ころがるえんぴつ/某コピーライターの独立とかの話_07
第7話/ハローワークで指を切る。
さて、前回までのお話で、めでたく「Rockaku誕生!」と相成り、「ここからが本当の戦いのはじまりだ!」的なシメでエンディングを迎えちゃえばそれでいいわけなんだろうけども、何となく、それからしばらく先の話を散発的に書いていこうと思う。
まず、僕は2007年の4月、なし崩しに独立を決めた。ここまでは認めよう。ただし、高らかに宣言はしなかった。正確に言うと、自らの独立を「容認」した。非常にアホらしいと言うか、意識が低いというか、もう、どうしょうもない感じだったけど、それがそのときの僕の精一杯の線だった。
それからしばらくはフリーランスの先輩ともいうべき友人たちの家を巡って挨拶をしたり、話を聞いたりする日々を送っていた。そんな中で、とあるフリーライターの方(美人)にこんなアドバイスをいただいたのだ。
「モリテツ君、失業保険はもらわないと損するわよ。さっさとハローワークに行っておいでなさい」
このアドバイスが、ある種、非常に奇妙なかたちで僕の決意(の一端)を固めさせることになろうとは、全く予想もできていなかった。
未だにそうだけれど、僕は社会的な常識がけっこう欠如している。社員たちにもいろいろと苦労をかけてきた。そして、これからもかけていく腹づもりである。こういう言い方をするとアーティスト気取りにように思われるかも知れないけれど、ここでいう「常識」とは、主に役所や金融機関が関わる手続のことだ。逆に見積、金額交渉、売上などにはかなり敏感で、正直、一般的なクリエイター的商売の人間の中では、かなり銭に意地汚いマインドとスキルを持っていると自負してはいるが、領収書の計算などは大の苦手だし、自力で確定申告を遂げたことなどただの一度もない。会社をつくる直前にマネジメント会社と契約して、経理一切を外注するようになったのも、こういう自分のダメさがもはや改善不能だと悟っているからに他ならない。
そんな僕が失業保険の知識なんて持ってるわけがなかった。とりあえずネットで検索をした結果、当時住んでいた港区のハローワークが品川にあることが判明した。とりあえずヒマだったので、自転車で出かけてみることにした。
ハローワークは予想以上に遠かった。もう、辿り着いた時点である程度のモチベーションを使い切ってしまうくらいの距離があった。これはあくまで、当時の僕のアンダーな精神状態のフィルターを通してみた風景として解釈していただきたいのだけれど、ハローワークという場所は、そこはかとなく陰気で、また、ちょっと荒んで見えた。どちらかと言えば荒んでいたのは僕の方だったのだろう。とりあえず自転車を停めて建物に近づいていく。「なんどろうか。この空気感、何かに似ているな……」と、漠然と思いながらも、とりあえず中に入る。そして、案内に従い、係の人に呼ばれるのを待った。
ハローワークの職員氏(推定30代前半男性)は非常に親切だった。親切というか、温かい感じだった。そして、その温かい感じが、申し訳ないほどに居心地を悪くしていた。優しくされればされるほどばつが悪い。何せワークにHALLO!しにきたわけではないのだ。
「お仕事を辞められたのは会社側の都合ですか?」
「いえ、僕から辞めまして」
「なるほど。今はアルバイトかなにかなさっていますか?」
「いいえ」
この「いいえ」が、意外なほど自分を締め付ける言葉だったことに、僕は驚いた。実はこの時点で、フリーランスとしての仕事を受けていた。手続き上の整合性はともかくとして(少なくとも美人ライターさんには、そういうかたちで手続をしても問題は無いし、むしろ個雇用保険分はもらうべきよ、と言われていた)、そこで偽る感じが、意外なほど自分の精神的な足場を揺らしていることがはっきりわかった。
「……では、この書類にご記入をお願いしますね」
そんな僕の動揺とは関係なく、職員氏は手際の良さをプロフェッショナルな優しさに包んでそつのない対応をしてくださる。が、僕はボールペンで記入をミスする。住所を「東京都港区」と書かねばならないのに「港区八王子市」と、実家と現住所が混ざった謎のアドレスを書いていた。
「大丈夫ですよ。コチラに書き直しましょうね」
職員氏はどこまでも優しい。優しいほどに僕はいたたまれない気分になり、また書き損じる。そして3枚目の書き直しに取りかかろうとしたときだった。
「あっ」
その書類のフチが絶妙な案配で僕の指をかすめ、スパッと赤い線が走った。流血である。慌てる職員氏。微妙な痛みと申し訳なさとで困惑する僕。という、地味なパニックが起きた。職員氏の「大丈夫ですか?」の「すか?」が出るか否かくらいのタイミングで僕は「もう大丈夫なんで!はい。もう、ええ!」と言い放ち、受付の席を立ち上がって外に出た。もうなんか、どっと疲れてしまった。喫煙所へ行き、タバコに火をつける。灰皿の周りには伏し目がちな男女数人がいた。そして気づいた。ああ、この空気感は、そうだ。競艇場によく似ているんだ。会社員時代、ボートレースの広告を担当していて、何度も足を運んだことがあった場所。あそこにある、ちょっとやさぐれた雰囲気によく似ていた。その雰囲気の中で、「自分だけは特別」「もうフリーランサーとしての一歩を踏み出しているんだ」「この人たちとは違うんだ」と、よくわからない防衛本能と優越感を発露させている自分に気づき、ちょっと嫌になった。何様のつもりだ。求職に来ていないだけタチの悪い利用者ではないか。
係員氏と何を話したかはあんまりよく覚えていなかった。とりあえず、失業保険とやらを受給するには、この場所に何度か通わなければならないらしい。つまり、かろうじて独立する意思をゆるめのゼリーくらいの強度で固めた僕が、「失業者」というテイで、ここに足を運ぶということだ。ハローワークに失礼かも知れないけれども、僕は瞬時に決断した。
「失業保険はいらない。ここに通っていたら自分はダメになる」と。
「雨降って地固まる」とは言うけれど、僕はハローワークで指を切り、血を流すことによって、独立の意思(の一端)を固めるに至った。と、まあ、またもや格好いいことが一つもないエピソードではあるけれど、残念なことに、これもまた、現在の僕と地続きにあった、ある日の物語だったりする。
つづく
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