コンサルタントのつぶやき#4~中堅コンサルタントとして①(250113)
前回、海外志向が強くなってきたというお話をしました。
この当時、電機・通信業界ではデジタル化の波が日本企業を襲いました。
電話からインターネット、パケット系のネットワークに大きく変化しました。この流れにより、電話交換機からIPルーターに急激にインフラ装置が置き換わりました。電電系の企業の設備ではなく、CISCOが参入し、あっという間にシェアを奪いました。ハードウェアはASICを自分達で興すのではなく、FPGAを活用したプログラミングやIPを活用したLSIへの変化し、ハードウェア設計者に求められるスキルもあっという間に変わりました。
音楽にも楽曲ダウンロードの波が着々と襲ってきました。まだi-tunesは出てきていないものの、アメリカではReal Audio等が着々とダウンロード・ミュージックを開始し、MP3による音楽配信が開始されました。しかし、日本では当時、サザンオールスターズ、スマップ、松田聖子など、家電メーカーの系列のレコード会社が業界を握っていたため、ダウンロード・ミュージックへのシフトが遅れたと言われています。ダウンロード・ミュージックに顧客がシフトするとCDが売れなくなってしまうということです。
当時、アメリカの友人がskypeを使えば、電話代がタダになると言っていたことが思い出されます。海外との仕事をするとまだ、国際電話代金がメチャクチャに高かったですが、現在はLineやMessengerでのパケット通信による電話でほぼ無料になっているのはご存じの通りです。欧米人が日本に来ると、なぜ日本には公衆wifiが無いのか?ともよく言われました。
20年前にタイに行った頃、音楽媒体はセブンイレブンで入手するMP3のCDかUSBスティックでした。その後、通常のCD、DVDがタイでも発売されましたが、あっという間にそれもなくなり、現在はダウンロード・ミュージック、You Tubeが中心です。
今の日本ではどうでしょうか。マニアはレコードを買いますが、まだまだ、CD、DVD、Blue-rayは顕在です、かくいう私もよく購入していますが(笑)。
この頃に中国や韓国に仕事を行く機会も増えてきました。中国はまだまだ発展途上でした。上海も北京もビルやアパートから縦向きに物干し竿が到る所で刺さっていましたし、上半身で街中を歩いているおじさんや自転車も多かったものです。中国企業の方達とワークショップをすると、皆、必死でした。国営企業、日系企業の技術者達から、日本企業はなぜ開発スピードが早いのか?、自分達はどのようなアプローチを取れば良いかということを、通訳の方を交えてよくディスカッションしました。資料を渡すとシェアしないで、一人だけ持って帰ってしまうのもビックリしたものです。
それが今はEVタクシー、ドイツ車が走り回り、大都市から自転車の風景は消えてしまいました。深圳もいつの間にか大都市となりました。中国企業の設計者は我々より英語が話せます。
このような状況からも海外企業と仕事をしたいという想いが益々、募ってきました。
冷静に日本を外から見て、何をしないといけないか、変わるためには何をすべきかということを考えるべきだと思いました。
(続く)