ころがるえんぴつ/某コピーライターの独立とかの話_12
■第12話/返した借金の話と、返し続けるアレの話。
さて、前回のラジオ出演を記念した特別版から随分と時間が経ってしまったけれど、また、ゆるりとえんぴつをころがしていきたいと思う。
久しぶりと言うことで、ちょっと書きにくい話を書いてみよう。それはズバリ銭の話。もっと言えば「借金」の話だ。
2016年現在、僕が代表を務める株式会社Rockakuは公な負債が1円もない優良企業である。いやまあ、なんてことはない。そんなに資本をつっこむような規模の事業と縁が無いだけだけれど。でも、『ころがるえんぴつ』の時間軸に在る個人事務所Rockakuには(当時にの森田さんにとっては)莫大な借金があった。
なんで借金があったかと言えば、仕事場の環境整備のためであった。
自宅こと穴ぐら長屋「麻布邸」の一角を仕事場に業務をスタートさせたわけだけれど、いかんせん、寝る以外目的も機能もなかった穴ぐら部屋で1日中仕事をするには、いろいろ環境が整っていなかったのだ。
とりあえず周囲を見渡して、頼み事がしやすく、かつ羽振りのいい人間を探してみた。当然の如く無職状態の犬養ではなかったし、ましてやK氏に対しては対面というものもあって金策の相談はできなかった。もちろん、親にも言いにくい。で、最終的に残ったのは、麻布邸の最年少メンバー・松本だった。彼は当時24歳ながら、都内屈指のメッセンジャーとして、サラリーマン時代の僕の月収の2倍近くを稼いでいたのである。犬養なんかよりよほど望みがあったのだ。
「年下に金を無心するのはどうなんすか」という声もあるだろうが、もう、そんなこと言っている場合ではなかった。なぜなら、夏が目前に迫っていたからだ。風通しゼロの部屋。ディスプレイの真裏にCPUがあるらしく、作業しているだけで毒々しい熱を放ち、脳を冒してくるiMacG5・・・・・・麻布邸の夏はシンプルに言って地獄。以前、夏場に会社に内緒で内職していた際、PCより前に自分が熱暴走しかけた経験から、ここで仕事をこなすには、エアコンの導入がマストであることは疑いようがない。そして机。会社を辞めた瞬間の僕の机は、リサイクルショップで買ったパソコンラックであり、とてもじゃないけど仕事ができるようなシロモノじゃない。
恥を忍んで、松本に相談した結果、40万円の現金を借り受けることができた。今考えても、松本(24)、すげえなあと思う。その資金でエアコンを購入し、さらにK 氏のすすめでデスクではなく4人掛けダイニングテーブルを注文した(このテーブルは現在のRockakuのミーティングテーブルになっている)。あとは最低限のPCソフトやドメイン・サーバー契約、文房具などを買いそろえた。最後、仕事用の椅子をどうしようかと思っていると、無類の椅子道楽であるK氏が「独立祝いだ」と言って、カルテルというブランドの「マウイチェア」という椅子を買ってくれた。後にK氏の影響を少なからず受けてけっこうな数のヴィンテージ家具を購入するようになる僕だが、当時はその価値もさっぱりわかってなかった。(因みに5万円以上はするはず。当時の僕にとってはけっこうビビる値段だった)
つまり、この借金40万円がRockakuの開業資金ということになる。40万円で独立できたのだから(しかも大半がエアコン代=普通の家には普通にあるもの)、コピーライターとはなかなか経済性が高い商売なのではないだろうか。
で、この借金については半年足らずで完済した。ああ。「完済」とは、なんと清々しい言葉だろうか。実際は外資系ITベンチャーの仕事を印刷代まで全部元請けして、血反吐を吐くようなストレスに苛まれながら完済したのだが、完済は完済だ。もはや、「完済」という言葉を書きたいだけの衝動が止まらない。完済!完済!完済!完済!完済!・・・・・・よし満足した。この借金の話は終わりだ。実はまだ、借金の話は続く。
ちょっと時間は進んで独立2年目くらいのタイミングだろうか。まだまだ安定とはほど遠く、綱渡り経営が続いていた時期だ。ある日、その綱が、「ぷつん」と切れた。その月で納品してめでたく請求できるハズだった案件が、クライアントの都合で延びたのだ。
もう、金なんかない。さあどうする・・・・・・で、頼ってしまったのが当時の彼女、つまり現在のおくさんだ。黙って20万円貸してくれた。当時、バリバリ無職で、「日がな一日、ネットで有名な仏像の画像を探してはPhotoshopで切り抜き、Illustratorでレイアウトしているだけの人」だったのにも関わらず、である。流石にばつが悪いので、数ヶ月後に余裕ができたとき返そうとしたら、
「まあ、結局同じ財布を持つんだから、意味の無いことをするな」と宣った。
すげえ男前だ。あれから8年くらい経っているけれど、まだ20万円は返していない。いやまあ、毎月それ以上の生活費を口座に振り込んでますけどね、それでも、まあ、えらそうなことは言えないし、未だに頭が上がらない。
あと、これは正確に言えば借金ではないのだけれど、「前払い」というのも、胃にじんわりとくる思い出だ。確かけっこう大規模なブランドコンテンツの企画・構成を任せていただいたときである。
全体の構成もできて、ラフも描いて・・・・・・という段階で、急にぽしゃったのだ。完全にクライアント再度の都合だった。そのことを電話で伝えてくれた元請けのディレクターSさんは、電話の向こうで土下座でもしていそうな勢いでこう言ったのだ。
「本当に申し訳ない。見積の8割、今すぐ振り込むから了承して欲しい」と。
出先でその電話を受けていたのだけれど、帰り際に口座を確認したら、もう数十万円が振り込まれていた。このSさんは後に2年間もオフィスを間借りさせてくれたり、レギュラーで仕事を振ってくれたりと、初期Rockakuを語る上では欠かせない大恩人である。どれほどメシをおごってくれただろうか。僕がよく若者に焼肉をおごるのはSさんのイズムを継承しようとしてのとこだったりする。
とまあ、大した金額は出てこない借金の話だったが、どうだっただろうか。こうやって振り返ってみると、「金は稼げば返せるが、恩というのは簡単には返せないものだな」と思う。だからこそだけれど、あの頃の自分のようなヤツに出会ったら、できることはしてやりたい。そうやって「恩」をつなぐことが、ある意味での恩返しなのだと、身を以て感じている。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?