアのAli GunawanのKebayoran Baruの家で2週分を撮ることになった。AliもIPSのメンバーで顔なじみだったので結構リラックスできた記憶がある。
とにかく集めたカセット持ってきてくれということだったので、少しレアーな物を中心に家から持って行った。
スタッフは、カメラマンとEllaともう一人の三人だったと記憶している。
ソファに座りそこにカセットを広げていかにもコレクターという感じでカセットを眺めてくれということだった。その後インタビュー形式でなぜインドネシアロックを好きになったのか?インドネシアロックのどういうところがいいのか?など聞かれ答えたが、さすがにテレビに流すのは拙いインドネシア語と思ったので、実際に放送する際には字幕入れてくれと要望した。
実際の放映
収録から1か月程度すぎたぐらいに、Ellaから来週放映するから見てくれとの連絡があった。人生初のテレビ出演がインドネシアのテレビになるとは、思いもしなかったが、まあ記念にとビデオをセットして当日番組を見た。
番組名はClassic Rock TVとなんともべたなものだったが、夜の10時から放映された。司会は、いわゆるPotlot筋の歌手Oppie Andaresta(タイトル画像の彼女)で当日は、Iron Maden特集だった。
Iron Madenのライブ映像が20分位流れた後、CM明けに”インドネシア語は拙いけれど私たちの国の音楽をリスペクト”という紹介とともに特集がはじまった。そこには、お願いしていた字幕はなくただただ俺の恥ずかしいインドネシア語が............
あまりの恥ずかしさに、当時は、見るのをやめた。
で、今回これを書くためにビデオを再度見ようとしたが、見て1分たたずして。ひどすぎるインドネシア語を聞くのがつらくでまた途中で止めた。
ま、静止画像だけここに残しておく。
放映後
テレビに出ることは誰にも言ってなかったが、放映翌日は会社のスタッフからいじられた。まあ日本人はだれ一人見ていなかったので問題にもならなかった。
その後いろいろなミュージシャンにテレビでお前見たことがあるといわれ仲良くなる話のネタとなったのは良かった。