ころがるえんぴつ/某コピーライターの独立とかの話_11
特別編:川田十夢さんとの出会いとか登山とか密談とか
実は2016年9月6日に、J-WAVEの「HANGOUT」にゲスト出演させていただくことになった。そこで今回は「特別編」として、パーソナリティである川田十夢さんとの出会いとか、受けた影響だとかを書いていこうと思う。
本来の「ころがるえんぴつ」の時間軸から少し飛んだ次元の話になる。とりあえず10話現在の「ころがるえんぴつ」の時間軸は2007年の初夏くらいだけど、これはだいたい2009年の夏頃の話。まあ、大して飛んでないといえば、それまでなんだけどさ。
はじまりは“怪文書”
コトの起こりはなんだったのだろうか。ちょうど、フリーランスとして一定の落ち着きを見せはじめていた頃だ。築地のD通テックのビルの中にデスクを借りたりしてて、定期の仕事も少しはあって、そこまで必死にならなくてもやっていけそうな空気があった。まあ、8年後の僕に言わせれば「甘すぎる見通し」なんだけど、この「ちょっとした余裕」が当時の僕を迷走させた。
自分がなにをやったらいいのかわからなくなっていたのだ。「食うために必死」だった1年が過ぎ、「必死にならなくても食える」になっただけでこのテイタラクだった。そんなある日、Twitterのタイムラインにこんな“怪文書”が送られてきた。
送り主の名は川田十夢。今やいちいち説明する必要がなくなりつつある“AR三兄弟の長男”であり、“通りすがりの天才”だ。でも、当時の僕は十夢さんのことをよく知らない。だから、第一印象はやっぱり“怪文書”だった。
因みにこのとき、十夢さんはウサイン・ボルトの世界新記録に強い感銘を受けていたらしい。で、素直に「おめでとう」と言いたかった。でも、ボルトに直接その言葉を届けるつてがない。で、Twitterを見渡した。そうしたら“ボルト=ねじ”っぽいアイコンを使っていた僕と、同じく“ボルト=ねじ”っぽい名前を名乗っていた佐藤ねじくんが目に入ってきた。で、上記のツイートを送ってきてくれたというわけだった。この話の流れ、十夢さんが本出すとき、担当の編集の人に聞かれて整理したものなんだけど、いくらわかりやすく書こうとしてもやっぱり“怪文書”ではあるな。いい意味で。因みにコレ↓がTwitterで使ってた当時のアイコン。このマーク一つで運命が変わったのか・・・
全ての“登山口”となった「ねじ山」
で、後に面白法人カヤックのエースとなり、2016年には独立を果たす佐藤ねじくんも流石なモノで、このツイートに対して「自分のことのように嬉しい」と即レスしていたのをよく覚えている。
その後、今となっては“伝説”としか言いようのない、ワンパク阿部さん×レベルQタナカさん×トミモトリエさん(現在は株式会社人間に在籍)による「スイカ研究会」の「スイカップナイト」で十夢さん、ねじくんと初対面を果たし、さらに、AR三兄弟のデビュー戦とも言える「AR家族会議」では半スタッフとして行動をともにしたりして親交を深めた。そして、秋となり、このツイートがきっかけで誕生した、ある意味、全ての起点・・・いや、“登山口”となる高尾山ビヤガーデンイベント「ねじ山」が行われたのだ。
そうそう、これが初代「ねじ山」のキービジュアル。佐藤ねじくんが絵を描き、僕がコピーを書いた。「ねじ山」とは、まあ、高尾山に集まって、ビアガーデンを貸し切り、みんなで宴会を開く企画で、2009年から規模やかたちを変えながらも未だ続く、ちょっと歴史あるイベントである。
「AR三兄弟」にいち早く目をつけ、「AR家族会議」を企画したデザインスタジオ「SCHEMA」のハシケン・志連コンビ、佐藤ねじくん、Rockakuが運営を続けている。このイベントをきっかけに、僕は仕事に対する考え方や、世界に対する向き合い方がかなり変わった。仲間も増えた。この日、生まれたうねりみたいなモノは、未だに僕の人生とか、Rockakuの歴史に大きな影響を及ぼし続けている。
川田十夢“思春期”現象
で、話はちょっと反れてしまったけど、当時の僕は、HANGOUTのリスナーさんたちがきっとそうであるように、川田十夢という男に惚れてしまった。十夢さんが魅力的なのは、たぶん、出会った他者を否定せず、排除せず、肯定し、尊重し、応援し、その他者に前進のきっかけをつくりつつ、自分はさらにとんでもない歩幅で前に進むところだ。つまり、途方もなくカッコイイ。だから、十夢さんに会う度に、“この人と少しでも長く話していたい”“この人にいいところを見せたい”“この人にウケたい”となって、無駄にいろいろな話をしゃべりまくった。まるで思春期のような感覚。これ、たぶん、僕だけじゃないと思う。
お互いもういいおっさんになったけど、あの頃とはまた、ちょっと違う意識で対峙することができるようになったけど、今振り返ってもちょっと甘酸っぱい感じがする。
例えば、毎年年末に開催されている「AR忘年会」は初回から現場のディレクションを担当させてもらっている。あとは・・・そうそう、AR三兄弟のトレードマークとなった「カクメット」は、たしか僕が偶然、作業服屋で見つけて衝撃を受け、デザイナーの(株)イエローの森田さんに連絡→十夢さんを誘って事務所へ遊びに行く→その場で大量購入・・・みたいな流れだった。Rockaku主催の「24時間耐久忘年会」にフル参戦してくれたのも懐かしい。今思うと、本当、あれは僕の思春期だったな。
ラジオやりたいよね
そんな日々の中で、どんどん売れていく十夢さん。よく考えれば僕も、それなりに売れ出していて、それなりにハードスケジュールで、それなりにステップアップしていたし、業界メディアにはちょこちょこ名前が出たり、イベント出演の依頼なんかも増えていた時期だけれども、ネットを賑わし、雑誌の表紙を飾り、テレビにも出演して・・・と、“川田十夢快進撃”の驚異的速度を目の当たりにしていたから、全く天狗になれなかった。(これはむしろよかったことだな)
その頃、ふたりで時折話していたのが「いっしょにラジオやりたいよね」という話題。「じゃあやろう」ってことで、Rockakuのオフィスをスタジオに見立て、川田十夢(AR三兄弟)、おぐらりゅうじ(テレビブロス編集部員)、小野かずや(恋と童貞 編集長)、森田哲生(Rockaku)の4人をパーソナリティーとして、スタッフにフリーのラジオディレクターであるヨシオカさん、エンジニアの岩沢卓氏を加えて2013年春にスタートしたのが「密談ラジオ」というPodcastだった。
月に1回、4人が集まり、音楽を一曲も流さずに、ダダ漏れ前提の「密談」を交わすだけの番組。不定期で迎えたゲストには、橘川幸夫さん、吉田尚記アナウンサー、トミモトリエさん、菊池良くんなど、今振り返っても密度高すぎるメンバーで、未だにダウンロード数が伸びているらしい。
密談ラジオ自体は番外編のソロ企画をのぞいては10回で終了。そして十夢さんは本物のラジオパーソナリティになった。
約束を守る男
で、さらに時は経ち、2015年の年末。恒例の「AR忘年会」を終えて、打ち上げ会場を出たとき、十夢さんが言ったのだ。「今、森田さんが連載している記事が本になったら、HANGOUTのゲストに呼ぶから!」と。
まあ、正直、その言葉だけで嬉しかったし、同時に妙なプレッシャーも感じたりもしたけど、僕の本である「書かなきゃ行けない人のためのWebコピーライティング教室」は、ちょっと時間がかかったものの、2016年の6月に無事に発売された。発売日当日の出版記念飲み会にふらっとあらわれた十夢さんは念を押すように言った。「呼ぶから」と。
で、呼ばれた。そう、約束を守る。なんか、すごいよね。僕の前のゲスト回、新海誠監督ですよ。一般リスナーの方からしたら「お前誰だよ!?」でしょうとも。でも、そこに平然と「飲み行こうよ」みたいなノリでぶつけてくれる。戦友のような、アニキのような、メンターのような、片想いの相手のようなあの人のステキなお誘いを、しっかり楽しんでみようと思う。そんな本番1週間前であります。
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