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ころがるえんぴつ/某コピーライターの独立とかの話_02

第2話/2007年4月初旬:同類相哀れむ。

 時を同じくして、職を失って倦んだ生活を送っている男がいた。我が麻布邸の元住人であり、フォトグラファーであり、ハタチからのつきあいになる犬養だ。
「てっちゃん、会社辞めたんだって?」
 ある日の午後、そんな連絡があって、その日の夜には、ウチの茶の間にいた。
「奥さんの目がさ、冷ややかでね……」
 犬養は情けない表情で、コタツにあたっていた。
 彼は約2年前、結婚してこの麻布邸を出て行った、言わばOBである。ちなみに、犬養はマツモトの写真の師匠的存在であり、K氏は、犬養撤退後の空きを埋めるかたちで入居している。

(もっというと、この文章を書いている2016年現在ではすでにバツイチになっており、映像関係のプロデューサーみたいなことをしている。あと「犬養」は本名ではない。文句言われそうだから仮名にしといたよ、クマノ!)

「んまあ、奥サマとしては、亭主にゃ働いて欲しいだろーよ」
「いやさ、ここ数年、お互い忙しくてあんまり詳しく話してなかったけど、まあ、ちょっとね、タイミングが悪くてさ」
 聞けば、写真雑誌でカメラマンの仕事をしつつ、その知識を活かしてカメラメーカーの契約社員をしていて、契約切れのタイミングで写真の仕事に本腰を入れようとしたら、雑誌のレギュラーが打ち切りになったと言う。三十路目前の失業男2人のコタツ会議……客観的には最低の吹きだまりだ。
「Kくんはなんて言ってる?」
「うーん。なんか、フリーになれ?みたいなことをね」
「やりゃあいいじゃん」
「そういう犬養はどうなんだよ」
「正直なぁ。家庭もあるし、2年以上、まともな営業もかけてないし、就職……なのかもなあって思ってるよ」
「ふーん」
 その言葉に一抹の寂しさを感じ、僕はコタツに突っ伏した。犬養は学生時代から精力的に写真の仕事をこなし、周囲の同年代の中ではちょっと抜きん出た存在だった。僕が編集者になったとき、初めての取材で起用したカメラマンも犬養だった。「コイツと一緒に仕事をする」。それは、僕の中で小さくはない動機のひとつだった。さりとて、自分もそのステージから去ろうと決めている今、その寂しさは、無責任なものでしかなかった。

「てっちゃんはどうする気なの?独立すんの?」
「いや、無理でしょ。会社の人脈全部スッパリ切ってきたし。いっそ靴屋さんにでもなって、一から修行しようかと思ってるよ」
 本音でそれが現実路線だった。
「ははははは。絶対無理。てっちゃんは戻るよ。同じ様な仕事するって」
 犬養の乾いた笑いに、ある記憶が蘇った。


「お前、会社辞めてどうする気だ?」
「別に、今は何も考える気はありません」
「本当は次行くとこ決まってるんじゃないのか」
「いいえ。僕は広告も、文章も、もう仕事にする気はないんで」
「…戻るぞ」
「はい?」
「断言する。お前は絶対にこの業界に戻る」
 初めて上司に辞意を表明した時、投げかけられた言葉が呪いのようにこだました。

 しかしだ。その呪いは、まだ、小さな「引っかかり」でしかなく、殆ど現実感のないものだった。なぜなら、それが呪いとして履行されるのに必要なものが、僕の中で決定的に欠如していたのだ。

 それは、「執着」だ。それまでの自分の仕事、技術、経験、実績に愛着はあった。でも、必死に追いかける気が完全に失せている。だからこそ、僕は安心していた。もう、自分をすり減らし、時間をすり減らす、あの場所に戻る事なんてあり得ない。そうタカをくくっていたのだ。

つづく(だいたい木or金更新でやっていきます)

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