岡田斗司夫の「ま、金ならあるし」第1集(岡田斗司夫 FREEex:著)【投げ銭】
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このノートでは、『週刊アスキー』(KADOKAWA刊)にて大好評連載中のコラム「ま、金ならあるし」(現:「岡田斗司夫の近未来日記」)のうち、第1回から第25回までを収録しました。
ノートは有料としますが、全文試し読みが出来ます。内容が気に入っていただけましたら、課金をお願い致します(>いわゆる「投げ銭」方式です)。
連載の最新話は、岡田斗司夫氏の公式ブログにて公開しておりますので、そちらも御覧ください。
http://blog.freeex.jp/archives/cat_10026126.html
また、本ノートと同一内容の電子書籍を、Amazon Kindle および Google Play Book にて販売中です。
※なお、本ノートは、著者・岡田斗司夫 FREEex氏、および版元のアスキー編集部(KADOKAWA 社)からの許諾に基づき公開・販売するものです。
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■第1回 散財その1 テレビでも買うか。
「そうだ、でっかくて薄いテレビを買おう」
そういえば僕はもう売れない貧乏な物書きじゃないんだ。
ダイエットに成功したので書いた本がいきなりベストセラーになった。莫大な、とは言えないけどそれなりに多額の印税が転がり込んでくる。いままで欲しくても我慢していたアレやコレもどんどんどんどん買っちゃえばいいじゃん!
しかし問題は、僕自身の「買い物力」の低さだ。子供の頃から後悔するものばっかり買ってきた。買ったその瞬間、お釣りを貰う前にもう後悔している。そんな買い物根性無しがこの僕なのだ。
しかし! そんな僕でもいまやベストセラー作家!
家電や日用雑貨ていどなら「オトナ買い」できるんじゃないの? 悩むぐらいだったら買えばいいじゃん?
だって 、まぁ 、金 な ら あ る ん だ し。
……というわけではじまったこの日記。基本コンセプトは「岡田斗司夫が印税を使い尽くすサマを連載する」という悪趣味なものだ。
第一回は「テレビ」。いま使っている32インチのブラウン管テレビは15年前に買った重さ百キロ以上はあるシロモノ。ベストセラー作家なんだから、薄型液晶テレビ、買っちゃってもいいんじゃない? さっそく吉祥寺のヨドバシカメラAVフロアへと向かった。
とりあえず、まず50インチを見せられる。悪くない。いや悪くないどころか素晴らしい。ちょうど押井監督の『イノセンス』がデモ画面に使われていたけど、圧倒的な美しさだ。
これでもいいかな? と思ったけど、なんとなく気になってしまった。あれ? なんで大画面テレビのデモ映像って『世界ふしぎ発見!』みたいな環境映像や映像美を誇る映画ばっかりなんだろう?
「そういった映像の方が美しさがわかりますから」とヨドバシの店員は教えてくれた。
いやいや、ちょっと待って。俺べつに毎日、映像美にひたりたいわけじゃないから。
ここから急転直下、店員と僕とのわけわかんない会話がスタートした。
●つづく●
■第2回 散財その1 テレビでも買うか。②
テレビシリーズのガンダムで、毎回冒頭に「人類が宇宙に植民して半世紀」とかナレーション入るよね? あれは「アバン」、正しくはアバンタイトルっていって、内容に入る前に「これまでのお話」とかを紹介するコーナーなわけだ。1ページの連載にアバンを入れてもしかたない。でもまだ連載2回目だから、いちおう「お約束」を説明させて欲しい。
この日記の基本コンセプトは「岡田斗司夫が印税を使い尽くすサマを連載する」という悪趣味なものだ。最初のお題は「テレビ」。吉祥寺のヨドバシAV館に薄型大型テレビを買いに行って、店員に50インチのやつを見せてもらったとこまでで、前回は終わり。ここまでがアバン。次の行からが本編である!
「映像の美しさが違いますよ!」と力説する店員。しかし僕は懐疑的だ。
「いや俺、ディスカバリーチャンネルとか見ないし。大自然の美しさにもあんまり興味ないんだよね」「今年は北京オリンピックですよ。スポーツはやっぱり大画面ですよ。映画だって迫力が違います!」「悪いけど、スポーツも見ないんだ。他人が身体動かしてるの見て楽しむ趣味はないから。映画も内容がわかったら充分だし」
いっしゅんひるんだ店員は切り口を変えてきた。テレビを設置する部屋の大きさを聞いてきたのだ。つまり「部屋の大きさによって、おすすめのサイズがある」という理屈だ。
これも納得できない。テレビって予算や部屋のサイズが許す限り大きなものを買うべきなのか? そんなに大きなテレビ見たいか? だいたい、僕がテレビで見たいのは大自然の驚異でも映像美でもない。「やりすぎコージー」とか「さんま御殿」とかの世にもつまらないバラエティだ。つまりテレビを見るという行為は暇つぶしであって、番組はさしずめ駄菓子、テレビ自体は駄菓子の入れ物なのである。駄菓子にそんなに金かけてどうする?
それに、もし映像美に興味があるんだったら、でかいテレビ買ってる場合じゃないだろ。その前にレーシック手術したり精度の高いメガネやコンタクト買ったり、もっと根本の部分に金と手間をかけるべきじゃないの? ……とまぁ、大演説になってしまった。思わぬ客の反論にフロア長まで登場して「大型テレビ否定論」まで行きそうになってしまった。結果、僕は24インチという微妙なサイズのアクオスを買った。自分の信念通りの買い物、それもリーズナブルなサイズと価格を選べて満足である。
……さて、話はかわる。この話とはまったく関係がないことは言うまでもないので誤解のないように。今日の午後、僕はDVDで『スターウォーズ・帝国の逆襲』を見た。画面が、そう、なんと言ったらいいのか、……迫力的なものが、ちょっと物足りない的な、いささか残念的なカンジ……かもしれない?
あんまり大きな声では言いたかないけど、テレビは大きい方がいいかもよ。
■第3回 散財その2 財布でも買うか。
もうかれこれ二年、ずっと財布で悩んでいる。
いま使っている財布は黒の革製。吉祥寺のマルイで七年ほど前に買った。一万七〜八千円したから、それなりの品だろう。別に安物ではないと思う。中には領収書だのメモだの、錠剤なんかも入れるときがある。現金以外のクレジットカード類やポイントカード、保険証や会員カード、その他事務所のカードキーまで全部一つの財布に突っ込んでるから、いつでもパンパンだ。
その分厚い財布をいつも二つ折りにしてズボンの尻に入れっぱなしだから、さすがの革製品でもすり切れてボロボロになってしまった。
「もうボロボロで使えないな」と思ってから二年以上、使ってる。
さすがにこれはヤバい。
いくらベストセラー作家(いちおう確認するけど僕のことだ)とはいえ、こんな財布使っていたら「実は売れてないんじゃないか?」と陰口を叩かれてしまう。支払うときにお店の人に財布観られるときにも恥ずかしい。
買うか? 金ならあるんだし?
いままで何度も財布を買わなければ、と思ったけど、今回は気持ちの余裕が違う。予算を気にせず、とりあえず、エエもん買わせてもらいます!
勢いこんで、僕は吉祥寺のパルコに向かった。ヒトコトお断りしておかなくてはいけないけど、僕の買い物は九九%以上が吉祥寺、つまり歩いて五分圏内だ。だからマルイやパルコに行って買い物する、というのは僕にとってかな〜りの気合の入った状態、オタクな僕にとってはアウェイな環境に身をさらしながらの行為だ。店員のカッコいいお兄ちゃんから声かけられても平然としなきゃ。だって僕、ベストセラー作家(自称)なんだもん!
というわけで、パルコ内のポール・スミスに入ってガラスケース入りの財布を眺めたわけだ。財布だけじゃない、ガラスケースだって高そうだ。僕の事務所でコレクションを陳列してるイケア製(本体七千円+電灯一九八円)とは違って、目の前のケースは重厚な木製、それも微妙なカーブで仕上げてる。ずらっと並んだ素晴らしい色つやの革財布には、今年のポール・スミスっぽいカラー・ストライプが中敷きにアクセントで入ってる。これを使ってるだけで自分がオシャレに見えちゃうんじゃないかな、とウキウキしてきた。
ケースを開けてもらい、財布を手に取る。
……しまった。僕にはこの財布、無理だ!
●つづく●
【かれこれ7ねんつかったサイフ】
■第4回 散財その2 財布でも買うか。②
吉祥寺パルコのポール・スミス店内で僕は固まっていた。
よっし、思い切ってブランドものの財布買ってやれ! なんせホラ、ま、金ならあるし、と自分を調子づかせて慣れないブランドショップに入ったわけだ。いやいや、慣れないといっても僕も今年で五十歳。いつのまにかランバ・ラルより大人な年齢だ。ブランドショップといえども畏れるに足らず!
きれいなお姉ちゃんがバカ高そうなショーケースからうやうやしく財布を出してくれる。僕のお気に入りは二つ折りのタイプ。パンツの尻ポケットが定位置、というのは高校生の時から変わっていない。その財布は革の質感が手に柔らかく、重くもなく軽くもない抜群の感触。価格も二万円前後だから、正直そんなに高いものでもない。気合入れたら買えるだろうし、正直そのぐらいの価格の方が大事に使って長持ちするかもしれない。
……しかし! 僕にはこの財布、無理だ。
収納場所が少なすぎる。現金やキャッシュカード、クレジットカードだけならともかく、TSUTAYAの会員証とかミスター・ドーナツのポイントカードとかクリーニング屋のスタンプ帳までは入らない。健康保険証や大学の教員カード、ユザワヤ友の会の会員証、ヨドバシのポイントカードに事務所のカードキーだってあるのだ。
でも、僕の目の前にある素敵でカッコいいポール・スミスの財布はそんなにゴチャゴチャと詰め込めそうにない。カードホルダーだって、たったの八ヶ所。一つのホルダーに三枚入れるという超過密体制でも二十四枚では足りないし、なにより財布が二つ折りにできない。
そうか、と僕は絶望的に理解した。
つまり、僕みたいに「なんでもかんでも尻ポケットの財布に突っ込む」ようなスタイルの男は、ブランドものに手を出しちゃいけないんだ。カード類を多く持ちたいなら長財布をジャケットの胸ポケットに滑り込ませる。または必要最小限のものだけ財布に入れて、残りはビジネスバックなりポーチに入れて持ち運ぶ。
そういう上品なライフ・スタイルができるからこそ、財布もこのサイズでかまわない。ポール・スミスの財布を持つ、イコール「なんでも尻ポケット」性格からの卒業であるべきなんだよなぁ。たしかにフェラーリやポルシェに「荷物が載らない」と文句言うのは愚かな行為だもんなぁ。
ダメだ。僕はまだセレブにはなれない。なんでもかんでも尻ポケットに突っ込みたいお年頃なんだ。本がベストセラーになっても、僕の根性は貧乏なままなんだ。
あきらめた僕は……それでも財布、買いましたよ。
ええ、僕にお似合いのやつです。
三千円ぐらいだけど、お気に入りだからコレでいいんです!
■第5回 散財その3 サイでも買うか。
事務所でテレビの取材を受ける時、かならずお願いされるポーズがある。「じゃあ美少女のフィギュア、それもできるだけ大きいのを持ってポーズお願いします」
愚かな。だいたい僕は美少女フィギュアなるものを一体も持っていない。
彼らが勝手に決めつけていた「画」が撮れないとわかると、次の質問はかならずコレだ。「じゃあこの中で一番の『お宝』はどれでしょう?」
「お宝」、つまり高価なものらしい。そう言われても困るなぁ。
もちろん僕のコレクション、つまり「大阪万博やニューヨーク博覧会」「昭和の宇宙開発」「レトロなロケットや未来像」にもバカ高いものはある。オークションで競り落とすときに過熱しすぎ、乗用車一台分の金を突っ込んでしまった模型。SF文学の歴史に残る書籍で、ちょっとした不動産が買えるほどの稀覯書。どれもみんな今よりずっとお金に不自由していた時代に無理して買ったものだ。
しかし、それは当時の僕にとって「買うしかない」ものであって、愛してやまない「お宝」かと言われても困ってしまう。
先日、僕は自分にとっての「お宝」を仕入れにでかけた。
「立体造形者たちのフリーマーケット」とでも紹介すればいいのかな? ワンダーフェスティバル、略してワンフェスは年に二回、東京ビッグサイトで開催される模型やフィギュア好きにとって最大のお祭りだ。ガレージキットと呼ばれる、「インディーズのプラモデル」が中心だけど、アンティーク玩具やコスプレや、メーカーの新製品発表などもある。
といっても参加するディーラーの八割までが美少女フィギュア、残り二割が怪獣やロボットなどの造形なのはイマドキのオタクニーズに合わせてるから仕方ない。
今回の買い物で、僕が一番気に入ったのは「犀」だ。動物の、あのサイ。でもまるで怪獣みたいでしょ?
ルネサンス期の画家アルブレヒト・デューラーの作品に、友達から聞いただけで見たこともないサイを想像だけで描いた木版画、というのがある。このミニチュアは、そういう「存在しないサイ」の立体化だ。
人間の想像力は、時に本物を超えた異形を生み出すことがある。そういう瞬間を立体化した、このような作品こそ僕にとっての「お宝」なのだ。
【中世の画家が想像した犀。五千円。】
【『ゲゲゲの鬼太郎』に登場した米国妖怪バックベアード。五千円。】
■第6回 散財その4 Macでも買うか。
……買った。
ついにMacBookAirを買ってしまった。まさか自分がApple製品を再び買う日が来るとは。
嫌いなのかって? 違う、その逆。好きすぎて憎くなってしまったのだよ。
思い起こせば一九八六年末、僕はたまたま秋葉原のショップで、Macプラスという最高に可愛くてカッコいいパソコンを見つけた。これなに? マウスっていうの? 動かしたとおりに絵が描ける! すごい! これってまるで……そう、未来のパソコンだ!
大感動した僕は、たしか八〇万円以上も払って小さな小さな、モノクロ画面のパソコンとバックパック型の容量四〇メガのハードディスクを買った。総武線と中央線を乗り継いで、持って帰ってきた段ボール箱を開けると、そこには本当に「未来」があった。
最初期のMacプラスほど、箱を開けたときに衝撃を受けた商品をいまだに僕は知らない。本体・マウス・キーボード・マニュアル。すべて、そのパッケージのされ方まで完璧でオシャレで、取り出すのがもったいなくて、泣きそうに感動した。
それからはひたすら伝道師の日々。デスクに据え付け、あきれ果てるアニメーターや取引先の人たちにひたすら、Macがいかに素晴らしいマシンなのか、その指し示す未来とビジョンと無限の可能性を暑苦しく説き続けた。『電脳なおさん』に登場するハナモチならないMacユーザーとはまさに僕のことだったのだ。毎週のように秋葉に通い、金の続く限り、ソフトや拡張キットを買う。
しかしそんな蜜月も半年も持たなかった。MacⅡやSEなどという新機種が、高性能で安価な新型がどんどん登場した。最初は落ち込んだ僕も、性能アップという魅力には勝てなかった。クアドラ840AV、パワーマック8100と買い換え続けた。ついには二〇周年記念モデルとして、いまでは「悪名高い」と言った方が通りがいいスパルタカスまで八〇万円以上する定価で買ってしまった。一年もしないうちにスパルタカスは二〇万円程度で叩き売りされ、僕のMac熱は冷めた。「もう二度と、裸足でパソコンを作るリンゴ野郎の口車には乗らない!」と固く誓った。……はずだった。
それが今や、もう超がつくほどのバカMacユーザーだ。どこへ行くにもMacBookAirを持ち歩く。ラーメン屋で並んでいるときにも無線スポットを探して開く始末だ。
バカだ。まさにMacバカ。そして人間とは、バカで愚かになり切れるほどに愛せるものを見つけるため生きているのだ。少なくとも、次の安くて軽い新機種が出るまでは。
■第7回 散財その5 ガンダムでも買うか。
ガンダムが好きだ。
なにを今さらと思われるかもしれない。僕も今年で五〇歳、論語によれば「四〇にして迷わず。五〇にして天命を知る」(四十而不惑。五十而知天命。)と言う。つまり「男というのは四〇歳にもなったら心が揺るがなくなる。五〇歳になったら自分の使命を自覚する」というわけだ。若い頃は軽薄にも新番組や新キャラに心がときめくかもしれない。でもオタクたるもの、四〇歳を超えたらいちいち新しいガンダムなんて見なくてよろしい。五〇歳になったら、自分とガンダムの関係を見つめ直さなければいけない。……と孔子様に説教されたような気がするので、富士急ハイランドまでガンダムを見に行ってきた。
若い頃は「テーマパークの入場料は高いし、吉祥寺から片道二時間半もかかるし」とか雑念が入って、ついアレコレ乗ろうとしてしまう。吉祥寺〜富士急ハイランドまでの電車賃が片道二一六〇円、往復で四三二〇円。入場料はフリーパスが四八〇〇円。園内で食事まですれば、かるく一万円を越える大イベントになる。「せっかく入場したんなら、もったいないからいっぱい乗らないと損」、そう考えるのも無理はない。FUJIYAMA・ええじゃないか・ドドンパという絶叫コースターなど、誘惑も多い。
しかし「四〇にして迷わず。五〇にして天命を知る」だ。ま、金ならあるんだし、目的はただひとつ。「ガンダム・クライシス」というアトラクションだけ。
と快調にコラムは進むんだけど、ごらんの通りこのページにはガンダムの写真などゼロだ。
いや、ちゃんと見てきましたよ。ガンダム・クライシス。実物大のガンダムは大迫力だったし、写真撮影禁止だったけど、それなりに満足した……気がする。
でも、僕の心を捕らえて離さなかったのは、乗り換えの高尾駅にあった「天狗の顔(実物大)」だった。「天狗なんて迷信に実物大なんて」と笑ってはいけない。ガンダムだってしょせん空想の産物、妄想に貴賤なしだ。
この天狗の顔、ガンダムとまったく同じサイズだ。戦ったらちょうど画になるサイズ。
「ガンダム対天狗」! 天狗が大団扇で突風を起こすと、アムロが「ジオンの気象兵器か?」と叫ぶとか。え? ということは「ガンダム対奈良の大仏」もアリ? ガンダム新三番勝負と考えたら、ボス戦は「ガンダム対巨大観音さま」?
と、脳内が暴走してしまった僕は、肝心のガンダム・クライシスについてなにも覚えていない。ひたすらガンダム対天狗のことばかり考えた。まる一日と一万円、完全にムダにしたね。五〇にもなって迷いまくり。お恥ずかしい。あと印象に残ったのは、おみやげコーナーで知ったゲゲゲの鬼太郎豆知識。「鬼太郎は真空の宇宙空間でも平気」「仙人のヒゲで作った学生服」「目玉親父の好物はサクランボ」とか知らなかったよ。
【天狗の写真を沢山撮った(高尾駅にて)】
■第8回 散財その6 ミシンでも買うか。
せっかくベストセラー作家になったんだから、ミシンを買おう。
毎日は使わないし、服を縫うわけじゃない。ただ単に趣味でミシン、買っちゃおう。だってほら、ま、金ならあるんだし。
子供の頃から手芸が好きだった。姉の影響もあるし、家が内職の元締めをしていたのでフェルトなど用品がそろっていたのも原因かもしれない。気がつけば小学校の頃には人形の服ぐらいは手縫いでガシガシ作れるようになっていた。
しかし、プラモデルの魅力にはまってから、手芸の楽しさをずっと忘れていた。
数年前、「岡田斗司夫のプチクリ学園」というCS番組に参加した。MONDO21で再放送してるから、見た人もいるだろう。「タオル君」というハンドパペットとゲストが会話するコーナーがあった。このタオル君、僕が縫って作ったもので、操作も声も自分でやっている。ユニクロのタオルで作ったからタオル君。約35年ぶりの手縫い力作だ。
さて時は流れて二〇〇八年。僕は事務所の模様替えで悩んでいた。せっかく売れっ子になったんだから、事務所の家具はアリフレックスとか北欧のデザインもので揃えようかな? 江川達也みたいに「金ならあるで〜」的生活も楽しいんじゃない?
しかし、だ。どのメーカーの椅子も家具も気にくわない。超高級家具なんて、「選んだ僕」が消えて「払った値段」しか話題にならない。そんな買い物はバカみたいだ。
悩んだ僕が行き着いた結論は「自作」だった。いま使ってる椅子に手縫いのカバーをつける。もともとサイズや感触は気に入っていたクッションにもオリジナルのカバーを縫う。そのためには思い切ってミシン、買っちゃおう。
いや〜、正解だったね。
「金ならあるんだ!」と自分に勇気吹き込んで、足踏みスイッチ付きの二千円高いの選んだよ。みんなも覚えとくといいよ。ミシンは足踏みスイッチ付きを買え。もう便利さが違うから。一万九千円もするけれど。
おかげでいま事務所は、手作りのカバーや小物であふれそうになってる。なんだかオバチャン臭い気もするけど、笑いたい奴にはこう言ってやる。
悔しかったらお前もミシン買ってみろ!
【ヨドバシで一万七千円+足踏みスイッチ二千円で購入。ああ、お金があるっていいなぁ。】
【タオルくんと僕。】
■第9回 散財その7 ロケットでもなおすか。
若者よ、おじさんの話を聞きなさい。「美味しい話」には気をつけた方がいい。
数年前、僕をアーティストにしようというプロジェクトが持ち上がった。某大スポンサーが僕を含めた数名の「アーティスト」に作品を作らせて、一等地のギャラリーで新製品キャンペーンにしよう、という企画に誘われたのだ。
僕は自分のことを「アーティスト」なんかだと思ったことはない。しかし、企画コーディネーターは、このチャンスを見逃すなんてアタマがおかしい、と僕に迫った。
たしかに条件を聞いたら、その話のうまさに卒倒しそうになった。
「なんでも好きな作品を作りなさい。費用は百万円まで保証する」
「自分で作らなくても、工房や職人に発注してもかまわない」
え? 自分で作らなくてもアーティストなの? その通り。コンセプトを考えて自分のイメージで発注・コントロールできたら、それを現代アートの世界では「アーティスト」と呼ぶのだ。僕が昔にいたアニメの世界では、それをプロデューサーと呼んだんだけどね。
百万円かけて好きなオモチャのオーダーメイドができる! 喜び勇んで、僕は知り合いの造形作家・三枝徹氏に「巨大なロケットのカットモデル」を発注した。
全長二メートル近い流線型のボディ。その側面がカットされて内装が見える。シルバニアファミリーの人形たちが、正確な科学設定と船舶知識に基づいて「もうひとつの二十一世紀」の一日を過ごしている。スケッチを描き、設定を書き、船内配置図や三面図、はては3DCGまで描いてイメージを伝えて完成したのがこのロケットだ。予算は思い切り超えて、二百万以上になっていた。スポンサー様からの出資はいつのまにか話が萎んで、その1/3しか出ないことになっていた。
会場でも僕のロケットは浮いていた。当たり前だ。アート展にこんなKY作品出されても困るだろう。
「岡田さんをアーティストにします」と約束した人もいなくなり、僕の手元には目がチカチカするような請求書と、でかくて邪魔なロケットだけが残った。
後悔はしていない。「一番のお宝は?」と聞かれたら、僕はいつだってこのロケットを指さすだろう。でも、でもね。最近このロケット、老朽化であちこち傷んできたんだよ。大阪のアトリエに輸送して修理してもらおうと思ったんだ。ほら、ま、今の僕なら金ならあるし。でね、見積もりが帰ってきたんだけどね。
てへっ、不思議だね、ママン。並んでる数字見たら、やっぱり目がチカチカするんだ。
なぜだろうね、ママン?
(撮影:菊池健志)
■第10回 散財その8 ロケットでも買うか。
人生で最大の買い物。それは財布の中身にかかわらず、いきなりやってくる。
十年前、僕はイーベイという米国のオークションサイトにハマっていた。まだヤフオクなど存在しない時代。日本人で海外オークションにはまってる人などほとんどいなかった。僕は夢中でロケットや未来デザインなど、どんどん競り落とした。
当時創刊されたばかりの『週刊アスキー』の連載ギャラをすべてはき出し、それでも足りずに貯金を使い果たすまで買いまくった。後に荒俣宏氏に「岡田さんのおかげで国際価格が変わった」とぼやかれたほどだ。
その時に、僕は知った。金があるから高い買い物をするんじゃない。運命のものを目にすると「欲しい」と思う前に衝撃を受けて「払えるかな?」と考える前に買ってしまう。財布や通帳にその金額があるかどうかは考えない。
このムーンライナーというロケット模型は、僕にとってそんな「運命の出会い」だった。
ムーンライナーとは、初代ディズニーランドの人気アトラクションだった全長二十メートルのロケット機だ。一九五五年七月一七日、俳優で後の第四〇代合衆国大統領となるロナルド・レーガンは、まさにこのロケット機の下から開園の実況レポートをした。そんな歴史的なアトラクションも、七〇年代の大改装で姿を消した。
八〇年代にロンドンの科学博物館で、「宇宙開発―その空想と現実」というブースが設けられ、そこでこのムーンライナーの模型が展示された。それが展示場の改装でオークションに出たのだ。
え? うそ? あのムーンライナーが? そのムーンライナーのミュージアムモデルが売りに出てる?
オークション終了の一週間後まで、僕は毎日二〇時間以上、パソコンの前を離れなかった。誰かが僕より高い価格をつけると、間髪入れずに指し返す。僕のハンドルもメアドも、当時の国際オークション市場では有名になりすぎて、単にいたずらで競りに参加する奴もいた。
でも僕は何も考えず、ひたすら競り上げつづけた。最初、大型テレビほどだった価格はじきに小型車程度になり、やがて外車も買えるほどの値段に跳ね上がった。
バカだ。本当に単なるバカだ。
でも、僕は後悔していない。自分が単なるバカに成り下がれるほど愛するものを見つけること。それこそが人生の目的じゃないのかな。
■第11回 散財その9 洋服とキリンでも買うか。
最近の僕は激安ファッションだ。
季節が変わると吉祥寺のユニクロと西友に行って、一万五千円程度買い物をする。驚くなかれ、これでジャケットやスーツ二着とシャツが三枚ほども買えてしまう。
ユニクロに無いものは小伝馬町だな。東京でもっとも衣料の安い問屋街、ジャケットやスーツが三千円で売ってる街。僕のワードローブはほぼカミングフロム小伝馬町だ。それも「アド街で見た」と言えばさらに千円割引の日に買ったものばかり。
だが、たま〜に難しい注文がある。たとえば『anan』などというオサレな雑誌のグラビア撮影とかがたまにあったりする。五〇近いオタク親父のグラビア撮ってどうすると思うけど、注文は注文だ。「初夏っぽい衣装でお願いします」とか言われるわけ。ファッション誌だから。
そんな時、やっぱり邪念が出ちゃうんだよね。オサレな人たちがいる世界では自分はどんな風に見えてるんだろうと不安になって、とりあえず「ちゃんとした服を買わなきゃ。」って思っちゃう。
で……つい買っちゃう。高い服を。だってほら、ま、金ならあるから。
伊勢丹メンズ館で聞いたこともないブランドのピンクのジャケットとか、銀座帝人ショップでライムグリーンのスーツとか。値段も五万や十万、すぐに飛んでいってしまう。
せっかく痩せて、安い服でも似合うようになったんだから、「激安でもこんなにオシャレ」と言えばいいのに、「徹子の部屋」とか、ゴールデンタイムの番組とか呼ばれたらうれしくて、つい新しく衣装を買っちゃうんだよな。普段はスタバでコーヒー飲むときにショートしか頼まないケチンボのくせに。
ああ、自分の俗物根性が憎い! 急にヒット出したら趣味の悪い御殿建てる漫画家のことを、もう笑えない!
でも一番のムダ遣いは、これだな。
巨大なキリンの縫いぐるみ。
コート掛けにちょうどいいや、と買ってしまった……。
値段?
MacBookAirより高いよ!
【巨大なキリンの縫いぐるみ。僕の身長と同じくらい。】
■第12回 散財その10 トイレットペーパーでも買うか。
担当編集S嬢はたぶん、僕に聞こえないところで、この連載をボヤいてる。
「岡田さん、金ならあるくせにセコいものしか買いませんね。どうせならくだらないものに何百万も無駄遣いすればいいのに」。
いや申し訳ない。ベストセラーの印税など年末には間違いなく無くなってしまうペースで使っている。しかしこの日記では取り上げるのに心苦しいほどくだらない使い方なので、顔はきれいだけど心は般若のS嬢に気に入られるようなネタにはなりにくいのだ。
たとえば先週、またつまらないものを買ってしまった。「セレブ向けトイレットペーパー」だ。
吉祥寺の輸入雑貨店で、六本セットで二千円で売っていた。オレンジや赤など、あまりトイレっぽくない色がそろっている。
一本あたり三百三十三円。いつも近所のスーパーで買ってる普通のロールは十二本セットで五百円。一本四十円だから、十倍近くの値段だ。なんだかお金でお尻拭いてるみたいな気分になれそうである。
たしかにセレブ向けかもしれないけど、こんな下品なトイレットペーパー、誰が買うんだよ?
あ、俺だ。だってベストセラー書いたし。ほら、ま、金ならあるし。
で、意気揚々と最高に趣味の悪い真っ黒のロールを買って、自宅のトイレにセットした。
ところが、さすがセレブ向けすぎて香水の匂い強すぎ。トイレの外までタヒチの中途半端なリゾートの風呂場みたいな香りがあふれてくる。
流そうとしたら、なんか巨大な海苔みたいで気持ち悪い。
一枚五千円もするパンツだって買ったぞ。ワコールが開発した「はいて歩くだけでお尻が引き締まるパンツ」だ。あまりのバカ高さに感動して、東急デパートの店員が電卓叩いたときに並べて写真撮ったほどだ。
セレブ向けトイレットペーパーに超高級パンツ。ああ、なんて僕の下半身はセレブなんだろう。
……と頑張って書いてみたけど、もしかしたら担当S嬢に「フン」と鼻で笑われて終わりかもしれない……?
【セレブなロールペーパー。二千円。】
【最高に趣味の悪い真っ黒のロール】
【なんか巨大な海苔みたいで気持ち悪い】
■第13回 散財その11 EXPOカフェでも行くか。
大阪・天満橋にEXPO CAFEがオープンした。名前でわかるとおり、ここは一九七〇年の大阪万博を追体験できるカフェだ。
オーナーはこの業界では超有名な白井達郎さん。万博当時は高校生で、夏休み中に会場内の水中レストラン(!)でアルバイトをしながら、グッズを集めはじめたそうだ。
白井さんは大阪・池田市に個人で「万博ミュージアム」を開いている。自宅の一階をコレクションを公開するために予約制で開いているのだ。料金は無料で、入り口にはウルグアイ館の一部を移築している。
そんな白井さんが、三年ぐらい前から「万博カフェの準備をしている」と聞いて、ワクワクしていた。半年前から、カフェの専門学校にも通い、いろいろなカフェを見学していたらしい。
見たい!
というわけで、行ってしまった。新幹線でMacを開いて、いくつか仕事をキャンセルしたり謝ったり遅らせたりというメールを送りながら、心はすでに大阪万博だった。
……と、まぁここまでなら、良かったんだよね。新幹線往復とホテル代程度だから。ま、金ならあるし。
京阪・天満橋駅から歩いて五分。びっくりするぐらい普通の場所に、すっごくカッコいい大窓があった。
ロケットの窓!
ショーウィンドーに並んでるお宝グッズに目を奪われる。
え、これ売ってるの? 安い! 僕が知ってる相場の半額以下だよ!
いやまぁ、買いましたよ。エキスポマークのお盆とか、岡本太郎の「顔」シリーズレリーフとか。もう普通の人がみたら、なんであのオッサンそんなに興奮してるんだろう、というイキオイで。もちろん大散財でしたよ。とほほ。
でも、お店自身はすっごくオシャレなんだよね。基本色をオレンジと白にしたのも大正解。高度成長時代というのは「プラスティックが世界を変える」といわれた時代で、あの人工っぽい発色が「未来」を感じさせてくれたんだもんなぁ。
これから白井さんは、どんどんお店オリジナルの商品を発表していくらしい。猛烈にうらやましくなった僕も、この連載オリジナルのアイテムを作ることに決めた。完成したら読者にプレゼントしちゃうから、お楽しみに。
■第14回 散財その12 高い寿司でも食べるか。
僕がわかるお寿司は一人前八千円までだ。
銀座久兵衛という寿司屋がある。北大路魯山人や志賀直哉などが愛した名店なんだけど、ここのランチタイム握りが八千円だ。ま、金ならあるから、サクっと食べにきたわけだ。それでもランチタイムのサービス握りにしか行けないんだから、自分のセコさがイヤになる。
お寿司はたしかに美味しい。寿司飯に砂糖を使ってないそうだけど、後味もさっぱりしていて、まことに結構。
でも、でもである。「四千円の寿司の二倍、美味しいか?」と聞かれたら困ってしまう。
「二千円の寿司の四倍美味しいか?」
「千円の寿司の八倍美味しいか?」
う〜ん、あくまで私見なんだけど、美味しさと値段の関係は「値段が倍になっても、味は倍にならない」のじゃないだろうか?
二千円の寿司は、千円の寿司より一・七倍ぐらいは美味しい気がする。
四千円の寿司は、二千円の寿司より一・五倍は美味しい気がする。
そして八千円の寿司は、四千円の一・三倍ぐらいは美味しい気がするのだ。
この減衰率から考えると、おそらく五万円の寿司というのは、八千円の寿司の二〜二・五倍程度の美味しさという計算が成り立つ。
もちろん、美味しさというのは食べる側の感受性、つまり「絶対舌感」の能力によって変わってくる。僕のように貧乏な舌しか持っていなければ、超高級寿司は食べても無駄なんだろう。高級な「絶対舌感」を持つ人にとっては、五万円の寿司やキャビアやファグラは「値段相応の価値を持つ」に違いない。
しかし、である。マンガやアニメなどの完全嗜好品を扱ってるとわかるんだけど、”万人が認める価値”というのは幻想でしかない。予算やスタッフが豪華なアニメが面白いとは限らない。
となると「超高級な寿司」というのは、「あなたにとっての超高級な味」を約束するのではなく「客観的に見て超高級な食材を、時給単価の高い職人が握っている」という意味なんだろうか?
考えながら食べていたら、あっというまに八千円のランチ握りは完食していた。しまった。せっかく八千円もするのに、味わいそこねた!
お勘定しながら、一つだけわかったことがある。八千円の寿司は、千円の寿司の八倍美味しいとはかぎらない。でも財布の痛みは、確実に八倍味わえる。
■第15回 散財その13 きなこの話でもするか。
お金が減るのが怖くてたまらない。
僕は重度の貧乏性だ。なんでそんなに貧乏性なのか? 生まれが本当に貧乏だったからだ。
僕が生まれたのは昭和三三年、『ALWAYS三丁目の夕日』の時代である。あの映画に登場するどの家庭よりも、僕の家は貧乏だった。
なんせ毎週一〜二回は夕食のオカズが”きな粉”だった。大豆を粉にしたあの”きな粉”。わらび餅につけて食べるきな粉と砂糖がオカズなのだ。
植物性タンパクで低脂肪だからヘルシー! なんて喜んでる場合じゃない。まだ国民的スローガンが「栄養失調を抜け出せ」だった時代だ。
きな粉さえない夜もあった。そんな時のオカズは漬け物だ。いや、ご飯さえない時すらあった。サツマイモをふかして家族全員で食べた。
「昔の日本は、みんな貧乏だったんでしょ?」と言われるかもしれない。とんでもない! 昭和三三年でこの貧しさはすこし異常である。
なんでこんなに貧乏だったのか?
答えはこの写真にある。僕の母親はたいへんな見栄はりで、夕食のオカズをきな粉にしながらも、僕にはいつも新品の服を着せた。
「斗司夫は岡田家の跡取りなんだから、いつもパリっとしてなさい」
髪はいつも坊ちゃん刈り。シャツもズボンも運動靴も、毎週のように新しいものが買い与えられた。二つ上の姉が服を買ってもらえるのは年に二回ぐらい。それぐらい母のえこひいきは激しかった。
おかげで、僕はどこに行っても「金持ちの息子」と思われた。つまり岡田家は分不相応な「お金持ちの家」に見られたわけだ。母の戦略、大成功である。
だから、未だに僕はお金を使うのが苦手だ。単なるケチではない。「使うべき時に使えないし、買わなくてもいいものまで買ってしまう」、つまり「お金を使うのが下手クソ」なのだ。
昨日も知り合いに焼き肉をおごってしまった。三人で一万五千円。ただ単に、喰えばなくなってしまう、たかが晩ご飯に一万五千円! ああ、もったいない。なんで「おごるから」なんて言ってしまったんだろう? きな粉にすればよかった。きな粉なら三人で十円ぐらいだったのに。
そんな後悔で、高級焼き肉を食った夜は眠れずに睡眠不足でこの原稿を書いている。
わかってる。僕はバカだ。でも、でもやっぱり、きな粉にすればよかった。
【左は姉。右が僕だ。】
■第16回 散財その14 試写会にでも行くか。
『スピードレーサー』の試写に行ってきた。
……と、こう書くとうらやましがる人もいるかもしれない。
気持ちはわかる。たしかに僕も、かつては試写会に憧れていた。
まさに業界人特権の象徴ではないか。未公開の映画が、人よりも先にタダで見れて、おみやげに特製パンフレットまでもらえる!
場末の映画館の狭くて汚い座席とは別世界だ。革張りのソファーにドリンクテーブル付き、というのも珍しくない。ルーカスフィルムの試写室なんか、ワイドソファーにライティングテーブルやシャンパンテーブルまであった。映写条件だって比較にならない。一般の映画館で見るときはピントが甘かったりいい加減な場合も多い。でも試写会場の映写機はクセノン光源バリバリで発色も良く、立体音響だって完璧だ。
ああ、憧れの試写会! いつかは僕も、配給会社や宣伝会社から試写状がバンバン届く身分になりたい! しかし実際に、試写に行くような身分になって驚いた。だって、試写会って思ったよりも不便なんだもん。
まず、銀座など特定の場所・時間に行かないと見られない。近所の映画館で都合のついたとき、というわけではない。途中で退席できない。どんなに体調が悪くなろうとも、とりあえず最後まで見るしかない。予告編がない。いきなり本編が始まってしまうので、なんだか損をした気分になってしまう。
と、こういう不平不満があったので、最近はめっきり試写にも行かなくなっていた。だってほら、タダで見なくてもま、金ならあるしさ。
ところが『スピードレーサー』は見に行ってしまったよ。だってウォシャウスキー兄弟で『マッハGoGoGo!』だよ。面白いことは見る前からわかってるじゃん!
映画としては『マッハGoGoGo!』というより、実写版マリオカートと言うべきだろう。自動車レースゲームテイストが爆発している。『マトリックス』がバーチャファイターを実写化したものと例えるなら、まさに『F-ZERO』の実写化だ。
そして『マトリックス』と同じく、バカだ。本当に素晴らしくバカだ。この映画から何かを学ぼうなんて余計なことは考えてはいけない。ひたすら気持ちいい映像とセリフとドラマの流れに酔えばOKだ。
エンディングで流れる日本語版アニメ主題歌を聞いたとき、君は「ああ、監督は本当に日本のアニメが好きなボンクラ兄弟なんだなぁ」と思わず胸が熱くなれるに違いない。
『スピードレーサー』、僕的にはかなりオススメである。
■第17回 散財その15 HD・DVD・VHSレコーダーでも買うか。
新しいAV機を買った。シャープの”ハードディスク・DVD・ビデオ一体型レコーダー#という奴で、この三つの媒体ならどれでも自由にダビングできるという機種だ。
なんでいまさらVHS? と思うかもしれない。しかし本当にマニアックなソフトはVHSでしかない場合が多い。マイナーすぎてDVDにしてくれないのだ。
VHSテープは事務所にも存在している。テレビ出演すると、その番組をコピーして送ってくれる。生放送だと、自分では見られないから「ご確認ください」という意味あいもある。同録と呼ばれるこのコピーも、VHSテープなのだ。
最近はDVDでくれることも増えてきたけど、過去の同録はすべてVHSテープ。この本数がすごい。事務所の本棚三本分ある。僕の出演時間が五分ほどでも、テープ一本送ってくるのだから、増えるわけだ。
どうせなら、自分が出ているコーナーだけ編集してDVDにしてしまえばどれだけすっきりすることか。ここでも、HD・DVD・VHSレコーダーが大活躍してくれるはずだ。
大学の講義で映像を使うことも多い。いままでは毎週、VHSテープを場合によっては十本近く大阪まで持っていった。これまた大変不便だし、学生の見てる前で早送り・頭出しするのもカッコ悪い。講義で使う分だけDVDに焼いて持っていけば、持ち運びも便利だし。
と、思って購入してからはや数ヶ月。実は、まだレコーダーは箱に入っている。
HDに入れるにせよ、DVDに焼くにせよ、VHS一時間を変換するには、まるまる一時間かかる。そのあと、きちんとコピーできているかの確認をしないと、VHSテープは捨てられない。五分しか出演していない場合は、自分が出ているシーンを早送りなりで探すしかない。そうやって、何時間もかけて、ようやっとテープ一本分だ。想像するだけで、げんなりする。
バイトを雇う、という手も考えた。しかしBSマンガ夜話とかアニメ夜話とか、著作権的に取り扱いには注意を要するコンテンツが収録されているものも多い。安易に他人に渡せないのだ。
今週こそは、とレコーダーを箱から出してみた。レコーダーとVHSの棚を交互に見て、ため息をつくだけで終わってしまった。 結局、今週も僕は、へたってきたVHSテープを鞄に詰め込み、大阪の大学に向かうことにした。
ま、金ならあるから、とHD・DVD・VHSレコーダーを買った。でも、そのあとがダメだ。金で解決するのは、いつも問題の半分だ。そして問題というのは半分だけ解決しても、まったく意味がないのである。とほほ。
【高さ150センチの棚3本がVHSテープで占められている。これでも厳選したんだけどね。】
■第18回 散財その16 今日もハンバーガーを食べるか。
僕はケチだ。自分で値打ちを認めたものにはお金を惜しまないが、価値がわからないものへの出費は極端に渋る。
当然、ブランド品は好きじゃない。エルメスのバッグも、なぜ革を縫っただけの袋が八〇万円以上するのか、納得できない。だから絶対に買わない。たとえ誰かにプレゼントされても、さっさと売り飛ばしてオシマイにする。
が、好きなものなら、話は別だ。美味しいチョコレートが食べたくてベルギーに一週間旅行に行った。それも一人旅だ。一週間で5キロ太ったけど、それだけの価値はあった。
と、こういう話をすると、僕のことをグルメと勘違いする人がいる。美味しいお店の情報を聞かれることも多い。
とんでもない。
僕は”高級食材”とやらに興味がない。ウニもイクラもフカヒレもツバメの巣も嫌いだ。カニもフグも、値段ほどの美味しさは感じない。
つまり「自分がわかる」ものにしか値打ちを感じないわけだね。
そんな僕が、こよなく愛するもの。それがハンバーガーだ。子供の頃、アニメのポパイを見たときに、ウィンピーというおじさんキャラが食べていた不思議な丸パンに憧れた。サンドイッチみたいだけど、バーベキューした肉をはさんでいる。その頃から僕は”ハンバーガー”に取り憑かれていた。
ご当地バーガー食べたさに日本各地を飛び回った。帝国ホテルのルームサービスのチーズバーガーが食べたくて、バカ高い宿泊費を払って泊まったこともある。今よりずっと貧乏だったけど、最高のハンバーガーのためなら惜しくなかった。
写真は東京ミッドタウンにある”ニューヨークで一番予約の取りにくいレストラン”と言われるユニオンスクエアの東京店、そこのUSCバーガーである。二五〇〇円するけど、さすがに旨い。肉もパンも野菜も、その焼き具合やサービスまで最高だ。ランチでハンバーガー食べるために予約まで必要だけど、このバーガーのためなら、値打ちはある。
ああ、大人になって良かった! こんな贅沢なハンバーガー食べれるなんて!
と感慨にふけったのもつかの間。なぜか帰りに、マクドナルドで一〇〇円のチーズバーガーを食べてしまった。一〇〇円でも二五〇〇円でも、ハンバーガーはやっぱりおいしい。
明日は塩バターキャラメルで有名な新宿伊勢丹のアンリ・ルルーのフォアグラ・ハンバーガーにしようか。それともロッテリアか、思い切ってモスバーガーに行ってみようか。
ウィンピーに憧れた大阪の子供は、また明日もハンバーガーが食べたいと考えるのだ。
■第19回 散財その17 映画でもみるか。
論理的な考え方や行動が大好きだ。
論理的なことが「正しい」じゃなくて、単に「好き」。だから、意味なく理屈っぽく考えてしまう。行動が論理で美しく説明できている時は、自信満々になれる。スタイリッシュでかっこいいと、我ながらほれぼれする。逆に「理屈では説明できないけど、つい。」みたいな行動をとってしまうと、ブルーになる。自分がイヤになる。
”論理的”は、生活のあらゆる面で、僕が目指していることだ。
たとえば、映画鑑賞。
映画くらい好きに見ればいいじゃないか、と考える人も多いだろう。違う。僕は自分なりの「論理的な」映画鑑賞法を確立している。
僕は最初の十五分で、その映画を最後まで見るべきかを見極める。面白ければいいが、ダメなら席を立つ。そのまま外に出てしまうのだ。
映画の料金がもったいない? とんでもない。論理的に考えたら、これほど効率を重んじる方法は他にない。映画館に払う料金は通常千八百円。これは入場の時に取られる金額で、泣いても笑っても、絶対に帰ってこない。つまり”千八百円という投資は妥当であるかどうか”を判断する折り返し点は、映画館に入った時点でもう過ぎてしまっている。
次の判断ポイントは”二時間という時間を投資するかどうか”だ。最初の十五分は判断のための投資。「さらに一時間四十五分を投資すべきか?」と考えるわけだ。
大半の映画が、再投資に値しない。具体名を出すのはちょっとアレなんだけど、邦画超大作とか有名魔法学校ものとか、だいたいの映画は最初の十五分しか見ていない。
これを”十五分しか見てないのに千八百円支払うなんてもったいない”と考えてはいけない。”千八百円+十五分という投資だけで切り抜けられてラッキーだった。あやうく一時間四十五分も無駄にするところだった”と考えるべきなのだ。
お金は稼げばいいけど、時間は取り返せない。見よ、この怜悧なまでの論理の冴え。論理より感情を重んじる人には、絶対にできない技であろう。
……しかし、だ。せっかく自分で判断して見るのを中断した映画なのに、何年も気にかかってしまう。「最初の十五分しか見てないけど、続きはどうなったんだろうか?」「あと三分で劇的に面白くなったかもしれないのに。」
我慢できず、DVDをレンタルして見てしまう場合も多い。
映画代千八百円+お試し十五分+数年間ヤキモキ+レンタル代三百八十円+鑑賞時間二時間=プライスレス……わかってる。論理とはダンディズムだ。損得じゃない。美学なんだ。
ほら、ま、お金ならあるし。悔しくない。泣いてなんかいないんだってば!
■第20回 散財その18 Tシャツの話でもするか。
「最近、オシャレになりましたね?」とよく言われる。
痩せたからオシャレになったわけではない。デブ時代の服がすべて着られなくなったから全部買い直したのだ。
普通サイズの服は、驚くほど安い。ユニクロや西友に行くと千円台で、そこそこ着れる服がいくらでもある。ユニクロはいいよね。安くてもデザインはいいし。それに痩せたらサイズがジャストフィット。太っていた時代はなにを着てもどこかダブダブだったりキツキツだったりしたもんだ。
結果、今までよりオシャレになったように見えるのだろう。
オシャレになったと思われた僕が、次に訊かれるのは、「好きなブランドは?」だ。
バカにしてもらっては困る。服のブランドなど興味がないしわからない。服にお金をかけたい性分というわけじゃないし。
いやなによりも、服などどれも同じに見える。モビルスーツの違いにはうるさいが、Yシャツの襟が丸かろうが四角かろうが、ネクタイが太かろうが細かろうが、大してかわらないと思ってしまう。
とは言え、着るものにこだわりがないわけではない。デブ時代から僕は、「ヘンなTシャツ」が好きだった。当たり前だが、これなら、さすがの僕も同じには見えない。
「体型的にこういうのが似合いますよね」、「服に負けないですね」というほめ言葉に気をよくして、なにかというと買い足した。その結果が、このコレクションだ。
しかし、考えてみると、こんなヘンテコなTシャツを「似合う」とか「着こなしている」と言われるのは絶対にほめ言葉じゃない。
「なにを着ても似合わない」、「ヘンなTシャツなら柄に目がいくからいいんじゃない?」という意味ではないか!
ああ、そんな単純な事実に気づかずに、いったいいくら僕はヘンテコTシャツにつぎ込んだんだろう?
ま、金ならあるしと、わざわざ恥を買っていたようなもんだよね。とほほ。
【ヒューストンのジョンソン宇宙センターで買った。裏は宇宙開発の歴史。】
【フロリダのディズニーワールドのカフェで買った。大阪のおばちゃんみたい。】
【なにかイイこと思いついたぞ!Tシャツと呼んでいる。こういうの好きだな。】
【パリで売っていた「鋼鉄ジーグ」。さすがフランス製、異様にカッコいい!】
■第21回 散財その19 DVDでも買うか。
『ファイトだ!!ピュー太』のDVDボックスを買った。一九六八年、僕が十歳の頃に放映されたアニメだ。アニメ史の資料をひもとくと、「日本のギャグアニメの草分け的存在」などと評価されている。
だからと言って、DVDボックスを買うほどのものか、という気持ちもあった。が、なにしろ十歳の頃だ。どの話数がおもしろかったのか、覚えているはずもない。だから、何巻だけ買うと決められない。全部買うしかないのだ。まぁ、金ならあるし。
買ったからには見るしかない。ディスク5枚組のボックスを見はじめた。
オープニングは記憶通り、スピード感抜群で最高だ。第一話も、設定の紹介だからこれまたおもしろい。しかし、そこから先、なかなかおもしろくならない。
ちょっと待て。僕はいつおもしろくなるのかわからないアニメを延々最後まで見るしかないのか? 飛ばし飛ばし見てみる? いや、たまたまおもしろい話数だけ飛ばしてしまう危険もある。
そもそも、当時十歳の子供がおもしろかっただけで、いま見たらさっぱりということだって、大いにありうる。どうする? せっかく全巻セットを買ったんだから、見ないともったいない。でもおもしろくないアニメを見るのは、時間がもったいない。
なんだかわかんなくなってきた。みんな、このジレンマをどう乗り切ってるんだろうか?
例えば僕は『ブレードランナー』が好きだ。だからビデオもレーザーディスクもDVDも買った。
好きな作品を手元に持っておきたい。これは、当たり前の感情の気がする。
でも冷静に考えれば、しょせん一度見た作品なのだ。二度目が、一度目ほどおもしろいはずもない。映画館より高いお金を払って買う値打ちが、本当にあるのだろうか?
DVDを持っていれば、たしかに何度でも見られる。でも三度目、四度目になれば、おもしろさや感動は初回より、どんどん目減りする。自分の感動を目減りさせるために、僕たちはあの高いDVDを買ったりしてるんだろうか?
だからといって、見たこともない作品をDVDで買うのは危険すぎる。同様に、むか〜し見ておもしろかった作品を買うのも、どうもあやしい。そんなあやしいものに、何千円何万円も使うのは、金の使い方としてバカみたいな気がする。
しかも、だ。DVDを買ったら今度は見るための時間を作らなくてはいけない。これは買う金を工面するのと同等に、いや時にはそれ以上に難しい。
知り合いの漫画家で、映画が大好きなヤツがいる。当然、好きな映画のLDやDVDを山ほど持っている。が、それらの作品を映像特典まで含めて全部見よう とすると、彼の残り寿命よりはるかに時間がかかると言う。
自分の寿命よりも”見るべき作品”の長さが多い人生!
彼は、そして僕たちは本当に幸せなんだろうか?
【みんなはこのジレンマをどう乗り切っているんだろう?】
■第22回 散財その20 スカパー!でも見るか?
実は電気関係に弱い。
使えるアプリケーションは、テキストエディタとメールだけ。ワードもエクセルもフォトショップもパワーポイントも使えない。携帯も絵文字メールすらできない。でも、別にいいじゃん。尊敬する橋本治先生は、いまだに原稿用紙に鉛筆で書いておられるそうだ。物書きなんて、メールが使えて、文字が打てれば恩の字じゃないか!
しかし、である。どうも僕は、家電すらダメらしいのだ。
一年ほど前、突然、契約しているスカパー!が見られなくなった。契約料も払っているし、受信もされている。だが、見ようとすると「電話回線がつながっていません云々」というエラーメッセージが出て、見せてくれない。スカパー!受信機はDVDの上にあるし、ベランダには、でっかいパラポラアンテナもある。コードもつながっている。一体、なにが悪いんだ?
あ、思い出した。事務所の大掃除をした。その時、あまりにもコードがうねうねと邪魔だったので、いかにもいらなさそうなものを選んで抜いた気がする。でも、元に戻そうにもさっぱりわからない。試しているうちにイライラしてきて、すべて放り出してしまった。
ストレスをためないために、もうスカパー!は見ないことに決めた。でも毎月スカパー!雑誌が送られてくる。つい雑誌は読んでしまう。これ僕が契約してるチャンネルだ。見れるはずなのに、とイライラしたり落ち込んだりする。おまけにこの雑誌だって有料のはずだ。そう思うと、また(以下同じ)。
何度目かで、イライラは頂点に達し、何のことかわからないコードを、次々とハサミで切ってしまった。これでうっかりチャンネルをスカパー!にしても、なにも映らない。この世にスカパー!なんて最初からなかったんだ! そう思えばいいだけ、悔いはない。
ところが、そのあとしばらくして気づいた。FAXが一通も届いていない。メールとFAXしか連絡手段のない事務所で、FAXが届かないでは話にならない。
あわててゼロックスに修理を頼むと「電話回線、切れてましたよ」と叱られた。間違えて大事な電話回線まで切ってしまったのだ。ショボンである。おまけに翌月には相変わらず、またスカパー!雑誌が送られてくる。スカパー!を解約しようとしたのだが、解約の仕方もわからないのだ。
あ〜、もういい!
全部捨ててやる! で、今度見たくなったらもう一回、機材を全部買いなおしてやる! そして、ヨドバシカメラの兄ちゃんにつないでもらうんだ。
だってだって、ほら、金ならあるんだし。お金で幸せって買えるはずなんでしょ?(半泣)
涙ににじむ目で、ベランダから空を見た。夕焼け空に、もう役に立たなくなったスカパー!のパラボラアンテナが見えた。アンテナにはカラスが一羽とまって、カァと一声鳴いた。なんだか自分の家電人生の終焉を告げられたようだ。
言っとくけど、これ全部実話である。こんなオチ、いらないのに。
【どちらかが、スカパー!のアンテナなんだけど、ヘタに捨てるともう片方のBSまで見れなくなっちゃう。】
■第23回 散財その21 カードをどうするか?
ポイントカードって、なんであんなに増えちゃうんだろう?
近所の定食屋にクリーニング屋、家電量販店、ビデオのレンタル屋、行きつけの喫茶店……。一度しか行きそうにない店のカードは思い切って捨ててしまうことにしている。しかしなぜか、財布はカードであふれてしまう。
そこで、よく使うのと時々しか使わないのに分け、普段使いのポイントカードだけ財布に入れる。残りのカードを保管しておくカード専用財布もしかたなく買った。まぁ、金ならあるし。
このカード専用財布、相当かさばる。いつも持ち歩くわけにもいかない。結局、自宅での保管用財布と化してしまった。保管用なら別に財布である必要はない、とか考えてしまうと虚しい気持ちになるので、そこは考えないようにしよう。
と、ここまでマインドセットしても時々くやしい思いをしてしまう。
伊勢丹の地下に、たま〜に行くお気に入りのレストランがある。久しぶりに入って、とても美味しいロールキャベツ定食を食べた。お金を払うときに「当店のスタンプカードはお持ちですか?」と聞かれる。しまった! めったに来ない店だからカード持ち歩いてないよ。
「すみません。今日は持ってないんです」、「新しくお作りしますか?」ここでうっかりハイと言っては、ますますカードが増えてしまう。「いえ、結構です」、「レシートにスタンプを押しておきますので、次回、一緒にお持ちください」。
なんと親切なんだろう。だが今度は、カードとレシートの両方を忘れず持っていかねばならないのだ。面倒なのでレシートも断って、それでも気になって、帰宅してからカード専用財布から件のカードを見つけ出した。あとスタンプ一回で食事が無料だ。しまった、レシートもらえばよかった!
しかし、このポイントカードを財布に入れるためには、別のカードを諦めなければならない。トレード候補のミスタードーナツ・カードを眺めていると、訴える声が聞こえるようだ。
「ちょっと正気なの? ドーナツ好きでしょ?」 同じく候補のエクセルシオールカフェ・カードも負けていない。「ま、私をはずすなんて、論外でしょ? 確かに、ポイントカードを出し忘れることが多いけど、それってあなたのせいよね。回数は、絶対にミスドなんかより多いわよ。ふざけないでよ」。いっそのこと、伊勢丹のIカードを家に残そうかと考えると「社長、そんな殺生な。私はそこらのポイントカードよりずっと率がいいんでっせ! しかも高額商品の場合が多いやないですか。損しまっせ!」
たくさんのカード達に翻弄されながら、何十分もカードを出したり入れたりを繰り返すことになる。実際、こういう儀式を週一回は繰り返している。
子供のころは、お金がたくさん使えるようになると、楽しいことがいっぱいになるだろうと考えていた。まさかポイントカードに怒られたり、命令されたりするようになるとは想像もしなかった。
何かが間違っている気がする。けど何が間違っているのかわからない。言っとくけど、何が間違っているか、誰も僕には教えないでほしい。
■第24回 散財その22 ヌーブレラでも買うか?
どうも僕にはなにかが欠けているらしい。常識? センス? 空気を読む力? はっきりとはわからない。でもなにか欠けていることだけは間違いない。普段は大丈夫なのだ。テレビを見ていても、お笑いが好きとかスポーツが嫌いとか、偏りはある。でも普通の日本人の範疇だと思う。ところが、”これはイケる! 流行る!”という感覚がどうもおかしいらしい。
先日、僕はネットニュースで”ヌーブレラ”という商品を買った。別名「21世紀の傘」だ。手をつかわなくていい傘、というのが売り文句らしい。
僕は、歩きながら本を読んだり、携帯メールを打つ。なにより手ぶらが一番好きなのだ。”ヌーブレラ”は手で持つ必要はなく、両肩に固定する方式だ。全体が半球形の透明ドームになっている。頭だけでなく、背中や胸まですっぽり覆うので、上半身が濡れる心配がない。ほぉ、便利そうじゃん。この透明ドームの中なら、本を持とうが携帯をいじろうが大丈夫だ。さすが21世紀。こんな傘みんな待っていたはず。たぶん3ヶ月後には日本でも本格的に発売されて、そこら中に”ヌーブレラ”があふれるに違いない……その時の僕は考えてしまった。
日本では販売されてないけど、ネットで申し込めばいいのだ。一足はやく流行を先取りしたいので、航空便を指定。送料が割高なのはしょうがないよね。まぁ、金ならあるし。
楽しみに待つこと、数週間。たまたまつけていたテレビのワイドショーで”ヌーブレラ”が紹介されているのを見た。問題は、その扱われ方だ。
”こんなおもしろい傘がアメリカでは発売されたようです”という紹介に、「うわ〜、バカ!」、「こんなの、誰が使うの?」と、コメンテーター全員が大爆笑。完全に、お笑いネタなのだ。
ショックだった。ショックの理由はワイドショーでも実物はなく、僕と同じ写真を見て、大笑いしている点だ。僕は”ヌーブレラ”を”カッコいい! 絶対に流行る!”と確信した。でもテレビの人たちは僕と同じ資料、同じ写真を見て、「バカだね〜」、「こんなの買う日本人、いませんよ!」とツッコミまで入れている。……すいません、ここにいるんですけど……茫然と立ちすくんでいると、インターホンが鳴った。”21世紀の傘・ヌーブレラ"が今まさに、届いたのだ。
実物の”ヌーブレラ”は、さらに僕をどんよりさせた。
すごくかさばる。折りたたみ式ベビーカーくらいある。しかも重い。広げるのも畳むのも面倒。きれいにたたんで専用ケースに入れないと持ち歩けない。装着して歩く姿はまるで巨大なマッチ棒みたいだ。絶対に指さされて笑われる。なにより問題は、たとえば近所の屋根付きアーケード商店街に入る時だ。マニュアルにはそういう場合、透明ドームの前面だけ開けると書いてある。無理だ。単なる罰ゲームである。
わざわざ梅雨に間に合わせようと航空便で取り寄せた”ヌーブレラ”。とうとう梅雨も終わって、暑い夏が来たけど、当然ながらけっきょくまだ一度も使っていない。
一体、僕にはなにが欠けているのだろうか? なにが欠けているかわからないけど、変な傘があるのだけは、はっきりしている。
ヌーブレラ公式サイト:http://www.nubrella.com/
■第25回 散財その23 タクシーでも呼ぶか?
タクシーに乗るのは特別な時だ。
終電がなくなった。初めて行く場所で、バスの乗り継ぎがわからない。荷物がものすごく重い。すごく急いでいるが、電車だと遠回りになる。雨がどしゃぶりだけど、濡れるとまずいものを持っている……などなど。僕はそう思ってるし、ごく普通の感覚だと思う。だからこれまで移動は電車ばかりだった。TV局や出版社との打ち合わせで「自家用車でいらっしゃいますか? タクシーですか?」と聞かれ、「電車で行きます」というと、びっくりされる。「ふ〜ん、業界人って贅沢病が多いんだな」と思ったりもした。
ところが最近、そうも言っていられなくなったのだ。
電車の中で、いきなり知らない人に写メを撮られたりする。「あの痩せた人」とか「五十キロ減った」、「メモ帳の」「ズボンひっぱってる人」とかいうひそひそ話も、漏れ聞こえてくる。夜遅くなると、酔っぱらいに絡まれたりする。ストーカーっぽい人につきまとわれることも少なくない。電車の中だと逃げも隠れもできない。サファリパークの動物状態だ。「あ〜、テレビに顔を出してると電車に乗ることができなくなるんだ。そりゃ自家用車やタクシーが必要になるはずだ」。やっと僕にも理解できた。
というわけで、吉祥寺の事務所から渋谷NHKまでタクシーに乗ってみた。まだ電車は動いている時間だ。京王井の頭線なら二百十円だけど、タクシーなら四千円ぐらいかかる。
わずか三十分程度の不快さを避けるために三千八百円! いや〜、悩んだこと悩んだこと。
待てまて。いまや僕もベストセラー作家の端くれ。四千円で、そこまで悩むか? 自分を納得させて乗ったタクシーだけど、これがなんとも落ち着かない。
まず電車と違って、到着時間が読めない。早く着くこともあるが、渋滞だと信じられないほど時間がかかることもある。当然、余裕を見て早めに出かけることになる。そのため、目的地に到着してから、時間が中途半端に余るんだけど、これがどうしても許せない。普段、電車の乗り継ぎ時間に余裕をみすぎて、楽屋に十分早く着いてしまっただけでも、猛後悔する。そこまでセッカチな性格の僕である。それなのに、タクシーで行くと三十分も早く着いてしまった。「あぁ、この三十分でメール五本は処理できたのにぃ!」と胃がキリキリする。
しかも、タクシーは夜、本が読めない。移動中の読書は、僕の人生に不可欠なのに。もちろん、タクシーの中には、読書灯がついているものもある。が、どのタクシーについているかまでわからない。わざわざ手をあげて止めたのに、読書灯がないからと断るわけにもいかない。
読書灯がない場合、無理して街灯りで本を読むことになる。灯りが車窓から入れば、素早く一〜二行読む。暗くなったら、次に明るくなるまでページを開いたまま、さっきまで読んでいたあたりをまんじりともせずにらむ。明るくなったらすぐ読めるように、だ。あたりまえだけどこれ、異常に疲れる。
これなら、危険や不快を覚悟で、堂々と電車に乗って本を読んだ方が気が楽かもしれない。三十分と三千八百円、節約できるしね。
■電子版あとがき
こんにちは、岡田斗司夫です。
この「電子版おまけあとがき」は、岡田斗司夫と FREEex(フリックス)の電子書籍のための書き下ろしです。
『岡田斗司夫の「ま、金ならあるし」第1集』のお買い上げ、ありがとうございました!
私も電子書籍、大好きです。2015年までは専用リーダーとか買わないぞ!と決意していたのに、いつのまにか Kindle Paperwhite 3G と iPad mini を買って、毎日持ち歩いています。2週間で電子版ジョジョ全巻を読破してしまうほど、ハマっています。
本を好きな人間にとって「いつでも」「手軽に」読めてしまう電子版は福音であると同時に、悪魔の囁きです。だって未読の本棚を持ち歩いているのと同じなんですから。
私も毎日、嬉しい悲鳴を上げながら Amazon をポチしています。
さて、この本はもともと、KADOKAWAから出ている『週刊アスキー』で連載している「ま、金ならあるし」というコラムを集めて出版されました(現在も「岡田斗司夫の近未来日記」というタイトルで連載中です)。
今後も引き続き続巻を刊行予定ですので、ぜひ楽しみにしてください。
では、次の電子書籍でまたお会いしましょう!
(おしまい)
……はい、ここからは「オマケのオマケ」です。
別名「宣伝」ともいいます(笑)
なぜ「宣伝」をあとがきに入れるかは、数十行のちに説明します。
この本はいわば完成版ですが、岡田斗司夫のSNS・クラウドシティでは、この本を制作する過程ごと、リアルタイムで公開しています。
出版社からの依頼やそれに対する私の対応、具体的な打合せや、ペラいち枚程度の簡単な企画書、その企画書が、出版者側の編集会議でOKが出たり、NGが出たり、リテイクが出たり……。
岡田斗司夫による目次案も、具体的な中身も、編集者の手直し案も、各パートごとの執筆、岡田斗司夫のまとめ……。
そういった細々とした過程もすべて、クラウドシティで読むことができます。
岡田斗司夫ファンとして誰よりも最新の情報を手に入れられるだけでなく、ビジネス・ドキュメンタリーとして楽しむこともできますし、本づくりの基礎を学ぶ教科書として読むこともできますし、業界の動静もうかがい知ることができます。
現在執筆中の単行本や未発表の原稿も、すべて、クラウドシティの中では読めます。
この電子書籍、『岡田斗司夫の「ま、金ならあるし」第1集』も、もちろんクラウドシティの中で、そのプロセスから完成原稿まで、すべて公開しています。
クラウドシティの参加はこちらから。
https://cloudcity-ex.com/login/
クラウドシティに参加して、是非、確認して下さい。
はい、「宣伝」はここまで!
では、なぜ「宣伝」を入れたかの説明です。
クラウドシティでは、発売中の電子書籍や、あらゆる書籍のデータを会員に公開しています。
で、私としては、単行本を一冊一冊買うよりも、電子書籍をひとつずつ Amazon からダウンロードするよりも、月額840円(税込882円)支払って、クラウドシティで映像見放題、テキスト読み放題にした方が、お得だと思うんです。
電子書籍だけならクラウドシティに入る必要はないけど、私の書籍のすべては単行本の元になる「講演」が存在します。その講演映像では、岡田斗司夫自身の言葉と声で「ついこないだ思いついたアイデア」として、この本の内容が語られてるんですよ。
そのライブ感、「腑に落ちる感覚」は書籍とはまた違った感動を呼ぶでしょう。
私としては、本を読んだ人にはぜひそのライブ感を味わっていただきたい。
普通に読むよりも何倍も理解が深まるし、納得も強くなる。なにより面白いからです。
そしてクラウドシティをオススメする理由のもう一つ。著者である私や、FREEex のメンバーと直にやりとりができる。著作について何でも質問できるし、意見や提案、こんな本を書いてほしいと言うリクエストや、反論すらも大歓迎です。
そういう意見をクラウドシティに参加して書いて頂けると、岡田斗司夫がコメントをつけたり、次回の電子書籍に引用したりも、可能です。
クラウドシティは読書を孤独な「情報の終点」にしません。
読書からはじまる思索や対話の道場なのです。
以上、私がみなさんにクラウドシティをオススメする理由でした。
さて、この電子書籍の出版元は、FREEex という組織から派生した「外郭団体」です。
FREEex は、岡田斗司夫の活動を支援する組織。そのメンバーが「岡田斗司夫のコンテンツを利用して、ビジネスを展開する」ために集まり、外郭団体を作ります。
外郭団体は FREEex メンバーなら誰でも作れます。目的は「評価経済社会の実験として、小さなビジネスを成功させて数人程度の仲間を食わせること」。
ビジネスの中でも電子出版は、大きな資本がいりません。マイクロ規模なので、練習用や早期回収のケーススタディとしては抜群だと思います。
だから私もメンバーたちに「どんどん新しい出版社を作って、ビジネスするといいよ」と支援・援助しています。これら外郭団体が稼いだからと言って、私には1円も入りません。が、メンバーの生活の足しや、自己実現のプラスになるのがなにより嬉しいのです。
この本も、そんな FREEex の仲間たちといっしょに書きました。クラウドシティ内で打ち合わせした後、私とメンバーたちはそれぞれの担当箇所を決めて執筆します。私がまるまる書き起こす部分もあれば、私の講演録音をベースにメンバーが文章化する場合もあるし、メンバーの独断でまるまる一章分を書いてしまう場合もあります。
講演などのイベントも、FREEex のメンバーが主導で行うし、ニコ生などの映像制作も、ブログやメルマガもそうです。
この本を書いているのも FREEex、出版しているのも FREEex、岡田斗司夫のSNSを運営しているのも FREEex。
ディズニーランドでミッキーマウスが、スタッフみんなの力で作りだされているのと同じ。
あなたがいま見ている「岡田斗司夫」は、実は FREEex によって作られているんです。
こんな FREEex に参加したい方、いっしょに私と遊んでみようと興味をもった方は、ぜひ下記リンクをご覧ください。
http://blog.freeex.jp/archives/51227540.html
では今度こそ本当に「おしまい」です。
次回作で、またお会いしましょう。
バイバイ!
2013年10月15日(火) 東京・吉祥寺のフリックスサロンにて
岡田斗司夫 FREEex
■著者プロフィール
一九五八年大阪市生まれ。社会評論家。オタキング代表。FREEex主催。
アニメ会社ガイナックス設立後、東京大学やマサチューセッツ工科大学講師を経て大阪芸術大学客員教授に就任。
九五年に発表した処女作『ぼくたちの洗脳社会』をリライトした『評価経済社会』が思想の核。
二〇一〇年に社員が給料を払うユニークなオタキングex(一一年十二月名称をFREEexへ変更)を設立。
著書に『いつまでもデブと思うなよ』『スマートノート』『人生の法則』『遺言』など。
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