インドネシアロックマニアってホームページあったね 〜ホームページ開設〜
インドネシアロックマニア開設
インドネシアロックの音を入手すべく、1999年の夏場は中古カセットの入手に躍起になっていた。毎週パサール(市場)に通ううちメタル プログレなどの有名どころはかなりの部分まで入手できた。この時点で何とかその素晴らしさを皆に伝えるべく ホームページ”インドネシアロックマニア”を1999年11月に開設した。タイトルの画像は、何度もWebレイアウトを修正した、ほぼ最終期のものだが、最初に公開した時には、青っぽい背景に、インドネシアロックマニアのタイトルロゴに、カフェ情報、BBS程度のシンプルなものだった。ホームページを訪れた際には、Dewa19のKiranaが再生されるようになっていた。劣悪な当時のインターネットインフラ(*当然ダイアルアップ)で音をアップロードするのは至難の業であったが、2001年からリアルオーディオフォーマットで一週間に1曲ずつ紹介していた。 これは、2002年まで続けられほぼ50曲くらいを紹介していた。ちなみに第一回は、2001年1月7日にSAS GROUPのSUMINAH 第二回は一週間後の1月14日にHarry RoeslyのTitik Apiをアップしている。(*ようやく2020年に再発されましたね!)
BBSに訪れた人々
BBSもホームページを立ち上げた1か月後1999年11月に開設した。
正直かなりマニアックな題材であったので、掲示板に人が来るかどうか疑心暗鬼だったのだが、ほどなく何名かの常連が集まってきた。タイプとしては、①インドネシア音楽ファン(ロックに限定していない)②ワールド音楽を好んで聴いていた人③辺境プログレに興味を持っていたプログレリスナー④アジアのロックを愛している人達⑤インドネシアに関わりを持つ人たち
のような感じだった。
20年経った2020年においてもいまだに繋がっている人も多い。(*これをたまたま読んでいただいていて当時投稿していただいていた方,ぜひご連絡ください!)
その中でも、Cinta Kecilこと小笠原和生君と尻さんことHidekiさんとは、当時様々な体験を共有した。そのあたりはまた続編でエピソードを紹介したいと思う。
Andy Juliasとの出会い
中古カセットを片っ端から購入し聴きあさった事により素晴らしい音源の発掘が急速に進んでいった。更なる欲求としてインドネシアロックに携わる作り手やミュージシャンから生の情報を得たいと思うようになった。そんなある日、夜ジャカルタのアパートで音楽でも聴こうとFMラジオを選曲していると、日本でも良く聞いていた聞き覚えのあるプログレが流れてきた。日本でもユーロプログレには高校の時からハマりにハマっていたのでその選曲の異常さは、驚愕だった。10分以上の曲が次々と選曲されかけられている。イタリアものから当時最新作のFlower Kingsなど ここはジャカルタ?
しばらく聞いているとそのFM局は通勤中によく聞いていたクラッシックロックステーション M97FMでDJは、Andy Juliasという人物である事が分かる。 それが、よりインドネシアのロックにのめり込むキッカケとなるのであるがAndyがどういう人物かまたその後どの様に接していくのか今後また書いていきたいと思う。